第四十話 止まった荷車と小金貨二枚銀貨九枚
レインが人混みを抜ける頃には、怒鳴り合いを聞き付けた野次馬まで集まり始めていた
横倒しになった荷車のせいで通りは半分塞がれ、本来なら絶えず流れているはずの荷車が足止めされている
待たされた商人たちは帳簿を抱えながら苛立った様子で行き来し、御者たちは前方を睨みながら何度も手綱を鳴らしていた
誰かが声を荒げるたびに周囲の空気まで少しずつ尖っていく
「派手にやったな」
ミナが呟く
だがレインは返事をしなかった
既に意識は事故を起こした荷車へ向いている
散乱した木箱の間を歩き、石畳へ転がった車輪の前でしゃがみ込む
割れた木口を指でなぞると、まだ新しい木の感触が残っていた
交換されてから長くは経っていない
そう感じた直後、後ろから低い声が飛んでくる
「おい」
振り返ると、灰色の上着を着た商人が立っていた
額には汗が浮かび、怒りと焦りが入り混じったような顔をしている
事故を起こした荷の持ち主なのだろう
「何してる」
警戒した目だった
知らない運び屋が事故現場を調べているのだから無理もない
レインは立ち上がる
「運び屋です」
「見れば分かる」
男は吐き捨てるように言ったあと、割れた車輪へ視線を落とした
「何か分かるのか」
その声には苛立ちだけではなく、納得出来ないという感情も混じっている
「最近交換しましたか」
商人の顔が変わった
「なんで分かる」
「木が新しい」
男は舌打ちする
「三日前だ」
そう言ってから悔しそうに車輪を睨みつけた
「安くない金払ったんだぞ」
その言葉を聞いた瞬間、人混みの後ろから別の声が上がる
「またかよ」
足止めされていた御者の一人だった
転がった車輪を見ながら嫌そうに顔をしかめている
「今月三件目だぞ」
その一言で周囲の空気が変わった
ただの事故として眺めていた人間たちが顔を見合わせ始める
「三件目?」
商人が聞き返す
「ああ」
御者は頷いた
「交換したばかりの車輪が壊れるんだよ」
それ以上は言わなかった
だが十分だった
レインは再びしゃがみ込み、割れた車輪へ手を添える
しばらく見つめたあと立ち上がると、今度は通りの奥へ視線を向けた
待たされた商人たち
動けない荷車
さらにその向こうで風に揺れる修繕所の看板
ミナも視線を追う
「まさか」
レインは何も答えない
ただ歩き出した
後ろではまだ怒鳴り声が続いている
だが二人は振り返らなかった
修繕所の前には修理待ちの荷車が何台も並び、職人たちが慌ただしく行き来している
繁盛している店にしか見えない
それでもレインは迷うことなく扉を押し開いた
削られた木材の匂いが流れ出してくる
店内では車輪を削る音が響き、その奥では別の職人が荷車の軸を交換していた
忙しい
少なくとも外から見た印象と変わらなかった
「いらっしゃい」
カウンターの奥から声が飛ぶ
恰幅の良い男だった
腕には長年木を削ってきた職人特有の傷が残っている
「悪いな、修理なら少し待ってもらうぞ」
男はそう言いながら後ろを親指で指した
確かに店内は混んでいる
修理待ちの荷車も多い
「繁盛してんな」
ミナが周囲を見回す
「ありがたい話だ」
男は笑う
「最近は依頼が増えてな」
その言葉を聞きながらレインは店内を見ていた
壁際へ並ぶ交換用の車輪
積み上げられた木材
修理中の荷車
どれも自然に見える
だからこそ違和感が見付からない
「何か用か」
男が聞く
レインは視線を戻した
「外で荷車が横転していました」
その瞬間だった
男の笑顔が一瞬だけ止まる
本当に一瞬だった
だがレインは見逃さない
「ああ」
男はすぐに笑顔へ戻った
「さっき聞いた」
そして肩を竦める
「災難だったな」
自然な言葉だった
だが何かが引っ掛かる
レインがさらに聞こうとした、その時だった
奥から怒鳴り声が響く
「だから足りねぇんだって!」
職人の声だった
店内の空気が少し変わる
カウンターの男が露骨に顔をしかめる
だが遅かった
奥から飛び出してきた若い職人が、こちらへ気付かないまま帳簿を机へ叩きつける
「だから言っただろ!」
苛立った声が店内へ響く
「車輪用の木材が足りねぇんだよ!」
その瞬間、店内が静まり返った
若い職人は客の存在に気付き、慌てて口を閉じる
だがレインの視線は既に開いた帳簿へ向いていた
一瞬だけ見えた記録
そこに並んでいた同じ名前
西側第二倉庫
事故現場で見た焼印と同じ名前だった
若い職人が慌てて帳簿を閉じる
カウンターの男も険しい顔になっていた
だがレインは何も言わない
帳簿から視線を外し、店の奥へ目を向ける
すると棚の近くで職人たちが何かを囲んでいた
床には車輪が転がっている
誰かが嫌そうに顔をしかめながら呟いた
「おい、この車輪またかよ」
その声を聞いた瞬間、レインの目が細くなる
店の中に流れていた空気が、少しだけ変わった気がした
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