第四十六話 金貨一枚の契約と小金貨一枚銀貨九枚
レインは静かに帳簿を開いた
利益の欄へ目を落とした瞬間、眉がわずかに動く
先月は小金貨四枚近く残っていた利益が、今月は小金貨一枚と銀貨九枚まで減っていた
運ぶ荷は増えている
定期便も以前より多い
それなのに組合へ残る金だけが目に見えて減っている
ゆっくりとページをめくると、原因は一つではなかった
岩原馬へ与える飼葉は先月より小金貨一枚以上高くなり、荷車一台を修理するだけでも以前なら銀貨八枚ほどで済んでいたものが、今では小金貨一枚近く掛かるようになっている
それだけでは終わらない
縄も、車軸用の金具も、車輪を作るための木材も値上がりし、修繕所へ支払う金額は先月の倍近くまで膨れ上がっていた
数字を追うたびに、利益がどこへ消えているのかがはっきり見えてくる
荷は確かに増えていた
組合も以前より大きくなった
それでも、増えた利益以上の金が静かに外へ流れ出している
レインは最後のページまで目を通すと、静かに帳簿を閉じた
乾いた音が倉庫へ響く
ギドは腕を組み、苦い顔で帳簿を指差した
「荷は増えてる。利益も出てる。それなのに金だけが残らねぇ」
その言葉には焦りが滲んでいた
「先月までなら荷車を二台増やしても余裕があった。だが今月は修理だけで小金貨三枚近く飛んでる。この調子じゃ、来月はもっと厳しくなる」
ミナも帳簿を覗き込み、小さく息を呑む
「思ってたより酷いな……」
ギドは静かに頷いた
「まだ組合だから耐えられる」
そう言って倉庫の奥へ目を向ける
修繕を終えた荷車が並び、運び屋たちは次の便へ向けて荷を積み込んでいる
誰も笑顔を失ってはいない
だが、その流れを維持するために必要な金は、以前とは比べものにならないほど大きくなっていた
「個人運び屋なら終わってる」
ギドはぽつりと呟く
「荷車一台を直すだけで小金貨一枚なんて請求されたら、その場で仕事を諦めるしかねぇ奴も出てくる」
レインは黙ったまま倉庫を見渡した
荷を運ぶ者
荷札を確認する者
岩原馬の手入れをする者
それぞれが自分の役目を果たしているからこそ、この流れは止まらない
だが、その流れを支える土台は確実に削られ始めていた
「黒蛇商会は木材で儲けたいわけじゃありません」
静かな声だった
ミナが顔を上げる
「じゃあ何が目的なんだ」
「物流そのものです」
レインは帳簿へ手を置いた
「修理代が上がれば個人運び屋は減ります。資材が高騰すれば小さな商会も耐えられません」
そこで一度言葉を切り、倉庫で働く仲間たちへ視線を向ける
「最後まで残るのは、大量の資金を持つ商会だけです」
ギドは静かに舌打ちした
「だから契約を持ってきたのか」
レインは頷く
「組合が苦しくなったところへ金貨一枚を積めば、多くの組織は断れません」
金貨一枚
それは個人運び屋なら何年も掛けてようやく手に出来るほどの大金だった
だが、その金を受け取れば、組合は黒蛇商会の流れへ組み込まれる
目先の利益と引き換えに、自分たちで荷を選ぶ権利を失うことになる
レインは静かに首を振った
「資材価格はまだ上がります」
倉庫へいる全員が、その一言へ耳を傾ける
「ここで止めなければ、来月には荷車一台の修理だけで小金貨二枚、三枚と必要になるでしょう。半年後には、新しい荷車を一台用意するだけで金貨一枚を超えても不思議ではありません」
倉庫の空気が重く沈む
誰も反論しなかった
帳簿へ並ぶ数字が、レインの言葉を裏付けていたからだ
しばらく沈黙が続いたあと、ミナが小さく口を開く
「だったら、急がないとな」
レインは静かに頷く
「はい」
その目はもう帳簿ではなく、王都の西側へ向いていた
黒蛇商会が金で物流を支配しようとしているのなら、自分は流れそのものを取り返す
それが王都運送組合を守る唯一の道だと、レインは確信していた
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