第二章:神への誓い
「イライラぶつけて来ないでください。迷惑です」
「うるせーな、誰かにバラすぞ」
「どうぞ。まあ、口止め料が必要なら用意しますよ」
「脅しにならねー、ちくしょう」
「……あ」
ファウノが急に気まずそうな顔になる。少し逡巡する風を見せたあと、彼女は提案を切り出した。
「一つ条件を付けていいですか? 代価も用意します」
「じょ〜けんだあ? なんだよ?」
「ヨグランさんにバラすときは、前もって言ってください」
「ふぇ?」
「あの人に知られたら、私はきっと耐え切れません。前もって言ってくれれば、その場で命を絶つ事ができます」
「ほぇ……?」
ウェッタは目を白黒させた。話が急すぎて付いて行けていない。ヨグランの名が出てくる事も命を絶つという事もあまりに突飛すぎる。
「……なん、で?」
「恩人だからです」
「恩人だから……?」
「はい」
ウェッタが説明を急かすような表情になる。今のままではとても理解に及ばないからだ。
「私は《清濁合わさる町》の生まれです。一言でいうなら、底辺です」
「……ま、だろな」
「いま私がこうしているのは、寄宿院に入れたおかげです。なかなか入れないんですよ?」
「らしいな。よく聞くよ」
「ヨグランさんのおかげなんです。寄宿院に入れるよう、私のために駆け回ってくれたんです」
ウェッタの中でようやく話が一つ繋がった。ヨグランならそういう事をするだろう。とても理解がしやすい。
「たぶん私の事は覚えてません。ヨグランさんにとっては、いつもの事なんです。恵まれない子供たちを助けるなんて、当たり前のことなんです」
ファウノは、思い出にふけるただの少女になっていた。
「でも私は、その当たり前のことに救われたんです」
ファウノは少しうつむいた。そして声の音がわずかに弱くなる。
「そんな人に、あんな善い人に、裏の顔なんて知られたくありません。……真っ白でいたいとまでは言いません。言いませんから、せめて」
彼女はゆっくりと顔を上げる。
「青いリボンでいたいんです。黒いリボンを見られたくないんです」
ウェッタはファウノを見つめた。
いまのファウノは、自分にすがりつく弱弱しい少女だ。なりふり構わずに足もとへしがみつくただの女の子なのだ。
もう、済ました顔で自分の生きざまを語っていた狂信者ではなくなっている。
だんだん見ていられなくなって、ウェッタは疲れた顔で手をぶんぶんと振った。
「分かった分かった。黙っといてやるし、万が一バラすとしても、ヨグランにバラす時は事前に言う。それでいいだろ?」
「本当ですか?」
「なんなら神に誓ってやるさ」
ウェッタはその右手でファウノの左手を荒々しく引っ張り上げると、指を絡めて強く握った。
「あ、あの?」
「ファウノ……なんて言ったっけ? 名前」
「は? ……ピエリです。ファウノ・ピエリ」
「ファウノ・ピエリだな?」
念押しのあと、ウェッタは青き狂信者が身に着けた聖印に目をやる。それは彼女も見慣れたもの。運命の女神アステドラクトの印。
「いたずら好きの神か。まあいいや」
くすりと笑ってから、ウェッタは真面目な顔になる。
「運命の神に誓う。あたしセルウェッテ・ザルナラッフは——」
そこまで言ってから、急にウェッタは考え込んだ。わけもわからず、ファウノが目を白黒させる。
「いや、そうだな」
ウェッタはにやりとすると、改めて右手に力を込めた。久しぶりに、いつもの強気な笑みがウェッタに戻った。
この名を名乗るときに、弱気でいてはいけないと感じたからだ。あの男の叱咤を思い出したからだ。
「我、サウェート・レザーリ゠ザルナークは、ファウノ・ピエリの秘密を決して誰にも明かさない。ヨグラン・ハルツに決して明かさない。我が名にかけて、運命の女神アステドラクトに誓う」
誓いを立てたあと、ウェッタは反応の乏しさをいぶかしんだ。
「……なんだよ?」
「そ……」
ファウノは固まってしまっていた。
彼女の顔は、信じられないものを見たときの顔。信じられないものを聞いたときの顔。
「その家名……まさか……」
「あたしだけ秘密を知ってるってのも不公平だろ?」
ウェッタは不敵な笑みを改めない。
「秘密、知ってる人が増えるほど、漏れやすくなりますよ?」
「なら問題ねーな。たったいま一人減ったばっかだ」
赤い女性は悲し気な目になって、視線を足もとの遺体へ向ける。遺体は火が収まって煙を上げるだけになっていた。
「ったく、こいつは……ずっと忘れてたってのにさ」
ウェッタの目が憐れみを伴う。
「その図体だ、護衛兵でもやってたか? ま、来世はちょっぴりでも良い人生を送ってくれ。クルザトールだったな。覚えといてやるよ《魔法使い》」
思い出が焼けてしまっても、記憶には残せるはずだ。彼女はそう思った。
「さ、帰ろうぜ。あたしゃもう疲れたよ。メシ食って酒呑んで寝る。もうやだ」
あくびをしながらウェッタは歩きはじめる。さすがに色々とありすぎた。これだけ濃かった日を締めるには、やはり美味い飯と酒に限る。
そんなウェッタの左手を、ファウノが急に引っ掴んだ。
「な、なんだよ?」
ファウノはウェッタを睨みつけながら、自分の右手をウェッタの左手に絡ませて力を込める。
「私、ファウノ・ピエリは、アステドラクトに誓います。セルウェッテ・ザルナラッフの秘密を、決して誰にも明かしません。運命の女神の御名において誓います」
神への誓い。狂信者にとって、それは重い。
「さ、帰りましょ。お酒飲んでごはん食べて寝てください」
振りほどくように手を離すと、ファウノはすたすたと歩きだす。
「おまえ律儀だな」
「なに言ってんです。これが礼儀でしょ?」
「そーいう礼儀は知ってたか。じゃ、あとは言葉遣いだけだな」
ウェッタはファウノの背中を見て、くすりと笑った。




