第二章:くるってます
壁の向こうで、ため息が一つ。
そして青いリボンが何本も空に舞う。
「面倒ですね」
青い少女が、高い壁を一跳びで乗り越えてきた。
多親教会修学士ファウノ・ピエリは、スカートの裾を掴みながら、ふわりと着地する。
そして彼女はややしかめた顔で、ウェッタを見た。
「その感知魔法、何なんですか。いつ気づいたんです?」
「存在は割と最初の方だな。おまえだと気づいたのはどの辺だっけ……。だいぶ、かかったぞ? 気配消すの上手いな、おまえ」
「普通は気づけないんですよ! 普通は! 存在も! 感知魔法でも!」
「そりゃあ相手が悪かったな。つまりあたしが悪い」
「そうです! あなたが悪い!」
ファウノは鼻息を荒くしてむくれた。
ウェッタはそんなファウノをしばらく眺めていたが、意を決したように話しかけた。
「一つ聞いていいか?」
「その遠慮要ります? 好きにどうぞ」
「なんで光痕が光らねーの?」
ファウノの額も胸元も、魔法光痕が起動した様子はない。彼女の前髪もブラウスも光痕の輝きを誤魔化せるほどの厚みはない。
しかし、さっき彼女が見せた黒いリボンはどう見ても“危険”だ。屈強な大男をあっさりと殺してしまっている。そんな危険な魔法を使ったにも関わらず、使った事を証明するはずの魔法光痕が輝かないのはおかしい。
「特殊任務のため対象から外れてます。この法術は光痕に刻まれてません。刻まれた魔法にだけ光痕は反応します。知ってるでしょ?」
「うぇーえ……」
魔法光痕は治安維持の根幹だ。使ったあと光痕が輝き続けるからこそ、危険な魔法を抑制できる。“例外”など本来あってはならない。
それを許す特殊な任務となれば、その性質はおのずと知れる。
「怖いこと言い出しやがった。あれだろ? 多親教会で特殊な任務ってさ」
「そうですよ」
「……狂信者呼ばわりされてる連中がさ?」
「ええ、そうです。私はくるってます」
「ぐぇー……」
ウェッタの声がかすれ切って濁ってしまう。
予想したくなかった予想通りの正解。それを彼女はいやいやながら喉から絞りだした。
「過激派集団《愚かな渦》か……」
「はい。私は愚か者です」
《愚かな渦》。多親教会内部にはびこると噂される過激派たちだ。神と信仰を何よりも尊び、度の過ぎた自覚ある狂信で知られている。
多親教会は公には彼らの存在を認めていないが、もはや公然の秘密といって良いほどに悪名を馳せていた。
「こいつを殺したのは……神を冒涜したからか」
「他に何が?」
「だよな。報奨金出てるくらいだしな」
「当たり前でしょ」
それは狂信者ファウノにとって余りに当然すぎる事だ。
「ちょうど、このゴミの近くに来たので処分しました。ようやく燃やせてせいせいします」
ファウノは清々しい笑顔を見せる。
本当にただの邪魔なごみを捨てただけかのように。
「……あたしも燃やすんか?」
「まさか、しませんよ。あなたにバレたのは私の落ち度です。あなたを殺す理由になりません。正直あなたの感知魔法を侮ってました」
「バレたら困るのは同じだろ? 落ち度かどうかって関係ねーだろ」
「ええ、困ります。でも、いずれバレますから」
「ふぃ?」
意外な返答にウェッタがきょとんとする。
「ずっとバレずにいるなんて無理です。いつかどこかで破綻します。きっと遠い未来じゃありません。近いうち、必ずその日が来ます」
ファウノの態度は、まるで他人事のようだ。
「それが私の最後の日です。責任を取って、そのまま死ぬでしょう」
「責任って……」
ウェッタはファウノの余りに淡々とした様に驚きを隠せない。
「……任務、なんだろ?」
「ええ。でも勝手にやった事です」
「建前じゃねーか」
「いいえ? 私が望んだ事です」
「本心……なの、か?」
「ええ」
ファウノは澄ました顔のままだ。
「私たちは、神のため勝手に動いて勝手に死にます。それが《愚かな渦》なんです。私も、勝手に動いて勝手に死にます。それで満足です」
更には、にこやかに語り始めた。そのファウノの表情に一点の曇りも見えない。何かを隠しているような様は感じられない。
「命を使い捨てんのか?」
「ええ。神に救われて、私はもう一生分幸せを味わいました。心置きなく神のために殉ずることができます」
「くぁ……」
ウェッタの頭ががくりと垂れる。続いて、今まで聞いた事のないようなほど、大きなため息が吐き出された。
「あの? なんですか一体」
「うんざりしたんだよ!」
ウェッタは顔を真っ赤にしている。
「どいつもこいつもいい加減にしろ極論すぎなんだよ! あたしの常識がくたばるわ! バカが!」
ウェッタは怒りをあらわにした。しかし、本質はそこではない。彼女も分かっている。
「せめて全く分からん理屈を捏ねてこいよ! 半端に所々気持ちが分かっちまって腹が立つんだよ、ちくしょう!」
ウェッタの怒りの源は、それだ。
ただの理解不能な異常者ならよかった。ただ突き放せばいい。遠くにいる存在なら気にならない。
だが、極論にこびりつく人間味のある欠片たちが、ウェッタを共感させ同情させてしまう。
彼女は、それが悔しくてたまらない。




