第二章:失望した男
「カル・カーミフ……」
「そうだ、地獄の町だ」
《魔法使い》クルザトールは彼女を直視する。
「俺はそこで、全てを目の当たりにした」
強い日差しが二人へ降り注ぐ。かつて同じ場所で同じ太陽を背にしていたであろう二人。
忘れてしまっていた彼女へ、男はあの時の思い出を語る。
「ドレスが似合わんほど幼さの残る少女が、魔力の暴風をさんざんにまき散らすさまを、力と技術を併せ持つ魔術師の本当の恐ろしさを、俺はこの目で見た」
五年。男にとって、まだ風化するには早すぎる。
「お前は化け物だセルウェッテ。それとも“サウェート”と呼んでほしいか!」
はかなげなウェッタへクルザトールの叱咤に似た声が飛ぶ。弱くなった化け物など彼は見たくなかったのだ。
ウェッタの目は男の声を受けてもまだ強さを取り戻せずにいた。今の彼女は悲し気に大男を仰ぎ見る、ただの少女だ。
「あたしの力だけじゃねーけどさ。ま、よー知ってるよ、そんな事まで」
彼女は力なく笑う。
「犯罪やめて、あたしの伝記作家にでもなったらどうだ。そしたら神サマに恩赦を頼んでやってもいいぜ?」
「たわ言は要らん」
「そっか。悪いな」
ウェッタのやっと作った笑みでは、憐れみとすまなさの感情を隠せない。
「あたしはまだ、お前と違って神を見限っちゃいないんだよ。今んところはさ」
「そうか」
クルザトールはちらと太陽を眺めたあと、再びウェッタへ視線を戻す。
「神に頼らなかったお前が、町一つを消し去ったお前が、神という幻ごときを消し切れんとはな。……思いもしなかった」
神に失望した男は、いま赤い化け物に失望していた。
「お前はこちら側だと、勝手に思ってしまっていたようだ」
「まぼろし、か」
ウェッタはそうつぶやくと、視線を大男から逸らす。
「まぼろしって言うけどさ。それで救われない人たちもいるけどさ。救われる人たちだっているんだよな」
一瞬のためらいのあと。
彼女は自身へ力を込め、失望した男へ笑みを向ける。
「知ってっか? 神々が何もしてねーのに、世界がちょっぴり良くなったりするんだぜ。何もせずにな。そっちの方が化け物だよ。おっと、化け物なんて言っちゃうと怒られっちまうか」
声にはまだ、力がこもり切れていない。化け物どころか《戦乙女》にも戻り切れていないのは明らかだった。
クルザトールは再び静かに目を閉じ、しばし沈黙の時間を作る。
そして力強く目を開くと、突き立てていた巨大な戦斧を地面から引きちぎって構えた。
「魔術を使え、セルウェッテ。久しぶりにお前の化け物ぶりが見たい」
赤い化け物がもういない事を彼も分かっている。それでもクルザトールは《戦乙女》ですらない今のウェッタを見る事に我慢できないでいた。
「どうすっかな。犯罪を疑われっちまうしなー。秩序を乱すとまた、デアドローマに謝んねーといけなくなる」
「神なんぞに頼らずとも鎮痕は出来る。馬鹿どもに気兼ねなどするな、魔術師」
茶化して答えたウェッタを、大男は鼻で笑い飛ばした。彼女のそれが爪の甘い強がりである事を分かっていたからだ。
「……おっこられんぞー、おまえ?」
「それだけの気概があるなら、むしろ大したものだ。やってみろ、能無しども!」
彼は神を畏れない。
だから、ついにその時が来た。
「……なに?」
クルザトールの周囲が、無数の黒く長い帯に満たされる。
一瞬で巨大な戦斧がばらばらに寸断された。
瞬く間に黒い帯たちが大男の身体へ巻き付いた。
少しの隙間も無い、ぐるぐる巻きの黒いさなぎが見る間に出来上がった。
そして一本の黒いリボンが踊り、巻き付いた帯の上からクルザトールの喉元をかき切ってしまう。
「……」
唐突過ぎた。
あまりに唐突な“死”に、ウェッタは言葉を失う。
大男は声もなく血を噴き上げ、力を失い、崩れ落ち、地面に音を立てて倒れる。
やがて黒い“さなぎ”は身動きしなくなり、静かになった。
ほんの少し前までウェッタを叱り飛ばしていた大男は、もういない。
「……えげつね」
ウェッタは黒の塊を見てつぶやいた。
こんな終わりがある事が衝撃だった。
「……⁉」
だがそれは、終わりではなかった。
黒い“さなぎ”のあちこちで小さな光がきらめいたあと、黒い帯が次々に発火して燃え上がりはじめる。
ウェッタの過去の一部が火に包まれて、焼かれ始めた。
「そこまで……」
あまりの出来事に、ウェッタはついさっきまで自分が弱音を吐いていた事すら忘れてしまっていた。
黒い神罰はそのすべてを赤く染めて、ぱちぱちと音を立てる。
「危険なリボンか。えらいもんを隠し持ってたなあ、おまえ」
ウェッタはゆっくりと視線を動かすと、何もない壁の一点を見つめる。
「聞こえてんだろ? おまえに言ってんだぞファウノ?」
感情が薄れた声を、ウェッタは壁の向こうへ投げ掛けた。




