第35詩・新しい家族
時人が体力向上の為走りはじめて5日目。
昨日とは違い、レヴィと共に森の中へと走り出した。
「昨日は魔獣に襲われたんですって? 無事でよかったわ」
「ああ。前見た熊が通りかかったらどっか行って助かったよ」
「そう、臆病な魔獣だったのね。本当に良かった。トキトには竜王の血が流れているから襲われないかも、なんて思ったけど……油断大敵ね」
「そうだね……」
(……確かに。ザッハークさんとオレの違いって……いや、匂いから違ってたりするんだろうな……)
時人の身体は元々普通の人間と変わらない。そこに竜王の血が流れているとはいえ竜王と同じモノだと思われることはないのかと時人は考える。
この日の走りはそれ以上何事もなく、マラクとオルフェの相手も終わらせ、時人は汗だくの状態で家に戻る。すると珍しい事にリビングにザッハークの姿があった。
「あ、ザッ、ハーク、さん……」
その名前を口にして思い出す。
レヴィと走りはじめて初日の事だ。竜王の名前が偽名かもしれないと。ドラゴンにとっては名前はとても大切なものだから偽名では呼ばないと。
時人は少し名前を言いきることに躊躇いをみせた。それに竜王は目を細くした。
「…………何か妙か?」
「えっ!? い、いや、そういうわけじゃないです…………竜王こそ……仕事帰りですか?」
「時人」
「は、はいっ」
「オマエは私の事を竜王と呼ぶな」
「……えっ?」
意外な発言に時人は目を丸くした。
もし仮に偽名であるならば呼び方にそこまで踏みいってこないかと思っていたし、いわれても理由を問われると思ったが、"竜王と呼ぶな"と言われるのは予想外だったのだ。
「おおよそ、レヴィから聞いたのだろう。私は確かにザッハークではない」
「そ、それは…………はい。でも、竜王」
「竜王と呼ぶな。私はその呼ばれ方は好きじゃない」
「そうなんですか? じゃあ、なんで……」
「私が言い出したわけじゃない。ティアマトが……レヴィの母である竜の王が亡くなった後、自動的に古き竜である私が王になったというだけ」
「…………聞いても、いいんでしょうか」
「オマエの問いを制限する権限は私に無い。私は答えられるものには答えるし、答えられないものには答えないだけだ」
要するに聞きたいことは自由に聞け、答えるかどうかは別だとザッハークは言う。時人は少し間を空けて問いを投げた。
「どうして偽名を使っているんですか? 竜王と呼ばれるのが嫌なら、本当の名前を名乗るのが一番だと思います。その、ドラゴンは……」
「ドラゴンは名を大切にするから偽名は呼ばない、か。それは私が一番理解している。だから、ザッハークは人間が呼ぶ私の名だ」
「……人間が呼ぶ?」
「ああ。ザッハークは私の名ではない──が、全く無関係でもない。限りなく私という存在に近い者の名だ……人間にとってはな」
理解が追い付かず、時人は少し困った顔をする。ザッハークはそんな顔を見て珍しく微笑んだ。
「オマエは人間なのだから、私を王と呼ぶのではなく、名で呼べという話だ」
ザッハークは時人に近付き、細い指で髪に触れる。
「……ベリアルに会ったのか。"加護"がついてる」
「……ッ……えっ!? なんでわかっ……か、カゴって……!?」
(ベリアル、オレの髪になんか付けたのか!? あれ、でもレヴィ達には全然……なんも言われなかったよな?)
「…………オマエが付けられたのは多少、危険を回避できる加護だ。階段から落ちたり意味なく転んだり、そういった不幸に遭う確率が下がる程度のな」
「そう、なんですか……? あの……怒っていませんか? ベリアルと会ったこと……」
「オマエがベリアルのことをすぐ誰かに話さなかったのは何か理由があるのだろう。それを無視して怒る事などしない……いや、寧ろ話さなくて正解だった」
「正解?」
「ああ。オマエは難しい立場にいるからな。神の墜とし子が、竜王の血が流れる人類の英雄がベリアルを退治しなかった……戦わなかったことが伝わるのはとてもよろしくない」
「?」
「時人。オマエには自覚がないだろうが、オマエをただの子どもと変わらない力しかない事を知っているのは極少数だ。人類とドラゴンのほとんどはオマエが特別な存在で、それも特別な力でこの世界を救うと信じきっている」
「えっ……!?」
「勝手だろう。ああ、本当に勝手だ。だが侮れん。話せばわかるわけでも、見せればわかるわけでもないからな」
「多くは何かと理由を付けてベリアルと戦わなかったオマエを批判していたはずだ。酷い者は敵対視するかもしれん。神の墜とし子は天使側で世界の敵、とかな」
「…………」
その言葉に時人は顔を青ざめた。
もしベリアルの言葉を無視してレヴィや他のドラゴンに話していたら、必ず広まっていた。
ベリアルがどれ程すごい存在なのか時人自身目にしている。熾天使が野放しにされているとわかればドラゴンは騒ぎ、街の人間の耳にも届いていたはずだ。
そんな風に広まり、時人は何もしなかったと知られれば──。
全ては憶測だが、ザッハークが言うと本当に起こり得た事実に聞こえ、時人は息がし辛そうに俯いた。
「己が思う己の立場を、周りに勝手な解釈をされるのはさぞかし恐ろしいだろう。私は不愉快だった。だが私もオマエもそう振るわねばならん」
「……なぜ、ですか。本当のことを話せば全て解決するのに……」
「理解してくれると思うのか。赦してくれると思うのか」
「ゆ、赦すって、オレもザッハークさんも何も悪いことはしてないでしょう!?」
「相手はそう捉える。そういうものだ。勝手に期待し、勝手に解釈し、そしてそれが誤りだったとすれば騙されたと感じる。勝手に失望し、勝手に罪にして、そして追放を求めるのだ。人類全てがそうではないが、同時に全てが理解するわけではない」
「…………それは、わかる気がします」
脳裏にかつての両親の姿が浮かぶ。
勝手に期待され、勝手に失望された色鮮やかな記憶。人間にはそういったところがあるのは時人自身、身に染みていた。
でも、と反論する。
「周りの思うように振る舞う必要ってありますか。オレには力がないのに、ザッハークさんは竜王と呼ばれたくないのに、そう振る舞っても結局『なんでアイツは言わなかったんだ』ってなるんじゃないですか?」
「ではオマエは人類の希望を打ち砕くのか。自分は世界を救えないと、全人類の目の前で言えるのか。オマエの目覚めを期待し、過酷な日々を耐え、家族や友の死を乗り越えた人類の目の前で、オマエはオマエの真実を語れるのか」
「──ッ!!!」
"そんなの"、と腹の底から声が出そうになったその時、ザッハークの長い両腕が時人を力強く抱き締めた。
「……あ、……ぅ…………」
抱擁され、胸の奥底から感情がこみあげるように涙が浮かび、うまく声が出せなくなった。ザッハークは優しく小さな背中を擦る。
「──すまない、私がこの身体を生かしたばかりに、オマエには辛い想いばかりさせてしまうことになる……」
そして小さく囁いた。
「この世界にいるのが耐えられなくなったら、帰る道が出来るまで別の世界にお逃げ。そこにはレヴィもエタもいないが、ここよりは息がしやすいだろう」
その言葉に時人は小さく首を横に振り、短い腕をザッハークの背中に回した。
「…………オレ、まだ頑張れるよ。ここにはレヴィもエタも、貴方もいるから」
(……初めてだ)
──そうだ、初めてなんだ。
時人にとって親や保護者という忌々しい存在に、家族という呪いのような絆に、
(こんなにも優しく抱きしめてもらえた)
あの、と時人は頬を緩めてザッハークに問いを投げる。
「母さんって呼んでもいいですか?」
***
風呂に入り、食事を済ませ、明日に備えて布団に横たわる。
──何故『母』なのか時人にもわからない。ただ父親よりは、母親と呼びたい気がしたのだ。
『竜王』であるのが貴方の思う立場じゃないのなら。
『ザッハーク』が貴方の本当の名前じゃないのなら。
『オレ』だけは母親と呼びたかった。
時人が眠りにつく頃、ザッハークは青い花を見つめながら考えた。
(母さん、か……)
不思議と不愉快ではなかった。
けれど、ただただ不安が募る。
(私が、母。あの子にとって最も母に近い存在……私が……)
「我が子を殺した私が、他人の母親か」
***
走りはじめてから6日目の朝。
ザッハークがいうには今日で地獄の体力作りは最後だ。時人は気合いをいれて起き上がり、リビングへとかける。
そこにザッハークの姿はなかった。
「……母さん、もう仕事かな……」
(おはようくらいは言いたかったな……)
仕方ないか、と時人はいつも通りの朝を迎えた。
森のなか、昨日のように二人で会話をしながら走っている最中、レヴィがあることに気が付いた。
「……トキト、体力ついたんじゃない? 前は走りながら喋るともっと辛そうだったでしょ」
「え? ……ああ、確かに……初日よりは遥かに、楽に走れてると思うよ」
「よかった~こんなに走ってるのに体力つかなかったら意味ないものね。トキト凄いわ、疲れだけがたまる日々になっちゃうんじゃないかって本当は少し不安だったのよ」
「あ~わかる、オレもそう思ってたんだけどさ、ほら」
時人は走りながら自分の足を指差した。
「脚が前よりちょっと太くなってきてる気がする。オレの身体、何かと回復が速いんだけど、もしかしたら身体の成長も速いのかも」
「な、なあにそれぇ、ちょっと便利すぎるわよ。ま、まあ? トキトがアタシより強くなることは……まだまだ全然先でしょうけど……」
「レヴィはオレとスタートの差がでかすぎるよ。オレまだレヴィが仕事以外でへばってるとこ見たこと無いもん」
「ふふ~んまあね~……って、仕事のときは……その、へばってるというか、なんていうか……」
「仕事中は気持ちが先に疲れる感じ?」
「……そう、ね。そうかも。アタシ、実はあんまり働くの好きじゃないのよ。動くのは好きだけど、働くってなると、なんか意識が……ぐぅ~っと疲れるわ」
「あぁ~」
暫く駄弁りは続き、その後はいつも通りふらふらになるほどくたびれたら休憩をする、といった様子だった。
しかし時人にとっては喜ばしいことに、今日は休憩する回数が一番少なかったことだ。
(着実に体力がついてる。なんか、転ばないし、それはベリアルのおかげか。気持ち的にも楽な気がする……今日はなんかいい日だな……)
しかし帰る時はいつもとあまり変わらない日の暮れる頃、息を切らして、やっとの思いで森から抜ける。
「ぷはあっ……はっ……街が、見えてきたね……」
「そうねっ。もうすぐで今日は終わりよトキト! 一緒にがんば──きゃっ!?」
「!?」
二人の頭上を見覚えの無い航空機が物凄い速さで飛んでいった。
「なんだあれ……戦闘機っ!?」
教科書で見たような、攻撃機や爆撃機によく似た姿の航空機は、なぜかぐるっと反転し、時人とレヴィの元へと先程よりゆっくり近付いてきた。
「わわ、なに!? これ逃げた方が……」
「トキト下がって! ここはアタシがなんとかするわ!」
レヴィが変身しようとしたそのとき、航空機は空中で止まり、中から人間の男性が出てきた。
「おー、おー、やっぱ神の墜とし子じゃねぇか?」
「だ、誰!?」
その反応に男は嬉しそうに笑みをみせた。
「俺か? 俺が知りたいか? ククク……教えてやろう!!」
「我が名はアキレス。トラキア大帝国の皇帝、アキレス・A・アエテルヌス!! アマクサ・トキト! お前のお父様だ!!!」
「おっ──」
「お父様ァアアアアアアアア!!!???」
時人の声が空高く響いた。




