2. 家族との仲良し朝御飯
ルシフェルがくれたトーストは、思いのほか悪くなかった。
「……上手ね、ルシフェル」
『ありがとう、主』
この後行われる朝食ではあまり食べられないだろう。今食べておかなければ。
ルシフェルは呼び出されたときは畏まっていたが、二人きりになると驚くほどフランクな話し方をする。それが、私たちの大魔導士時代からの距離感だった。
「そんなことより主、ここはどこだ?」
赤い瞳を細め、ルシフェルが部屋を見渡す。
「アモリア王国の、ローゼンバーグ公爵邸。私の……13年後の成人式の前日に、殺されるはずだった場所よ」
私は淡々と答え、パジャマのままベッドを下りた。
「主を殺す奴がいるのか。……今すぐ、この屋敷ごと消してこようか?」
「いいえ、力の無駄よ。今はしっかり対策を練らないと。」
私は、ベッドサイドに置かれた呼び鈴を手に取った。
チリン、と高い音が静かな室内に響く。侍女を呼ぶ合図だ。
――だが、誰も来ない。
(いつもなら、来るはずのない侍女を待ち続けて……結局、朝食に遅れてお父様に酷く叱咤されたわね)
暗い記憶が脳裏をよぎるが、今の私にそんな感傷は不要だ。
もう一度、鈴を鳴らす。やはり、誰も来ない。
このままでは、また「時間も守れない無能」として、父たちの嘲笑を浴びることになる。
「……いいわ。」
私は着替えることもせず、パジャマ姿のまま部屋を出て、食堂へと向かった。
階段を下り、廊下を歩く。
その足取り、背筋の伸び、指先の動き――五回の人生ですべてを完璧に極めた作法は、五歳の幼女とは思えないほどの品格と圧倒的な美しさを醸し出していた。
重厚な扉を開け、朝餐の席へ足を踏み入れる。
そこには、公爵ヴィンセント、長男カシエル、次男ジュリアンがすでに揃っていた。
「……セレスティーナ。その格好は何事だ。ローゼンバーグ家の娘としての自覚がないのか」
父の、氷のように冷たい声が響く。
けれど、私は眉一つ動かさず、優雅に自分の席へと着いた。
「侍女を二度呼びましたが、反応がありませんでしたので。……お父様、お言葉ですが、使用人の教育が行き届いていない責任を、この私に問うのは筋違いではありませんか?」
カシエルの眉が、ピクリと動いた。
常に冷静な彼が、妹の放った「淀みのない正論」に、思わず言葉を失ったのだ。
「……セレスティーナ。その態度はなんだ。父親に向かって」
ヴィンセントがナイフを置き、低く威圧的な声を出す。
以前の私なら、この声だけで心臓が止まりそうになっていた。
だが、今の私にとって、この男の言葉は背景に流れる雑音にも等しい。
私は顔を上げることもなく、淡々と食事を進めた。
「事実を申し上げたまでですわ。それとも、このローゼンバーグ家では『真実』を口にすることが不敬に当たりますの?」
「っ……!」
父が絶句する。
十歳の長男カシエルは、冷徹な瞳で私を観察している。
「(……変わったな。怯えが消えた。それどころか、こちらに一切の関心を持っていない……?)」
そんな中、七歳の次男ジュリアンが、フォークを止めてじーっと私を見つめていた。
「なあ、セレス。お前……本当にセレスか? 中身、別人になってないか?」
食堂の空気が、一瞬で凍りついた。
「いつものお前なら、今ごろ泣きべそかいて『ごめんなさい』って震えてるはずだろ。……なんか、今のセレスは、化け物が皮を被ってるみたいで気味が悪いよ」
子供特有の、残酷なまでに鋭い直感。
だが、私はその言葉にすら、何の感情も動かなかった。
ただ事務的に、最後の一口を嚥下し、ナプキンで口元を拭う。
「……あら、そう? ジュリアン兄様は変なことをおっしゃるのね」
その言葉にジュリアンはたじろぐ。私はこの男がなぜ怖かったのだろう。
「……ごちそうさまでした」
そのまま音もなく席を立つ。
驚愕に固まる父も、思考を巡らせるカシエルも、不気味そうにこちらを伺うジュリアンも。
今の私にとっては、ただの可愛らしい赤ん坊となんら変わらない。
私は完璧な一礼を残し、パジャマの裾を翻して食堂を後にした。
廊下に出ると、影の中からルシフェルの声が響く。
『クク……主よ。あいつら、面白いほど困惑していたな。次はどうする?』
「……まずは、足元からよ」
一ヶ月後、アクシアという「不確定要素」がこの屋敷に現れる。
それまでに、私の生存圏を完璧に構築しなければならない。
自室の前に辿り着くと、そこには一人の女が仁王立ちしていた。
筆頭侍女のマーサだ。
彼女はアクシアに忠誠を誓う前から、私を「愛されない出来損ない」と蔑み、食事を抜いたり、冬場に冷水を浴びせたりするような、歪んだ愉悦を糧にする女だった。
「セレスティーナ様! 朝から鏡を叩き割り、あまつさえその汚いパジャマ姿で食堂へ行かれたとか! 旦那様がお怒りなのも当然ですわ!」
マーサが勝ち誇ったように、私の腕を乱暴に掴もうと手を伸ばす。
その指先が触れる直前、私は無言で彼女の額に指を突き出した。
「うるさいわ。マーサ。筆頭侍女のあなたが公女に物申せるとでも?」
「な。何を言っているんですか!?あなた様は私が公爵様に告げさえすれば終わりなのですよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶマーサ。
以前の私なら、その言葉に怯え、泣いて縋り付いていただろう。
けれど、今の私は――。
「……かもね。でも、私は貴女を今ここで殺せるわ?」




