第38詩・素敵な色
団長の部屋のすぐ隣へと案内されると、そこはエタの為に環境を整えた個室だった。
そこで椅子に座り、机に向かって背を曲げる。フェリはその背筋に触れ伸ばさせた後、机の上に大量の本とノート、筆記用具と様々な勉強道具を用意する。
フェリ・フラーテルによる、エタ・ウェーナートルの教育が始まった。
なるべく、子どもに伝わりやすく説明しているつもりなのだろう。けれど監獄で教わった知識よりも難易度が高く、エタはずっと頭を抱えた。出された問題を理解するのにどのくらいの時間が必要になるだろうか、出された問題を解くのにどのくらいの時間が必要になるだろうか、フェリの言葉を理解するまでにかかる時間も、あまりにも長くなることだけは理解できた。
わからない。わからない。と悩みながら、どうにかわかろうと思考を巡らせる。
フェリは一時間ほど経つと珈琲牛乳を淹れてエタに差し出す。休憩時間だ。団長にそこまでさせてしまうと流石に申し訳ない気持ちと、今までのフェリへの印象から、どうしてここまで親切にしてくれるのだろうかと疑問が浮かぶ。
けれど、それを理解するのにも、それの解答に辿り着くのにも時間はかかるのだろう。
休憩時間を終えると、エタはのめりこむように勉学に励んだ。
途中、申し訳ない気持ちが勉学の邪魔をする。きっと、他の子ども達は勉学ではなく訓練に励んでいるのだろう。当然ながら騎士団の訓練とは厳しいものだ。掌は血が滲み、足は動かなくなる、思考しながら動く難しさ、自分は大したことない人間だと打ちのめされるほど理解させてくる。
だからこそ、今そんな思いをしている彼らを差し置いて、『化け物』である自分がここにいていいのだろうかと。
エタを選んだのはフェリだ。団長命令なのだから仕方がない。けれど、けれどとエタは頭を悩ませる。フェリはエタが勉学に集中できていないのを察し、いつの間にか手にしていた短鞭で机の上を叩く。ビクッと肩を震わせてから、エタはしまった、という顔をした。
「今は机の前以外のことは気にするな」
すみません、と小さく頭を下げる。
再びエタは手を動かし、思考した。
もう日が沈む頃だろうか、休憩を挟んでいるとはいえエタはだいぶ疲労していた。フェリはまだ続けるつもりでいたが、扉を叩く音が聞こえ口を閉ざした。
誰かがやってきたようだ。
フェリは席を外し、暫く部屋の外で部下と言葉を交わすと、戻ってきた。
「急用だ。貴様も今日はもう休んでいい。食事は俺のキッチンを使っても良いが――食堂にいくなり、風呂に入ってから寝るなり好きにしろ。ああ、寝る前に歯は磨いておけよ」
「……わかりました。色々とありがとうございます……」
気にするな。とたった一言返して、フェリは部屋から去って行った。
エタの為に用意された個室は何故か団長の部屋と扉を挟んで繋がっており、喜ばしいことに洗面所も風呂場も、トイレもある。監獄の個室や他人との寮生活はここまで一人で暮らせる場所ではなかった為、エタは少しばかり浮かれていた。
一日中思考し続けてすっかり疲れている。お腹は空いているような、そうでもないようなといった感じで、それよりも先に風呂に入りたかった。肌を誰かに見られることを恐れる必要のない風呂というのはエタにとって(記憶がある中で)初めての経験だった。
風呂に入る前に、そういえば、と部屋のタンスをあけてみる。驚くことにそこにはサイズぴったりの服や下着まで用意されていた。どうしてここまで、と思ったが今は深く考えず、パジャマっぽい服を選んで風呂へと向かった。
監獄の風呂とは違う仕様に少しあたふたしながらも大事なく風呂を追える――はずだった。
入浴を終え、身体を拭いていると部屋から物音がした。フェリが戻って来たのか、いやそれほど時間はかかっていない筈で、フェリはまだ仕事中だろうとエタは推測する。それなら部屋にいるのは誰なのか……とりあえず下着を履こうとしたその時、風呂場への扉が思い切り開かれる。
「ここ部屋に勝手に棲みついているのはどこの誰かしら!?」
「お、女ッ……!!??」
「きゃああああああああなんで裸なのーーーー!!??」
「おっ、お前が開けたんだろ! 閉めろクソ!!」
(こいつ大人じゃねぇのかよ、餓鬼の裸ででっけぇ悲鳴だしやがって……)
「お前ですって!? もー! 姫を誰だと思っているの!? パンツ履きなさい! お説教はそれからです!」
言われなくても、とエタは急いで服を着た。
その後、まじかよ……と深くため息をつく。
扉を開けたのは十二臣将の一人にして五番目のクイーンだったのだ。
(この頭悪そうな女が……そんな偉い人なのか……ああいや、でもこの目立つピンク髪……確かに監獄のほうに来てたかもな……)
「貴方、どうしてここの部屋を使っているの!?」
「どうしてって……フェリ団長に、この部屋を案内されて……使っていい、と……」
「……!!!!」
クイーンは驚愕した勢いで身を引いた。
「団長が、ここを……!? そう、そうなのね……貴方の言葉からは嘘の匂いはしないし……事実なのね」
(嘘の匂い……?)
「まあ、そういうことなら、うん……ごめんなさいね?」
クイーンは頬までピンクに染めて目を逸らしながら謝罪する。エタはまあいいですよとあしらった。気付くと、クイーンは申し訳ない表情から何かに魅かれたような表情に変わっていた。
エタが、なんですかと聞くとクイーンは思い切りエタの顔に顔を近づける。
「な……!?」
「貴方、風呂上がりよね? どうして色落ちしていないの? 綺麗な白……いえ、いえ、もしかして髪の毛、自前かしら……!?」
「……!! やめろ!」
色の話をされ、反射的に上司であるクイーンを強引に振り払う。ハッとしすぐ謝罪しようと思ったがクイーンはそれにはさほど気にしていない様子だった。
「否定しないってことは地毛なの? 肌の色も、透き通るように白いわね」
「………………なんなんですか。だいたい、貴方こそどうしてこの部屋に? いったい何の用があってきているんです?」
「用? 用は無いけど」
その言葉に、思わず、は? と返してしまう。
クイーンは用も無しに、勝手に他人の部屋に入り、挙句に少年の裸を見て勝手に悲鳴を上げたのである。エタからすれば迷惑極まりなかった。
「パパがね、十二臣将としての自覚をもちなさーいってうるさいから。いろんなとこ逃げまわった後、誰も住んでないこの部屋に来たの。ああでも、逃げ場としての用はあるかもしれないわ?」
「……なんだそれ……」
「それよりも、それよりもよ! 貴方の髪が姫、すっごく気になるわ? だって、とっても素敵! 姫が乾かしてあげるから、椅子に座りなさいな。ふわふわとしたらもっと可愛くなるはずよ!」
「は――――素敵とか、可愛いとか、何言ってんだアンタ……ああもう、敬語も面倒……!」
「タメでもいいわ。貴方の色、素敵だもの。姫、個性的な子が好きなの。金も茶も黒も、確かに綺麗だけど、自由度が足りないっていうかあ地味っていうか……周りと被るの、なんだか嫌だわ? 姫はピンクが好きだから髪色をピンクに染めたのね! 瞳だってほらカラコンとかいろいろして――」
自分の色を嬉々として語りだすクイーンに、エタはヒビが割れるような胸の痛みを覚えた。押し殺す様な声でエタはクイーンを拒絶した。
「………………部屋から出て行ってくれ、お前とは一緒にいたくない」
「? ……?? どうしてそんなこと言うのお!?」
「じゃあお前はどうして俺に……!! ……ッ、どうでもいい、さっさと出てけよ!」
「なあにぃ? 怖い顔だわ。どうしてみんな、姫のこと怒るの……?」
(みんな……?)
コンコン、と扉から誰かの手の甲で叩かれる音がした。聞き覚えのある声が中にいる人物に伺う。
「トレースだ。クイーンの声が聞こえた、エタ、中に入ってもいいだろうか」
「先生……ど、どうぞ……」
「ちょ、ちょっとお!? 何勝手に許可してるのお!?」
クイーンの意思は関係なしにトレースは扉を開けた。
「クイーン、仕事はどうした。いつまでも遊びまわっているな。そんな余裕、今の世界にないのだぞ」
「パパあ! やだやだあ、姫は自由が欲しいのー!」
エタはクイーンの言葉に驚愕する。
「ぱ、パパって……!?」
「あら。言ってなかった? 姫のパパはここのお医者さん、トレース先生なのよ」
「……私の娘が迷惑をかけたようですまない、エタ。すぐに連れ出すので安心してほしい」
なんでよお、とクイーンは反抗する。
しかしトレースの杖が床を突くと、クイーンはすっかり大人しくなり、ゆっくりとトレースの後ろに回った。エタにクイーンの行動の意図は読めなかったが、トレースは、それでいい、とクイーンの頭を優しく撫でた。
「では、エタ、邪魔したね。寝る前に、夕餉は済ませておくといい。食は生命活動において重要な要素だ。一食くらい、などとその年齢でぬかすんじゃないぞ」
「……はい、わかっています。大丈夫、です」
「そうか。なら今度こそ、さよならだ。おやすみ、エタ」
そう言ってトレースは部屋の扉を閉める。その間、クイーンはエタに小さく手を振っていた。
二人が去り、先程まで勉学に励んでいた椅子に座った。
クイーンの言葉を思い出す度、胸が酷く痛み、思考はぐちゃぐちゃになる。
きっと彼女はトンカチで、言葉は釘、エタの心は板なのだ。木がボロボロだと、トンカチは気が付かない。釘が刺さる度に直るのではなく壊れているのだと、彼女は気が付かない。
――しかし、果たしてそうだろうか。
(……俺は……壊れて、ない……)
本当に彼女はトンカチなのか、言葉は心にどれだけ突き刺さっているのか。もし、本当にエタの心に釘が打ちつけられているのなら、寧ろ――その言葉は真摯に受け止めるべきなのではないのか。
エタ自身、自分でもよくわからない思考が散乱としかける。
“だって、とっても素敵!”
(……あんな女の言葉に、ときめいたりなんてしねぇ…………けど……)
自身の髪に触れる。
白く、老人のような髪で、忌み嫌われたものだと自分ではその程度の認識しかできない。ああ、でも、確かに――この髪を普通だと、そういうものなのであって君は人間だと、そう受け止めてくれる人間は居た。
アンリ。トレース。そして――――、
「トキト……」
天草時人。
デケムとの決闘まで残りわずか7日。




