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あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》  作者: 地底乃人M


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第五十二話

❀風估と地估❀




 時間軸は少しもどり、店舗(みせ)で会話をする風估と地估の声を聞きつけた雪里は、淡青(みずいろ)の傘を手にして顔をだした。


「なめこさん、お願いがあるのですが」


「おお、どうした少年。云ってみるがええ」


 雪里は、商品棚のあいだに佇む地估にペコッと頭をさげると、帳場に坐る風估へ、さくや亭に行ってもよいかとたずねた。


「天蔵のところへかね?」


「はい。この傘を、持ち主の螢介さんに返したくて……」


「ふむ、よかろう。外は雨がふっておる。そこの番傘をさして行くといい。気をつけてな」


「はい、ありがとうございます」


 二本の傘を手にして外出する雪里を見送り、地估は、あることに気づいた。螢介は、ずいぶん前に、少年の白い影を目撃している。川に落ちた日の夜、雪里は天蔵家に足を運び、螢介をさぐっていた。同級生になりすまして黒傘をとどけた少年は、雪里だった。



「笑止、人の世は愚かしい。血と(なみだ)の土地に、われ、ゆうぐれる」


「地估よ、あいかわらずだのう」



 詩情的な科白(せりふ)を口ずさむ地估は、しゃべり疲れたようすで首をり、奥へ姿を消してからだを(やす)めた。邪悪なタマシイを消滅させてきた十翼(かれら)は、冷静に「人間」と「自然」の境界線を見極める。丸腰の螢介など眼中にない。ゆえに、地估の感心はめずらしいものだった。雑木林にて商売をはじめた風估の狙いは、さくや亭の幽闇(くらやみ)である。炎估とはべつの意味で、注意をはらっていた。螢介のように実体を持っているうちは、タマシイにはにおい(、、、)が存在する。だが、風估ともあろうものが、亭主のタマシイを嗅ぎ分けられずにいた。



「う~む、どう考えてもおかしいのう。臨終(いまわ)のタマシイが灼けるにおいを嗅ぎつけた炎估でさえ、慎重になりすぎておる。……あの亭主は只者(ただもの)ではないのう」



 算盤をはじく風估は、天井をささえている太い柱を見つめた。始まりは大樹であった、はるか昔の物語に思いをはせる。泥にまみれた混沌の時代、終わりのない日々に太陽の光があらわれたとき、民衆は抱きあって、心がはりさけるまえにことばを交わす。すべての考えを黙らせるものは、とりわけて、大きな風を吹かせる。



「きみよ、つぶやきたまえ。われらは、眼をさましはしないだろう。いろどり豊かな季節より、暗やみが、われらの心をとらえる。そこにいてくれたまえ、いつの日も、ずっと向こう側で微笑(ほほえ)えむものよ。そこにいて、動かないでくれたまえ……」



 地估の口真似をして笑い声になる風估は、「やれやれ」と溜め息を吐いた。なにが(ゆる)せないのか、なにをもって(ゆる)すのか、千百を生きる風估にとっても悩ましい涯底(そこい)だった。


 ひとり静かに周囲からとり残されるタマシイは、現実ではなく幻覚に生きる。それを哀れだと思う連中は、まっとうな人生を歩んでいるのだろうか。


 雨がふっている。雑木林の空気は常に湿っていたが、樹木の根が腐ることはない。思いだしたかのように、ときおり、枝葉のすきまから太陽の光が射す。


「……日照、どこにおる。われらに、そなたの声をきかせておくれ」


 十翼が()がれる存在は、(うつわ)となる人間のタマシイが朽ちるまで、姿(なり)をとることはできない。亭主の闇が深くなるとき、ひとつの(かばね)に、ふたつのタマシイが宿る。十翼であれば、だれしも日照の再誕を歓迎するが、炎估の考えは少し変わっていた。


「うっかり迷いでるか、くらやみの亭主よ。せいぜい、同族(うから)に気をつけるがええ」


 奥の間で横になる地估は、定めなき人と異形との境界に思いをはせた。




〘つづく〙

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