第一章:恵まれない人々に
《息づく老木の丘》。
夜を迎え、徐々に静けさが満ちる中。
「祝いだーっ! 酒だーっ!」
“ふた二つ亭”だけは静寂と無縁だった。
ウェッタはジョッキを傾けてエールを豪快に呑み、ぶはーっと息を吐く。
「おつかれさん。マジ助かったよ。あんたは恩人だ」
「たまたまです。奉仕活動で通りがかりました」
「偶然だろうが幸運だろうが恩人は恩人だろ?」
快楽殺人者ヤーレ・クィズ・マハバイニを倒してから二日が経った。もろもろの後始末に二日かかったのだ。
ようやく一息を吐けたところで、ウェッタは恩人ヨグランを“祝勝会”へ誘った。
人気者のウェッタが現れた事で店内は最初大騒ぎになったが、喧しい男どもをなんとか鎮め、ようやく宴を始めたところだ。
「てか、なんで水なんだ? 酒呑めねーの?」
「美味しくないんです」
「安酒しか呑んだ事ないからじゃね? 奢ってやろうか? とびきりたけー奴」
「水で充分ですよ」
「あたしの酒が呑めねーってか?」
ウェッタは一瞬ヨグランを睨むと、
「じゃあ、あたしが呑む!」
笑って老店主に高い酒を注文した。
「怒らないんですか」
「美味しくねーんだろ? 勿体ねーじゃん無理やり吞ませたって。せっかくの酒、あたしは一滴も無駄にしたくないね!」
ウェッタは店員が運んできた蒸留酒に歓喜すると、くんくんと匂いを嗅いで満面の笑みになる。
「そうだ。泥酔する前に渡しとくよ。ほい」
どさり、と重そうな小袋がテーブルに載せられる。いかにも大金が入っていそうな袋を見てヨグランが困った顔をした。
「こんなに受け取れません」
「今度はあたしも譲らねーぞ。命の恩人だからな。減らしたりしたら、あたしの命まで安くなっちまう」
「生活に困っていませんし、使い道もありません」
「贅沢すりゃいいじゃん。たまに。ぱーっと!」
「贅沢を楽しめないんです。面白くないんですよ」
「嘘だろ⁉ そんな人間いるんか⁉ この世の中に⁉」
ウェッタは驚愕してヨグランの顔をまじまじと見る。冗談なのか本気なのか真剣に見極めようとしたのだ。
「見届けた分だけで結構ですよ。失礼、袋を開きます」
ヨグランは小袋から貨幣を必要な分だけ丁寧に抜き取ると、小袋の紐を締め直してウェッタの前へ置いた。
「もてあます人間に無理やり与えても、勿体ないじゃありませんか」
「ん-……まあ……そうかもしんねーけど」
ウェッタが難しい顔になった。ヨグランはその様子を見ながら水を飲むと、いつもの柔らかな微笑みになる。
「では、恵まれない人々へ施してあげてください」
「すげえ! え、マジかよ! すげえ!」
ウェッタが身を乗り出して目をきらきらと輝かせる。
「ホントなんだ! 聖職者ってホントにそういう事を言うんだ! マジ初めて見た!」
「初めて……」
ヨグランは苦笑するしかない。
「でもさー、施すって事は寄付するってことだよな? 教会に。……教会かあ」
ウェッタが微妙な顔になる。彼女は首を何度か横に傾ける仕草をした。悩んでいるのだ。
「悪いけどさ、教会ってやつが好きじゃないんだ。特にそれ、デアドローマ」
彼女はヨグランが首からかけている聖印を指さした。神の一柱デアドローマを象徴する紋章。三本の縦棒を一本の横棒が水平に貫くその形状は、規律と安定を表している。
「秩序の神サマだろ? 堅っ苦しいのは好きじゃない」
「大嫌いでも、ないのでしょう?」
「……そういや盗み聞きしてやがったんだった!」
「盗み聞きしようとしたわけではないんです」
「ホントかあ?」
ウェッタがからかうような顔をする。対照的にヨグランは困り顔になったが、じきに柔らかな表情へ戻した。
「では、あなたの思うようにしてください。恵まれない人々が少しでも救われるなら、神はよしとされるでしょう」
「……んーと? 貧民街に行きゃいいの? 寄宿院とか?」
「それでもいいですし、違う方法でも構いません。なんでしたら“恵まれない人々”の解釈も、あなたにお任せします」
「……ふゃ?」
「たとえば」
ヨグランは店内の喧騒をゆっくりと眺め見た。
くだらない事で言い争う者たち、肩を組んで歌う者たち、残り少ない酒を慎重になめる者、早くも床に転がる者。
賑やかな様子を見終わると、ヨグランは意外な事を言った。
「たとえば。景気のいい宴の傍らで安酒に甘んじるしかできない人々……彼らを“恵まれない”と解釈する事を、神はよしとされるでしょう」
「ほゎ⁉ げほ」
驚きすぎてウェッタがむせる。酒が気管に入ったのだ。
「うぇっふ。ってか、それでいいんか聖職者⁉ デアドローマに怒られんぞ?」
「そこまで狭量ではありませんよ、ぼくらの神は」
ヨグランは動じるどころか、微笑みを絶やさない。
「秩序は目的ではありません。やり方です。ぼくらの神は、人々が安心して暮らせる世界を望んでおられます。そのための秩序です。人々を不幸にする秩序など、ぼくらの神も望まれませんよ」
「おおお……!」
ウェッタの二つの瞳が更に輝いた。彼女の二重光痕の輝きに勝るとも劣らぬ勢いだ。
「あんたホントに聖職者なんだな!」
「ええ、聖職者です」
不思議そうにするヨグランにウェッタがくすっと笑った。
きっと彼は、当たり前の事を今更なぜ言われたのか分からない、ぐらいに思っているのだろう。
ウェッタは彼の少しずれた感覚に和むと、急に立ち上がった。
「店主のじーさん! ほい!」
「へ? ひゃ⁉」
不意に小袋が老店主へ投げつけられた。中身を見た老店主が大金に大声を上げる。
それを聞いて客たちが何事かと老店主とウェッタを交互に見ると、彼女は力強く宣言した。
「今日は宴だ! おまえら、何も遠慮しなくていいぞ! 好きなだけ呑んで食え! あたしが全部奢ってやる!」
歓声が上がった。
さっそく酒や食べ物を頼む者、ウェッタの名前を何度も繰り返す者、眠っていた友人を叩き起こす者、意味もなく奇声を上げる者。騒がしかった店が更にうるさくなった。
その様子を見て、ウェッタは優しい笑顔になる。
「……ちょっぴりでも良くなった世界、か」
彼女はそうつぶやくと、どかっと勢いよく座って酒を呑んだ。
「ヨグラン・ハルツ、だったよな?」
「ええ」
ウェッタはヨグランを改めてじろじろと観察すると、笑い声を上げた。
「これが聖職者って奴かあ。初めてマジモンに会ったかもしんねえや。ホントあんたおもしれーな」
「初めて……」
ヨグランは再び苦笑したが、今度はすぐに微笑へ戻した。
「ぼくもあなたのようなおかしな方に、初めて会ったかもしれません。……これはたぶん、気の利いた言い回しですよね?」
「オイ意趣返しか、聖職者?」
ウェッタが睨む。意に介さず微笑を浮かべるヨグラン。
やがてウェッタが笑い出し、ヨグランも小さく笑った。
《息づく老木の丘》。
静けさに包まれる満月の夜。
降り注ぐ白銀の光は、騒がしい“ふた二つ亭”を明るく照らしていた。
次話(最終話)は09/05(土)11時に投稿予定です。




