第三十九話 焼印と小金貨二枚銀貨九枚
翌朝
まだ朝靄の残る王都を、レインとミナは西商業区へ向かって歩いていた
組合の手持ちは小金貨二枚と銀貨九枚
数字だけ見れば十分に見える
だが倉庫へ戻れば昨日交換した車輪の請求書が待っているし、街道帰りの岩原馬も飼葉を食わなければ働けない
最近は新しく入った運び屋へ回す仕事まで考えなければならなくなったせいで、レインは以前ほど金額だけを見て安心出来なくなっていた
それでも西商業区へ向かう理由はある
クラウスだった
あの男は何かを知っている
それだけは確信出来た
「まだ考えてるのか」
隣を歩くミナが呆れたように言う
「考えてます」
「好きだな本当に」
苦笑しながら肩を竦めるミナに、レインも小さく笑った
否定は出来ない
分からないことを放置する方が気持ち悪かった
やがて二人は西商業区へ入る
運搬街区とは景色そのものが違った
石造りの倉庫が並び、広い通りでは大型荷車が何台も行き交っている
到着した荷車から荷が降ろされる間にも次の便が入り込み、その横を帳簿を抱えた商人が足早に駆け抜けていった
金の匂いがする
そんな場所だった
「組合の倉庫が馬小屋に見えるな」
ミナが周囲を見回す
レインは返事をしなかった
通りを見ていたからだ
しばらく足を止める
荷車が行き交う
荷が動く
人が走る
忙しい光景だった
だが見続けているうちに違和感が大きくなっていく
荷車の流れが不自然だった
本来なら別の倉庫へ向かうはずの便まで、この一帯へ吸い寄せられるように集まっている
利益の匂いを嗅ぎつけた商人が群がることはある
だがここまで露骨なのは珍しい
まるで誰かが意図的に流れを変えているみたいだった
「どうした」
ミナが聞く
レインが答えようとした、その時だった
通りの向こうで怒鳴り声が上がる
近くを歩いていた商人が振り返る
その反応につられるように荷車が止まり、気付けば人が集まり始めていた
「面倒事だな」
ミナが顔をしかめる
だがレインは既に歩き出していた
流れが止まる場所には理由がある
そして理由のある場所には情報も集まる
二人は人混みを抜ける
すると通りの真ん中で荷車が横倒しになっていた
外れた車輪は石畳の上を転がり、積まれていた木箱が周囲へ散らばっている
御者らしい男が商人へ怒鳴っていた
「昨日から異音がしてたんだ!」
「なら何で走らせた!」
周囲からも不満の声が飛ぶ
荷車が一台止まっただけなのに、後ろには長い列が出来始めていた
この場所では時間そのものが金なのだろう
だから誰もが苛立っている
だがレインの視線は別の場所へ向いていた
割れた木箱だった
中から香料袋が飛び出している
その横に刻まれた焼印を見た瞬間、レインの足が止まった
見覚えがある
昨日まで机の上にあった契約書
クラウスが持ってきた書類
西側第二倉庫
頭の中で離れていたものが少しずつ繋がっていく
「おい」
ミナも気付いたらしい
レインは答えない
ただ焼印を見つめ続ける
石畳へ転がった香料袋は高級品だった
袋一つでも銀貨数枚になる
それだけの価値がある荷が、今この場所では当たり前のように動いている
王都運送組合の手持ちは小金貨二枚と銀貨九枚
だが目の前で止まっている流れは、その何倍もの金を生み出しているはずだった
なのに誰かは、その利益より大きな何かのために動いている
クラウスが見ていたものも、おそらくそこにある
レインはゆっくり顔を上げた
人々はまだ荷車の事故を見ている
商人は損失を計算している
御者は責任の押し付け合いを続けている
だがレインには別のものが見え始めていた
止まった荷車ではない
その向こうで動いている大きな流れだった
そして、その流れはまだ始まったばかりのように思えた。
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