第二章:すてきなせかい
「……なんかすげえな、おっさん」
ウェッタはマイヤーの切れ味に目を白黒させた。
「あんたも、こっちの善人に柔らかさって奴を教わったら?」
「善人?」
マイヤーは小ばかにしたつぶやきのあと、視線をヨグランへ走らせた。
「そうか、この娘にも善人と思われているのか」
「思ってねーのかよ、あんた?」
「こいつが裏で罪を重ねていても、俺は何も驚かん。人間とはそういうものだ」
「……あんさあ?」
「なーにー?」
苦笑いするウェッタがアナミラへ声をかける。何を言われるか想像がついたのか、アナミラは殊更にふざけた口調で返事をした。
「悪いけど。ホント悪いけど。どこが良かったん?」
「あはは……。まあ、これで優しい所もあるのよ。ね? ね?」
やはり想像通りだったのか、アナミラが苦笑する。マイヤーは一顧だにしない。
「情熱的なところもあるんです。アナミラさんが惹かれるのも分かりますよ」
「ふぇ?」
「えーっ!」
ヨグランの意外な評にウェッタとファウノが素っ頓狂な声を上げた。二人はヨグランとマイヤーを交互に見たあと、アナミラへ視線を移す。
「この話やめない?」
「ふぅー?」
「えーっ?」
「ヤメヨウヨ?」
赤い女性と青い少女が言葉になり切らない抗議を上げ、弱り切ったアナミラがげんなりした呻きをもらした。
彼女の夫であるマイヤーはまるで気に留める風もなく、ヨグランへ淡々と声をかける。
「ヨグラン、話がある」
「はい」
ウェッタは男二人の様子をじっと見たあと、ヨグランに小声で話しかけた。
「怒られたりしねーよな? 大丈夫か?」
「そういう話ではないと思います」
「そっか。なら安心か」
「じゃ、あたし達はお暇しましょ。そうしましょ!」
アナミラがうまい逃げ道を見つけたとばかりにはしゃぎながら、ウェッタとファウノを引っ張っていった。ウェッタは手を振って、ファウノはお辞儀をしてマイヤーに別れを告げると、女性三人組は執務室を出て扉を閉める。
しばらくして、室内は静けさに包まれた。
「賑やかになりました」
「楽しいか?」
「ええ、とても」
「ならいい」
マイヤーは扉をじっと見つめていたが、ヨグランに向き直った。
「どうだ。返事は決まったか?」
「いえ。すみません」
「そうか。考える時間はまだくれてやれる」
マイヤーの表情は変わらない。淡々と、そして真剣に彼は語る。
「ヨグラン、たとえお前が犯罪者でも俺は驚かん。この世は善人が生き続けられるほど甘くはない」
《両刃の剣》は静かに窓へ向かい、外の風景を眺める。
「だが、世界は変えられる。たとえ亀のように鈍間でも、着実に色を塗り替えられる」
窓の外では、子供が二人走り回っていた。母親なのか、姉なのか、若い女性が子供たちを追いかけている。
「誰もが安心して暮らせる世界、そこへ辿り着けるという信念。これは決して揺るがん。何があろうとな」
マイヤーはヨグランを見た。
「俺とこの信念を共有できるのはお前だけだ、ヨグラン」
「ぼくが善人でなくても、ですか?」
「善人にしかやれないと考えるような奴に、俺の夢を成し遂げられるものか」
小ばかにしたような声のあと、マイヤーはヨグランへ向き直る。
「俺はいずれ中央へ上る。有能で信頼できる右腕が欲しい」
マイヤーの表情は変わらない。その鋭い視線はじっとヨグランを見つめている。
「手を貸せ、ヨグラン。お前にしか頼めない」
「マイヤーさん……」
「考えろ。時間はまだくれてやれる」
しばし時が流れたあと、マイヤーは静かにヨグランへ背を向けて、机へと向かった。そして椅子に腰かけ、ペンを握り、広げられた書類へ署名を入れる。
ヨグランはそれを見てお辞儀をし、扉へゆっくりと歩を進める。
その途中で不意に立ち止まると、マイヤーの方を振り向いて言った。
「もしぼくが悪人で、“すてきなせかい”を本心から望んでいなかったなら、あなたはどうしますか?」
マイヤーのペンが止まる。彼は瞳だけを動かしてヨグランをしばらく見たあと、鼻で笑った。
「もしそうなら、この俺をよくぞ欺いたと笑って褒めてやる」
口元に笑みがこぼれる。それは絶対的な自信か、不滅の信頼か、あるいはヨグランの能力に対する評価なのか。
答を明かさないまま、マイヤーは再びペンを動かし始める。彼は彼の道へ帰った。揺らがぬ夢へとつながる道へ。
それを確認して、ヨグランは静かに扉をくぐると執務室を後にした。




