第26話
ボクはクリスと一緒にヴィンセントが待つ客室へ向かっていた。彼女の手にはもちろん三号が抱えられている。
(一体、何の用だヴィンセント!)
お茶会で大喧嘩して啖呵まで切ったのに、婚約してくるという不可解な行動。
人生を周回している中で、今回ばかりはヴィンセントの行動が読めなかった。
(クリスに婚約を申し込むことすら腹が立つっていうのに! それに打診を蹴った相手の屋敷に普通は行かないだろ!)
ボクは彼女が抱えている三号に目が入った。
「クリス、クリス!」
ボクはクリスが振り返ったタイミングで、彼女の額に口づけを落とす。
突然だったからかクリスが驚いているけど、ボクは三号にも同じように口付けた。
これで思念通話が開通した。
「さぁ、思念通話もできるようになったし。行こうか……クリス」
思念通話さえできれば、クリスと人知れず会話が可能になる。それにクリスの言動が読めない時もあるしね。
ボクは後ろからクリスの首に腕を回して、抱き着くような形でついて行く。もし、ボクの姿が見える人がいたら、きっと亡霊と勘違いするだろう。
(ジェット、今回は何もしないでよ?)
そんな彼女の心の声が聞こえ、ボクは即座に答える。
「何もしないさ。アイツが何もしなかったらね」
そう、何もしなかったらね。もし、またクリスに暴言を吐くなら三号として戦ってやる。たとえ、アイツが極度の口下手だったとしてもな!
ヴィンセントが待つ部屋に着いてドアを開けると、ヴィンセントが偉そうに足を組んで待っていた。
「お待たせしてしまい、申し訳あ……」
「ヴィ~ンセぇ~ントぉーっ!」
クリスの挨拶を遮るようにして、ボクはヴィンセントに突撃する。
「婚約蹴られたくせに、セレスチアル家に来るなんていい度胸だな! 偉そうに足組んでるけど、短い足で頑張ってるのは見え見えだからなぁ!」
帰れ帰れ! ボクとクリスの時間を邪魔するなんて許さないぞ!
もちろん、ヴィンセントはボクの姿が見えていない。この部屋にクリスとメイド以外の存在がいるなんて露ほどにも思ってないだろう。
「なんだ?」
「あ、いえ。お待たせしてすみませんでした。お越しくださりありがとうございます」
そう言って淑女の礼をする彼女を背に、ボクはヴィンセントを威嚇する。
「お前、しつこいからいつもフラれるんだぞ!」
コイツは毎度毎度、あの女に恋をするが、結局振られて終わることが多い。きっとしつこいからに違いない。
見えないながらにもボクはヴィンセントを威嚇していると、クリスがボクの襟首をつかんでソファに座らせた。
(ジェット、落ち着いて)
思念通話でクリスの声が聞こえてくる。
ボクを宥めようとしてくれているのは分かるけど、ボクは絶対にヴィンセントを許せない。コイツは敵だ。
頬をぱんぱんに膨らませてボクはヴィンセントを睨みつける。
「今晩、ピーマンの肉詰めしか出ない呪いを掛けてやるからなぁーっ!」
この間はクリスに止められたせいで、ヤツの食卓にピーマンを並べる呪いをかけ損ねた。今度こそ、呪いをかけてやる。
「お城でのお茶会以来ですね」
クリスは淑女らしくそう口にしているが、ボクにはクリスの本音が分かっている。
ボクは、彼女の分まで気持ちを込めてこう言った。
「何しに来たんだ、帰れよ」
室内には緊張した空気が広がっている。そりゃ、大喧嘩した相手が訊ねてきたら、そんな空気にもなるか。
沈黙の中、先に口を開いたのはクリスだった。
「お茶会では大変失礼しました。また私、貴方を……」
「それはいい。もう気にしてない。それよりもだ!」
ヴィンセントは私をビシッと指さして睨みつけた。
「オレと婚約しろ! クリスティーナ・セレスチアル!」
(なんで⁉)
クリスのそんな叫びが聞こえてきた。
それはボクも同意見だ。ふざけて言っているのだろうか。それとも新手の嫌がらせか。
しかし、クリスを見つめるヴィンセントの目は真剣そのものだ。
(一体どういうつもりかなぁ……?)
クリスのようにヴィンセントの頭がおかしくなったのだろうか。何かショックを与えれば、元に戻るかな?
ボクは穏やかな心でクリスの袖を引いた。
「ねぇ、クリス……コイツの口にピーマンねじ込んでいい? ショックで少しはまともな頭になるかもしれないよ?」
(やめなさい……)
ボクは内心で舌打ちをする。いい案だと思ったんだけどな。
「ヴィンセント様。たしか婚約の件は先日お断りしたはずですが?」
「そうだぞ。フラれたんだから大人しく枕を濡らしてろよ!」
普通断ったら諦めるだろ! しかも、親を通して断ってるのに、何を考えているんだ。
クリスの言葉にヴィンセントはなぜか不思議そうに答える。
「何を言ってるんだ。だからまた申し込みに来たんだろ?」
「お前が何言ってるんだよ。クリスはボクが予約してるんだ。あまりふざけた事を言ってるとピクルスするぞ?」
(やめなさい)
クリスがそう言うが、ボクは二度とクリスに婚約を申し込めないよう、ヴィンセントをピクルス瓶に閉じ込める計画を練る。
ピクルスの材料ってなんだっけ?
「ピーマン、ニンジン、きゅうり、お酢、鷹の爪、それからヴィンセント」
よし、後はヴィンセントが入るだけの瓶を見つけるだけだな。
そんなことをボクが考えている横で、クリスはヴィンセントに話しかけていた。
「ヴィンセント様、いくら婚約を申し込まれても、私一人では決められません。お父様にもお話を通さないと……」
「お前の父親に聞いたら、お前が嫌だって言ったから断ったって言ってたぞ?」
(コイツ、クリスパパにも直談判したのか⁉)
ヴィンセントのしつこさをなめていた。このまま断り続けてもクリスに婚約を迫るのではないだろうか。
やっぱりヴィンセントピクルス計画を進める必要がありそうだ。
「ねぇ、クリス。コイツが入れるくらいの瓶ってセレスチアル家にあるかな?」
ついでに保管場所もあるといいな。いくらヴィンセントがちびでも、瓶は大きいしね。
クリスはボクの質問に答えないまま、淑女の顔でヴィンセントに訊ねた。
「あの、ヴィンセント様? 私達、喧嘩をしましたよね? あの時、ヴィンセント様は怒って出て行ってしまわれましたし、私は嫌われていると思っていたのですが?」
(そうだそうだ! お前はあの時、クリスに啖呵を切っていっただろ!)
周りのメイド達も「うんうん」と頷いている。
しかし、なぜかヴィンセントは眉間に皺を寄せて首を傾げていた。
「なんだ、分からないのか?」
「分からないも何も。ヴィンセント様は『お前をぎゃふんと言わせてやる』って言ってたじゃないですか」
クリスがそう言うと、ヴィンセントは「ふふん」と鼻で笑って胸を張る。
「そうだ。オレはお前をぎゃふんと言わせ、小さいと言った事を後悔させるべく婚約を申し込んだんだ」
「なんだよ、嫌がらせかよ」
吐き捨てるようにボクは言ったけど、クリスは至って冷静だった。
「だから、それと婚約が何の関係あるんですか?」
「よく聞けっ! クリティーナ・セレスチアル!」
ヴィンセントは勢いよくテーブルに両手をついて、身を乗り出した。
「オレは確かに小さい! お前に背も器も小さいと言われた! だけどな、オレの父さんは背が高いし、将来的に男のオレはお前より大きくなる!」
「はい、そうですね」
まあ、男の子だからね。女性より大きくなる割合の方が高いだろうね。
「そして、オレを馬鹿にしたお前に婚約を申し込む器の大きさを見せつけた! さらに婚約者として一緒に遊んだり、出かけたり、お茶会したりして、オレの良さを思い知らせてやる! さあ、オレと婚約しろ! クリティーナ・セレスチアル!」
ヴィンセントが早口でまくしたてると、ボクを含め、この場にいるみんながぽかんとした。
アイツが「どうだ、オレは器が大きいだろ!」と自信満々に胸を張るのを見て、ボクはお茶会で見たヴィンセントの心の色を思い出す。
(ヴィンセント……本当にお前ってヤツは! ただクリスと仲良くなりたいだけだろ!)
ああ、頭が痛い。あんな啖呵を切っておいて、一体何がどうなってこんな結論が出るんだ。
「コイツ、バカなんじゃないの?」
別に婚約にこだわらなくてもいいだろ。
さてはお前、結婚や婚約の意味をよく分かってないな? ずっと一緒にいるくらいにしか思ってないんだろ? 絶対にそうだ。だって、ヴィンセントくんは今、八歳児だもんね?
(くっ! この場をどう乗り越えるべきか……)
クリスを見ると、彼女なりに何か考えていたのか、恐る恐るヴィンセントに言った。
「あの、ヴィンセント様」
「なんだ、婚約する気になったか?」
「友達じゃダメなんですか?」
ヴィンセントにとって、その提案は予想外のものだったらしい。目を大きく見開いて驚いていた。そして。ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
「友達?」
「はい。ヴィンセント様は一緒に遊んだり、お茶会をしたり、お出かけをしたりして、私に貴方の良さを教えてくださる。つまり私と友好を深めたいのですよね? それならお友達から始めるのはどうでしょうか?」
「友達……」
ヴィンセントはぽつりとそう呟くと、しかめっ面だった表情がまるで霧が晴れたように明るくなる。
(やっぱりクリスと仲良くなりたかっただけか……)
どうにか折り合いがついてよかった。
(コイツはどこまで不器用なんだ。いや、今は八歳児だから、仕方ないけどさ……)
ヴィンセントは落ち着きなく、わたわたと手を動かしている。本当に嬉しそうだな、お前。
「そ、そうだな! と、友達でも構わないぞ!」
「そうですか、それでは今日からお友達ですね」
クリスが手を差し出すと、彼は顔を真っ赤にしながらもその手を握った。
「おう、よろしくな!」
「はい、よろしくお願いします」
(あーあ、結局ヴィンセントと友達になるのか……)
話が済んで、ボク達はヴィンセントを見送った。
「いいか、お前はオレの友達一号だからな! 今度一緒に遊べよ! お茶会に誘ったらちゃんと来いよ! 約束だからな!」
よほど友達ができて嬉しかったのだろう。馬車が発つまでそんなことを言っていた。
(クリスに友達……友達か……やっぱりアイツをピクルスにすべきだったな……)
本当だったら、クリスがヴィンセントと友達になるのは二年後のはずだった。
それなのに、もう友達になるなんて。
彼女に友達ができるということは、ボクと過ごす時間が減るということだ。
ボクはクリスの友達だけど、彼女以外見えることができない幻想の友達だ。クリスが誰か一緒にいれば、ボクはちょっかいをかけることができても、一緒に遊びに混ざることも会話に入ることもできない。
あと二年もあった二人きりの時間が一気に少なくなった。
(なんで、アイツばかり……ヴィンセントのバーカ!)
ボクは寂しくなった心に喝を入れて、気持ちを切り替える。すると、馬車に向かって手を振っていたクリスがボクに振り返った。
「何とかなったわね。ねぇ、ジェット……うわっ!」
おや? ボクの淑女は何を驚いているのかな?
淑女の笑みが保てないくらい、顔を引きつらせているじゃないか。
ボクはただ、笑ってるだけなのに。
「ジェ……ジェット? ど、どうしたの?」
「別に~! アイツをピクルスにし損ねたなって思ってただけだよ」
ボクは「残念だな~、残念だな~」と口にして、後ろからのしかかるようにクリスの首に腕を回した。
そして、彼女をぎゅっと抱きしめ、膨らませた頬を押し付ける。
「別に……クリスに友達ができたから、ボクと遊ぶ時間が減っちゃうなぁ~とか……思ってないよ? 本当に思ってないよぉ~」
ぐりぐりと頬を押し付けながら、寂しさを全力で訴えると、クリスはボクの頭を撫でた。
「大丈夫よ、ヴィンセント様だって毎日来るわけじゃないんだから。ジェットとは今までと変わらずに遊べるわよ。ね?」
「…………本当?」
ヴィンセント、しつこいからな。毎日来るんじゃないの?
でも、クリスはボクの不安を吹き飛ばすように笑って見せた。
「うん、本当。それにジェットともっと遊びたいし、もしいなくなっちゃったら寂しいって思うわ。ジェットは私の友達で、ずっと私と一緒にいてくれるでしょ?」
いつもだったらすぐに出てくるはずの軽口が、急に出てこなくなってしまった。
ボクだって、クリスと会えなくなったら寂しい。
ずっと一緒にいたいよ。
この時間が終わらないまま、君と遊んでいたい。
ずっと変わらず、そのままの君でいてくれたら……。
「ジェットは違うの?」
「ボクは…………」
ぎゅっとクリスに抱き着き、曝け出したい感情の代わりにため息を吐き出した。
「ボクにとって君は……初めての友達で、ずっと大好きな人だよ」
「え……?」
クリスが驚いたようにボクに振り返った。
見開かれた彼女の瞳には、愛おし気に見つめる男の顔が映っている。
──ああ、ダメだ。今のボクは悪魔ジェットなんだから。
ボクは自分を笑い飛ばすように失笑し、クリスを抱きしめた。
「なーんてねっ! 驚いた? 驚いた?」
「ジェ~ットぉ~?」
どうやら彼女はボクが冗談を言ったのだと勘違いしてくれたらしい。
「ボクは悪魔だよ? 騙されないようになしなくちゃっ! おバカな、クリス」
ボクはぐりぐりと頬ずりをすると、さっと彼女から離れた。
「ボク、そろそろ帰るね? またね、クリス」
ボクは魔法で自分の姿を消して、その場から離れた。
(あー、危ない危ない。あまり感傷に浸るのはよくないね)
大丈夫。まだ時間がある。ボクはこの幸せな夢をまだ見ていられる。
ボクは自分にそう言い聞かせ、顔を上げた。
(それにしても、ヴィンセントがこんなに早くに彼女の友達になるとは思ってなかったな。正直、友達にならないでくれていたら……いや、シヴァルラスと関わるならそうもいかないか)
でも、なんとなく納得がいかないボクはクリスに八つ当たりをすることにする。
(今晩の夕食に出る人参。食べても食べても減らなくなぁ~れ!)
第26話 友達




