第四十四話 契約の穴と小金貨一枚銀貨九枚
乾燥場を出たあとも、ミナはレインの言葉を何度も思い返していた
西へ向かう街道では木材を積んだ荷車がゆっくりと進み、その後ろを修繕屋の荷車が力なく走っていく。同じ道を使っているはずなのに、積まれている荷の価値も、それを運ぶ人間の表情もまるで違って見えた
「さっきの話だけどさ」
ミナが歩きながら口を開く
「木材じゃなくて乾燥場を縛ってるって、どういう意味なんだ」
レインは少し考えてから答えた
「木材は今日切って明日使える物じゃありません」
街道の先を見つめたまま続ける
「乾燥させる時間も必要ですし、置いておく場所も必要です。だから乾燥場は木材を持っているんじゃなくて、これから市場へ流れる木材そのものを管理しています」
ミナは小さく頷く
「だから乾燥場を押さえれば、その先の木も全部押さえられるってことか」
「そうです」
レインは短く返した
「しかも十年契約でした」
その言葉にミナが眉をひそめる
「長すぎるな」
「普通なら結びません」
レインは静かに歩き続ける
「木材の値段は毎年変わります。需要も変わります。それなのに十年間も同じ相手へ優先して流す契約を結ぶのは、乾燥場側に別の事情があったはずです」
歩きながら話しているうちに、二人は乾燥場から少し離れた街道沿いの休憩所へ着いた
井戸の周りには荷運びを終えた御者たちが集まり、馬へ水を飲ませながら昼食を取っている
その隅では年配の商人が帳簿を広げ、何度も頭を抱えていた
「また赤字か……」
思わず漏れた声が耳へ入る
レインは自然と足を止めた
商人は気付かないまま帳簿をめくる
「木材が上がって荷車代も上がる。運賃は契約で変えられねぇ。これじゃ運ぶほど損じゃねぇか」
隣にいた御者も苦笑した
「うちも同じだよ。今月だけで銀貨十五枚は利益が減った」
「このままじゃ来月は荷車一台減らすしかねぇ」
二人の会話を聞きながら、レインは静かに視線を落とした
組合だけではなかった
王都中の運び屋が同じ状況へ追い込まれ始めている
利益は出ている
それでも以前より残らない
その積み重ねが一年続けば、小さな商会から消えていく
ミナもその話を聞いて顔をしかめた
「思ってたより酷いな」
「まだ始まったばかりです」
レインはそう答える
「黒蛇商会が欲しいのは木材じゃありません」
「じゃあ何だ」
「選ぶ権利です」
ミナは首を傾げる
レインは街道を走る荷車へ目を向けた
「木材を持っている商会は、誰へ売るかを決められます。修繕屋も運び屋も、その相手から買うしかありません」
そこまで話したところで、小さく息を吐く
「つまり、誰を生かして誰を潰すかまで決められる」
ミナは思わず立ち止まった
「……そこまで考えてるのか」
「たぶん」
レインは静かに頷く
「だから契約期間が十年なんです。値段を上げることが目的なら一年でも十分です。でも十年間縛るということは、その間に市場そのものを作り替えるつもりなんでしょう」
二人が再び歩き始めた、その時だった
後ろから一台の荷車が勢いよく近付いてくる
「レインさん!」
聞き覚えのある声だった
組合の若い運び屋が荷車を止め、慌てた様子で飛び降りてくる
「ギドさんからです!」
差し出された封筒を受け取り、中を開く
短い文章だった
『至急戻れ。倉庫へ黒蛇商会が来た』
レインは紙を静かに畳む
乾燥場まで来た相手が、今度は組合へ現れた
偶然ではない
向こうも動き始めたのだ
「戻ります」
レインがそう言うと、ミナも黙って頷いた
二人は踵を返し、王都運送組合へ向かって走り出した




