第三十三話 南通り崩しと小金貨一枚銀貨九枚
翌朝になっても、ギドの表情は晴れなかった
普段なら朝から酒瓶を探している男が、珍しく倉庫入口近くへ腰を下ろしたまま考え込んでいるせいで、その様子に気付いたミナは荷札を束ねながら眉をひそめた
「まだ気にしてんのか」
「気にするさ」
ギドは低く答える
「嫌な匂いがする」
レインは帳簿から顔を上げた
「何か知っているんですか」
その言葉に、ギドは少しだけ黙り込む
倉庫の中では朝便の準備が進んでいた
組合へ入った運び屋たちが荷を積み込み、修繕所側では昨日持ち込まれた荷車へ新しい車輪が取り付けられている
少し前まで余り仕事を奪い合っていた人間たちが、今では同じ流れの中で動いている光景を見ながら、ギドは大きく息を吐いた
「昔の話だ」
そう言って椅子へ深く身体を預ける
「今から十年以上前、南通りに似たような連中がいた」
ミナは手を止めた
ギドが過去を語ることは珍しい
「そいつらも最初は小さかった」
荷車を数台持っただけの集まりだったらしい
だが帰り便まで埋め始め、街道ごとに担当を決め、少しずつ仕事を増やしていったことで、気付けば南側の物流をかなり握るようになっていた
今の王都運送組合ほどじゃない
だが勢いはあった
未来もあった
だから皆期待した
大型商会に頼らなくても、運び屋だけで生きていける流れが出来るかもしれないと
そして、そこへ現れた
ちょうど今みたいにな
ギドは契約書へ視線を落とした
ある日、大型契約が持ち込まれた
今まで扱ったこともない規模の仕事で、成功すれば一気に街道を広げられると言われたらしい
当時の運び屋たちは喜んだ
人も増えていた
仕事も増えていた
もっと大きくなれると思った
だから疑わなかった
ギドはそこで一度言葉を切る
倉庫の外では岩原馬の蹄が鳴り、朝便が街道へ向かっていく
その音を聞きながら続けた
「結果から言えば失敗だ」
ミナが顔をしかめる
「騙されたのか」
「証拠は最後まで出なかった」
その言葉に、レインが少しだけ顔を上げる
ギドは頷いた
「そこが厄介なんだ」
契約書は本物だった
依頼主も実在した
倉庫も存在した
荷だって用意されていた
だから誰も詐欺だと証明出来なかった
契約が始まった直後は何も問題が無かったらしい
むしろ運び屋たちは喜んでいた
仕事は順調に流れ、約束されていた荷も届き、街道へ出る荷車の数が増えるたびに誰もが成功を信じていた
だが数週間が過ぎた頃から、依頼主側は想定より荷が増えたとか、急ぎの便を追加したいなどと言いながら少しずつ条件を変え始める
断れるほど余裕は無かった
ここで断れば大仕事そのものが消えるかもしれない
そう考えた運び屋たちは流れを維持しようと必死になり、そのために新しい荷車を用意し、足りなくなった馬を借り、人手まで増やして対応を続けた
最初はすぐ回収出来ると思っていたのだろう
契約さえ終われば大きな利益が残る
誰もがそう信じていた
だから気付かなかった
増えた仕事よりも、流れを維持するために出ていく金の方が少しずつ大きくなっていたことに
そして限界が来た時、依頼主側は契約不履行を理由に違約金を請求した
利益を得るはずだった運び屋たちは逆に借金を抱え、その返済のために荷車を手放し、馬を売り、それでも足りずに仲間まで離れていったせいで、かつて南側で勢いを持っていた組織は誰にも看取られないまま消えていったらしい
倉庫の空気が静かになる
ミナは腕を組んだ
「それ、詐欺じゃねぇか」
「だから南通り崩しって呼ばれた」
ギドは苦い顔で笑う
「襲うんじゃねぇんだ」
その言葉は妙に重かった
「金を盗むわけでもない
荷車を壊すわけでもない
ただ相手が自分から手を伸ばしたくなる話を持ってくる」
ギドは契約書を指で叩く
「そして気付いた時には、もう戻れなくなってる」
ミナは嫌そうな顔をした
今の話が事実なら、相手は最初から運び屋を潰すために流れを作っていたことになる
しかも表面上は全部正当な契約だ
だから逃げ道が無い
やがてギドはレインを見る
「まだ同じ手口かは分からねぇ」
その声は真剣だった
「だが俺は信用しねぇ」
レインは何も答えなかった
目の前の契約書を見る
銀貨百二十枚
今の組合なら欲しい
欲しくないと言えば嘘になる
だが同時に、ギドの話も無視出来なかった
契約書そのものは綺麗だ
条件も無茶には見えない
だからこそ厄介だった
その日の夜も、レインは一人で帳簿を開いていた
鉱山区便の記録を見返し、工房区便の利益を確認し、過去の搬送量まで遡りながら数字を追い続ける
だが探しているのは利益じゃない
違和感だった
何かがおかしい
だがまだ見付からない
ランプの火が小さく揺れる
倉庫の外では夜勤組が帰っていく足音が聞こえる
それでもレインだけは机から離れなかった
そして気付けば窓の外が白み始めていた
だがその時になっても、まだ答えは見付かっていなかった
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