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銀貨一枚から始まる物流革命 ~剣を持たない運び屋、世界の流れを支配する~  作者: 紅茶伝
最終章

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第五十八話 管理局の決断と銀貨十九枚


 翌朝、王都管理局へ向かう通りを歩きながら、レインは昨日渡された封書をもう一度開いていた


 書かれているのは指定された時刻と、王都内の物流について確認したいことがあるという短い文章だけで、何度読み返しても呼び出された理由までは分からない


「また見てる」


 隣を歩いていたミナが封書を覗き込んでくる


「何か見落としていないかと思って」


「昨日から何回読んだ?」


「四回です」


「増えてないだろ?」


「増えてはいません」


「じゃあ閉じろ」


 言われた通り封書を畳んで懐へ戻すと、今度はミナが少しだけ歩く速度を落とした


 正面には王都管理局の大きな石造りの建物が見えている


「ミナ」


「何だよ」


「緊張していますか」


「してない」


「私は少ししています」


「……じゃあ私も少ししてる」


「なぜ合わせるんですか」


「お前だけ緊張してるみたいになるだろ」


 理由はよく分からなかったが、いつもの調子で話しているうちに、レインの肩からも少し力が抜けた


 石段を上り、管理局の中へ入る


 朝から窓口には商人や職人が並び、その間を大量の書類を抱えた職員が忙しそうに行き来していた


 倉庫を借りるための届け出を持っている者もいれば、商売上の揉め事を訴えている者もいる


 ここへ来れば、王都の商売が紙の上でも動いていることが分かる


 レインが封書を受付へ見せると、職員は内容を確認してすぐに立ち上がった


「こちらへ」


 案内されたのは普段使う窓口とは違う場所だった


 階段を上り、人の少ない廊下を奥へ進む


 さっきまで平然としていたミナが、いつの間にかレインのすぐ横を歩いている


「やっぱり怒られるんじゃないか?」


「さっき大丈夫そうにしていましたよね」


「下にいた時はな」


「帰ります?」


「それはもっと駄目だろ」


 小声で話しているうちに、職員が一つの扉の前で止まった


 扉が開く


 部屋の中央には大きな机があり、その上には何枚もの書類と二枚の地図が広げられていた


 窓際に立っていた男が振り返る


「来たか」


「セリオさん」


 川便を始めた頃から何度か姿を見せていた管理局の職員だった


 ミナがレインへ顔を寄せる


「やっぱり見られてたんじゃないか」


「聞こえているぞ」


「小声だったのに」


「静かな部屋だからな」


 セリオは苦笑しながら二人へ椅子を勧めた


 机の向こうには、白髪の混じった男が座っている


「王都運送組合のレインだな」


「はい」


「昨日は七度、川から荷車へ荷を移したそうだな」


 レインは一瞬返事が遅れた


「……はい」


「修繕所へ二便、薬師街方面へ二便、残りは市場と工房方面」


 隣を見ると、ミナも固まっていた


「めちゃくちゃ見てるじゃん」


「記録していると言っただろう」


 セリオが答える


「何のために?」


 ミナの問いに、白髪の男が一枚の地図をレインの前へ滑らせた


「本当に荷が動いているか確かめるためだ」


 そこには昨日レインたちが使った川筋が描かれ、中継地点から何本もの線が街へ伸びていた


 修繕所へ向かった荷も、薬師街へ届けた荷も記録されている


 その横には別の地図が置かれていた


 同じ王都の地図なのに、こちらには黒い印がいくつも付いている


「これは?」


「黒蛇商会が押さえている場所だ」


 レインは地図へ顔を近付けた


 倉庫や荷場だけではない


 修繕所の近くにも印があり、川から離れた場所には木材を扱う場所や乾燥場まで含まれている


 王都全体を支配しているわけではない


 それでも荷車を動かすために必要な場所を追っていくと、その途中に何度も黒蛇商会の名が現れる


「こんなに……」


「我々が確認出来ている範囲だけだ」


 レインはしばらく地図を見たあと、顔を上げた


「前から知っていたんですか」


「一度に分かったわけではない」


 白髪の男は机の端から一枚の契約書を取った


「黒蛇商会が木材を買うこと自体は珍しくない」


 別の紙を重ねる


「倉庫を借りることも、修繕所へ金を貸すこともな」


「でも、それが全部繋がってる」


 ミナが言った


「ああ」


「だったら何で止めなかったんだよ」


 部屋の空気が少し変わった


 セリオがミナを見る


 だが白髪の男は怒らなかった


「止める理由がなかったからだ」


「こんなことになってるのに?」


「今はな」


 男は契約書をレインたちの前へ置いた


「だが、この契約が届けられた時点では違った」


 木材を正規の代金で買う


 倉庫の持ち主と合意して場所を借りる


 修繕所へ金を貸し、その返済方法を決める


 それぞれを一つだけ見れば、王都では毎日のように行われている商取引だった


「役所が、同じ商会が多くの契約を結んでいるという理由だけで止めれば、王都では誰も安心して商売出来なくなる」


 レインにはその意味が分かった


 自分も契約によって守られてきた


 東部大橋で新しい運搬方法を提案した時も、荷車を買った時も、相手と条件を決め、その条件が勝手に変えられないからこそ大きな金を動かせた


「じゃあ、管理局は何も出来なかった?」


「違う」


 今度はセリオが答えた


 彼は机の下から別の書類を出した


「契約そのものではなく、契約へ至るまでを調べていた」


 レインが一枚目を読む


 黒蛇商会から融資を受けた修繕所の証言だった


 契約書には修繕費の立て替えについて書かれているだけなのに、実際には黒蛇商会が指定した運び屋を優先しなければ、次から融資を止めると告げられていた


 次の証言は独立運び屋からのものだった


 黒蛇商会との契約を断ったあと、それまで仕事を受けていた複数の荷場から、ほぼ同じ時期に仕事を断られている


 木材商も同じだった


 優先取引を断った後、それまで使えていた乾燥場との契約が突然更新されなくなったという


 レインは紙を置き、地図を見る


 契約を断った者の周囲から、少しずつ道が消えている


「偶然じゃない?」


「その可能性を潰すために時間が掛かった」


 セリオが答える


「証言だけで商会一つを処分するわけにはいかないからな」


「じゃあ……」


 ミナが身を乗り出した


「もう証拠が揃ったのか?」


 白髪の男はすぐには答えなかった


 代わりに、机の上へ一枚の紙を置く


 そこには黒蛇商会が契約を結んだ時期が記されていた


 レインは上から順番に追っていく


 最初に材料へ手を伸ばしている


 その後、材料を扱う場所との契約が増え、修繕所への融資が始まっている


 そして仕事を失った運び屋が増え始めた頃に、黒蛇商会から優先契約が持ち掛けられていた


 別々の契約書を読んでいた時には見えなかったものが、日付を並べることで一つの流れになっている


「昨日、最後の確認が取れた」


 白髪の男が言った


 ミナの表情が変わる


「それって……」


「管理局は黒蛇商会に対する処分手続きへ入る」


 静かな声だった


 それでも、その言葉だけは部屋の空気を変えた


 レインは机の上の地図を見る


「処分って、どこまで?」


「まだ君に話す段階ではない」


「でも」


「今日から黒蛇商会と関係する倉庫、修繕所、荷場へ職員を入れる」


 男の指が地図をなぞる


「帳簿も確認する、契約書も集める、証言も正式な記録へ変える」


「黒蛇商会は?」


「当然、調べる」


 そこで言葉を切った


「中途半端に終わらせるつもりはない」


 ミナが小さく息を呑んだ


 レインも何も言わなかった


 その言い方が何を意味するのか、まだはっきりとは分からない


 ただ、管理局が今までとは違う段階へ入ったことだけは分かった


「それで、どうして私を?」


 レインが尋ねる


 白髪の男は黒蛇商会の地図ではなく、もう一枚の地図を指した


 昨日までレインたちが作ってきた流れだった


「これだ」


 川から中継地点へ荷を運び、そこから独立運び屋の荷車へ渡す


 修繕所へ必要な部品を先に送り、直った荷車が別の荷を運び始める


 一つの組織だけで全てを運ぶのではなく、それぞれが動ける区間を受け持つことで荷を繋いでいる


「管理局が動けば、黒蛇商会の仕事にも影響が出る」


 男が言った


「荷が止まる可能性もある」


「どれくらいですか」


「分からん」


 レインは顔を上げた


「分からない?」


「だから君を呼んだ」


 白髪の男は黒蛇商会の地図へ手を置いた


「こちらは我々が調べる」


 次にレインたちの地図へ指を移す


「その間、止まりそうな荷を出来る限り動かしてほしい」


「王都運送組合だけで?」


「出来ると思うか?」


 レインは地図を見て首を横へ振った


「無理です」


「ならどうする」


 レインは少し考えた


 だが答えは、昨日すでに出していた


「運べる人に渡します」


 セリオが僅かに笑った


「それでいい」


「黒蛇商会の仕事だった荷でも?」


「荷に罪はない」


 白髪の男は答えた


「薬も木材も食料も、必要としている者のところへ届かなければ困るのは王都の人間だ」


 レインは頷いた


「分かりました」


「ただし」


 男はレインを見る


「無理に全部拾おうとするな」


 レインは少し驚いた


「君たちが潰れたら意味がない」


「……はい」


「今、返事が遅れたな」


 ミナが横から睨む


「聞いたか? 偉い人も全部やるなって言ってるぞ」


「分かっています」


「本当に?」


「多分」


「多分じゃ駄目だろ!」


 セリオが吹き出した


 白髪の男まで僅かに口元を緩めたが、すぐに机の引き出しへ手を伸ばした


 取り出したのは、薄い金属板だった


 管理局の紋章が刻まれている


「昨日申請した荷場の臨時使用許可だ」


 レインの目が動く


「もう?」


「本来なら数日掛かる」


 男は札を机へ置いた


「だが今は状況が違う、三十日間だけ許可する」


 レインが手を伸ばそうとすると、男は札を押さえた


「王都運送組合の専用ではない」


 レインの手が止まる


「誰でも使える?」


「条件を守ればな」


 レインはすぐに頷いた


「その方がいいです」


「利用料は取って構わない、ただし誰が使っても同じ料金にしろ、帳簿も残すこと」


「分かりました」


 男の手が離れる


 レインは金属札を受け取った


 自分たちの場所をもらったわけではない


 むしろ逆だった


 昨日見つけた中継地点が、今日からは他の運び屋も使える場所になる


 だが、それなら今までより多くの荷を動かせる


 自分たちの荷車が足りなければ別の運び屋が来ればいい


 バルドの舟が空いていなければ、別の船頭が使えるようになるかもしれない


 レインは金属札を見ながら、明日からの荷場を頭の中で組み直していた


「おい」


 ミナが横から声を掛ける


「はい?」


「また何か考えてる顔してる」


「料金表が必要だと思って」


「それだけ?」


「荷札も増やした方がいいかもしれません」


「金使う?」


「少し」


「先に相談!」


「今しています」


「私が聞いたからだろ!」


 管理局の部屋に笑い声が広がった


 だがレインが立ち上がると、白髪の男は最後にもう一度声を掛けた


「レイン」


「はい」


「今日から街の空気が変わるかもしれん」


 レインは振り返る


「黒蛇商会も黙ってはいないでしょうね」


「恐らくな」


「分かりました」


「怖くないのか?」


 少し考えてから、レインは答えた


「怖いです」


 ミナが意外そうに見る


「でも、荷を止めたままにする方が困ります」


 男はそれ以上何も言わなかった


 レインとミナが部屋を出ると、廊下では何人もの管理局職員が書類を抱えて行き交っていた


 来た時より人数が多い


 そのうち何人かは黒蛇商会の名が書かれた紙束を持っている


 レインはその様子を横目に見ながら階段を下りた


「本当に動くんだな」


 ミナが言う


「みたいですね」


「どうなると思う?」


「分かりません」


「珍しく即答だな」


「分からないものは分かりません」


「じゃあ何する?」


 レインは懐に入れた金属札へ触れた


「荷場へ戻ります」


「それだけ?」


「今日来る荷を確認して、黒蛇商会経由で止まりそうな荷がどれくらいあるか調べます、それからバルドさんに舟を増やせるか聞いて、ギドさんには独立運び屋へ声を掛けてもらいます」


 ミナが途中から笑い始めた


「全然それだけじゃないじゃん」


「必要なことです」


「はいはい」


 二人が王都運送組合へ戻る頃には、昨日直した桟橋へ一艘の舟が着いていた


 岸ではギドが荷札を確認し、その横で見慣れない運び屋が荷車を待たせている


 管理局から受け取った金属札を掲げると、最初に反応したのはギドだった


「早かったな」


「三十日間だけです」


「十分だ」


「王都運送組合専用ではありません」


「そっちの方がいい」


 ギドはあっさり答えた


 レインが少し驚いていると、ギドは荷場を顎で示した


「もう俺らだけじゃ回らねぇよ」


 舟から木箱が降ろされる


 待っていた運び屋が受け取り、荷札を確かめて自分の荷車へ積んでいく


 その間にバルドは次の荷を取りに舟を返す準備を始めていた


 誰か一人が全部を動かしているわけではない


 それでも荷は止まらず、川から街へ渡っていく


 レインはその流れを見ながら、管理局で見た黒い印の地図を思い出していた


 黒蛇商会がどうなるのかは分からない


 管理局がどこまで処分するつもりなのかも聞かされていない


 今のレインに分かっているのは、明日になれば今日まで使えていた道の一部が使えなくなるかもしれないということだけだった


 だからこそ、使える道を増やしておかなければならない


「レイン!」


 川岸からミナが呼んでいる


「次の荷、どっちに回す!?」


 レインは考え込むのをやめ、荷札を受け取るために歩き出した


 その日の所持金は銀貨十九枚のまま変わらなかったが、荷場では新しい運び屋が二人増え、夕方までに昨日より多くの荷が川と街道の間を行き来した


 そして日が傾き始めた頃、王都の反対側にある黒蛇商会では、大きな扉の前へ管理局の馬車が止まっていた


 降りてきた職員は一人でも二人でもなく、帳簿を運ぶための箱まで持っている


 商会の中から出てきた男が何かを問い掛けても、先頭の職員は短く書状を見せるだけだった


 その書状に何が書かれているのかを、まだレインは知らない

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!

もしよかったら感想などいただけると、とっても嬉しいです…!

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