↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

文化祭の到来と、影の支配者の決意

九月中旬。残暑の厳しさがようやく和らぎ、朝晩の風に秋の涼しさが混じるようになった頃、学校内はにわかに慌ただしさを増していた。

高校生にとっての一大イベント――文化祭の季節がやって来たのである。

廊下を歩けば、段ボールを抱えた生徒たちが走り回り、放課後の教室からは賑やかな議論の声が響いてくる。普段の佐藤遥香さとうはるかであれば、「あー、お祭り騒ぎとかマジでだるい。早く帰ってジャージに着替えて、お菓子食べながらアニメ見たい」と、全力で帰宅部としての権利を行使し、気配を消してフェードアウトを決め込んでいるところだった。

しかし、今年の遥香には、絶対に逃げ出すわけにはいかない理由があった。

それはもちろん、義理の妹であり、今やクラスのみならず学校中のアイドルとなった中村雛なかむらひなの存在である。

「ねえねえ、中村さん! 文化祭の出し物、何やりたい? やっぱり中村さんが看板娘になってくれるようなものがいいな!」

「あ、ええと……私は、みんなが楽しいならなんでも……」

ホームルームの時間、クラスの男子どもがこれ幸いにと雛のデスクの周りに群がり、鼻息を荒くして意見を求めていた。

教室内の一番後ろ、窓際の特等席(自席)から、遥香はその光景を鋭い眼光で睨みつけていた。

遥香の「雛の専属マネージャー兼SP」としての本能はさらに研ぎ澄まされている。

(おいおい、下心が制服を突き破って露出してるぞ、男子諸君。雛をダシにして他クラスにマウントを取ろうなんて、この佐藤遥香が許さないからね)

遥香は心の中で毒づきながらも、雛の様子を観察していた。雛は困ったように微笑みながらも、チラチラと遥香の方に視線を送ってくる。その潤んだ瞳は明らかに「遥香ちゃん、助けて」と訴えていた。

その瞬間、遥香の脳内のおっさんが「よっしゃ、我が君のために一肌脱ぎますか!」と腕をまくった。

「あのさ、みんな」

雛が少し意を決したように声を上げた。群がっていた男子たちが一瞬で静まり返る。

「私……実は、可愛いカフェをやってみたいなって、ちょっとだけ思ってて」

「カフェ! いいじゃん! 最高!」

「中村さんが店員のカフェとか、他校から客が押し寄せて入場規制かかるぞ!」

男子どもが大喝采を上げる。

雛の「カフェをやりたい」という一言で、一年B組の出し物はあっさりと『コンセプトカフェ』に決定した。

しかし、決定した直後から、遥香の頭の中はフル回転を始めていた。雛がカフェの店員として表舞台に立つということは、学校中の有象無象のオトコどもが、合法的に雛に近づき、声をかけ、ジロジロと眺める機会を与えてしまうということだ。

(これは極めて危険な状況だ。だが、雛のやりたいことを邪魔するわけにはいかない。ならば……私が裏で完璧にコントロールし、邪悪な不審者をすべて排除するしかない!)

雛のスクールライフの平和を守るため、遥香は文化祭の準備期間中、あらゆる場面で「暗躍」することを固く決意したのだった。



文化祭の準備が始まると、遥香は何かと雛と行動を共にするようになった。

普段はクラスの隅で空気のように気配を消している遥香だが、雛が関わるとなれば話は別だ。驚異的なフットワークと、オタク特有の徹底的なリサーチ力・計画性を発揮し、カフェの準備委員会へと潜り込んだ。

「ちょっと、男子。内装のシフトなんだけどさ、雛をずっと受付や接客に回すのは負担が大きすぎるでしょ」

準備中の教室の片隅で、遥香はクラスのリーダー格の男子を呼び止め、手書きのシフト表を突きつけた。

「え? でも、中村さんが表にいないと集客が……」

「集客なら、雛の写真を一枚使ったお洒落な看板を門の前に出せば一発だよ。それより、雛がずっと接客をしてたら、変なナンパ男とか、他校のチャラチャラした奴らに絡まれるリスクが跳ね上がる。だから、接客は一回につき三十分。それ以外は、裏での作業か、私が常に横につく形のシフトにする。異論はないよね?」

ジャージ姿で、まるで見張り番のような威圧感を放つ遥香に、男子生徒はゴクリと唾を呑んで「わ、分かった……」と頷くしかなかった。

これぞ、遥香の「暗躍」である。

雛が過剰なストレスに晒されないよう、そして悪い虫が近づけないよう、メニューの配置から座席のレイアウト、果ては照明の角度に至るまで、遥香は裏から手を回してクラスの意見を誘導していった。

そんな遥香の奔走を、雛はちゃんと見ていた。

「遥香ちゃん、今日もいろいろ調整してくれたんだよね? ありがとう」

放課後、買い出しの荷物を一緒に抱えながら、雛が隣で嬉しそうに微笑みかけてくる。

「いいってことよ。雛が楽しく文化祭を過ごせるようにするのが、私の役目だからね」

「ふふ、本当にかっこいいな、遥香ちゃんは。でも、無理はしないでね?」

雛にそう言われるだけで、これまでの疲れなど一瞬で吹き飛んでしまう。遥香は内心で「よーし、本番も完璧にガードしてみせるぞ!」と、さらに鼻息を荒くするのだった。

しかし、そんな遥香の完璧な防衛計画には、一つだけ致命的な誤算があった。

「カフェのメニューだけど、既製品のクッキーとかじゃ味気ないよね。せっかくなら、手作りのパンや本格的なケーキを出したいな!」

雛がそう提案し、クラスの女子たちが「いいね!」「楽しそう!」と大賛成したのだ。

雛自身は料理やお菓子作りに興味があり、最近家でも新しく母親になった綾さんから教わっているようだった。だが、遥香はというと、お菓子とジュースで生きているようなズボラ生物であり、料理の経験など皆無に等しい。

「あ、あの、雛……? 手作りって、誰が作るの?」

「もちろん、私と……裏方のみんなだよ! 遥香ちゃんも、一緒に作ってくれるよね?」

雛が小首を傾げ、満面の笑みで遥香を見つめてくる。

(あ、アカン。断れるわけがない。でも私、包丁すらまともに握ったことないぞ……!)

影の支配者として暗躍していた遥香は、ここにきて「料理」という最大の実技試練に直面することになったのである。



文化祭の前日。学校の家庭科室は、出し物の試作と仕込みを行う生徒たちで熱気に満ちていた。

一年B組の調理担当として、遥香と雛、そして数人の女子生徒が集まり、エプロン姿で調理台の前に立っていた。

「よし! まずは、カフェのメインになる『手作りチョコマーブルパン』と『特製ショートケーキ』の試作から始めるよ!」

雛がエプロンの紐をきゅっと結び、気合十分で宣言する。そのエプロン姿がまた、信じられないほど可愛い。まるでお料理番組の若手アイドルのようで、遥香の脳内カメラはシャッターを連打していた。

しかし、見惚れている余裕はすぐに消え去った。

「遥香ちゃん、まずは小麦粉を計量して、ふるいにかけてくれる?」

「こ、小麦粉……? これを、この網のやつに通せばいいんだな?」

遥香は緊張した手つきで小麦粉の袋を開け、ボウルへと移そうとした。だが、力加減を誤り、バサッと勢いよく粉が投入されてしまう。その衝撃で、白い粉がブワッと空気中に舞い上がった。

「うおっ!? ゲホッ、ゲホッ!」

「きゃあ! 遥香ちゃん、大丈夫!?」

一瞬にして、遥香の顔と、着ていた体操服のジャージが真っ白に染まった。眉毛も睫毛も白くなり、まるで雪山から遭難してきたかのような惨状である。

「あはは! 遥香ちゃん、おじいちゃんみたい!」

雛がそれを見て、お腹を抱えてコロコロと笑い出した。

「うぐぐ……笑うなよぅ。小麦粉って、こんなに攻撃力が高いなんて知らなかったんだよ」

遥香が顔を拭いながら拗ねたように言うと、雛は「ごめんごめん」と言いながら、自分のポケットからハンカチを取り出し、遥香の頬にそっと触れた。

「ほら、じっとしてて。綺麗にしてあげるから」

至近距離に迫る、雛の綺麗な顔。ハンカチ越しに伝わる優しい感触と、雛の手首から漂うあの「天国の匂い」。遥香の心臓は一瞬で跳ね上がり、顔に付いた白い粉の下で、肌が真っ赤に火照っていくのが分かった。

「あ、ありがとな、雛……。もう大丈夫だから、次行くぞ、次!」

照れ隠しに大声を出し、遥香は慌てて次の作業へと移った。

しかし、そこからも苦難の連続だった。パン生地を捏ねる作業では、手のひらに生地がベタベタと張り付いて離れなくなり、「うわああ、生地に囚われた!」とパニックになり、ケーキの生クリームを泡立てる作業では、ハンドミキサーの速度をいきなり最大にしてしまい、クリームを周囲に飛び散らせるという大失態を演じた。

気づけば、遥香だけでなく、一緒にいた雛までもが、頬や鼻の頭に白い粉やクリームをちょこんと付けた「粉まみれ」の状態になっていた。

「やったことないことばっかりで、本当に大変……」

調理台に手をつき、ゼーゼーと息を切らす遥香。お菓子とジュースで生きてきたツケが、この過酷な労働によって完全に牙を剥いていた。

だが、そんな遥香の横で、雛はとても楽しそうだった。

「大変だけど、遥香ちゃんと一緒だから、私、すっごく楽しいよ」

粉の付いた顔で、雛がふにゃりと柔らかく笑う。

その笑顔を見た瞬間、遥香の体の中に、不思議な力がムクムクと湧き上がってきた。

(そうだ、私は雛のために暗躍し、雛のためにここにいるんだ。粉まみれになろうが、ケーキのクリームで溺れかけようが、雛が笑ってくれるなら、これくらいの奮闘、お安い御用だ!)

「よーし! 雛、次の生地行くぞ! 今度は完璧に捏ねてみせるからね!」

「うん! 頑張ろうね、遥香ちゃん!」

二人は再び粉の舞う戦場へと身を投じ、夕方遅くまで、泥臭く、しかし最高に充実した時間を駆け抜けたのだった。



そして迎えた文化祭当日。

一年B組のコンセプトカフェは、事前の遥香の暗躍(お洒落な看板戦略)が見事に当たり、開店と同時に長蛇の列ができる大盛況となった。

エプロン姿の雛が「いらっしゃいませ!」と微笑むたびに、客としてやってきた他クラスの男子や他校の生徒たちが、一瞬で骨抜きにされていく。遥香は予定通り、インカム風の髪留めをつけ、鋭い眼光で入り口付近に陣取り、雛に過剰に話しかけようとする客がいないか監視を続けていた。

「おい、そこの他校生。雛に連絡先を聞こうとするな。メニューの注文以外は受け付けてないぞ」

心の声でそう威嚇しながら、完璧なガードを維持する。遥香の徹底した管理のおかげで、カフェは大きなトラブルもなく、大成功のうちに終了の時間を迎えた。

「ふぅ……。やっと終わったぁ……」

一般公開が終了し、片付けが始まった教室内。遥香は疲れ果てて、机に突っ伏していた。体中の筋肉が悲鳴を上げ、喉はカラカラだった。

「遥香ちゃん、本当にお疲れ様」

頭上から、優しい声が降ってきた。

遥香が顔を上げると、そこにはエプロンを外した雛が、両手に二つのマグカップを持って立っていた。

「これ、私の特製。遥香ちゃんのために、心を込めて淹れたんだよ」

雛が手渡してくれたマグカップを覗き込み、遥香は目を丸くした。

そこにあったのは、温かいカフェ・オ・レ。そして、きめ細やかなミルクの泡の上に、綺麗な「ハートマーク」のアートが描かれていたのだ。

「これ……雛が作ったの?」

「うん。お母さんに、ミルクの泡立て方と、絵の描き方を教えてもらったの。本番では忙しくて出せなかったから……遥香ちゃんに、一番に飲んでほしくて」

雛は少し恥ずかしそうに、自分のマグカップを両手で持ちながら、遥香の前の席に腰掛けた。

夕方の教室、斜めから差し込むオレンジ色の光が、雛の横顔を美しく照らしている。

遥香は、そっとマグカップに口をつけた。

温かい液体が、乾燥した喉を潤していく。コーヒーの心地よい苦味と、ミルクの優しい甘さが絶妙に調和した、信じられないほど美味しいカフェ・オ・レだった。

「……美味しい。すっごく、美味しいよ、雛」

心の底からの言葉が出た。

すると、雛はパッと顔を輝かせ、本当に嬉しそうな、心からの喜びに満ちた笑顔を浮かべた。

「よかった! 遥香ちゃんが、文化祭の間ずっと私のために裏で頑張ってくれてたの、知ってるよ。だから、どうしてもこれをプレゼントしたかったの」

雛はマグカップを置き、机越しに遥香の手の上に、自分の手をそっと重ねてきた。

「私を、守ってくれてありがとう。お姉ちゃん」

「……っ!」

その瞬間、遥香の脳内のおっさんは、嬉しさと尊さのあまり、宇宙の彼方まで吹き飛んでいった。

粉まみれになって奮闘したこと、筋肉痛で体がバキバキなこと、裏方で暗躍して神経をすり減らしたこと。そのすべての苦労が、この一杯のカフェ・オ・レと、雛の「ありがとう」の一言で、完全に報われた。

「あったり前でしょ。これからも、雛のやりたいことは何でも私が応援するし、全力で守ってあげるからね」

遥香が照れくさそうに笑いながら言うと、雛は「うん!」と力強く頷いた。

二人の間に流れる、穏やかで、少し甘い時間。

文化祭という混沌としたお祭りは、遥香にたくさんの苦労をもたらしたけれど、それ以上に、雛との絆をより深く、確かなものに変えてくれた。

ハートのカフェ・オ・レの温かさを胸に抱きながら、遥香はこれからも、この愛おしい妹のために、影の支配者としてどこまでも暗躍し続けようと、静かに心に決めるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。