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第9話 介護職に向いている人

 

 介護職に向いている人とは、どのような人か。


 よくある答えは、優しい人である。

 人の世話が好きな人。

 高齢者に親切にできる人。

 思いやりがある人。

 人の役に立ちたい人。


 もちろん、それらは大事である。


 利用者を人として尊重できない人。

 相手を見下す人。

 すぐに怒鳴る人。

 雑に扱う人。

 面倒くさそうに対応する人。


 そういう人は、介護職には向きにくい。


 しかし、優しいだけで向いているかと言えば、それも違う。


 介護職に必要なのは、単なる優しさではない。

 相手の理由を尊重する力、無闇に怒らない精神、良し悪しを判断する力、目端の利く観察力、効率を考える力である。


 まず必要なのは、相手の理由を尊重できることである。


 介護現場では、利用者が職員にとって困る行動をすることがある。


 何度も同じことを訴える。

 危険なのに立ち上がろうとする。

 トイレではない場所で排泄してしまう。

 服薬を拒否する。

 食事や水分を拒む。

 おむつの中に手を入れてしまう。

 夜間に落ち着かなくなる。

 説明しても、また同じ行動を繰り返す。


 これらを表面だけで見れば、ただ困った行動に見える。


 しかし、利用者の行動には理由があることが多い。


 認知症症状がある。

 精神症状がある。

 痛みがある。

 不安がある。

 排泄欲求がある。

 環境への違和感がある。

 体調が悪い。

 薬の影響がある。

 過去の生活歴が関係している。

 自分の状態をうまく言葉にできない。


 そうした理由を考えずに、ただ怒るだけでは介護にならない。


 もちろん、すべての行動を許せばよいという意味ではない。


 危険な立ち上がりは止めなければならない。

 他の利用者に迷惑がかかる行動も放置できない。

 汚染があれば対応しなければならない。

 服薬拒否があれば、安全面や医療面を考えなければならない。

 不穏や問題行動が続けば、職員だけで抱え込まず、看護師や他職種と共有する必要がある。


 相手の理由を尊重することと、何でも許すことは違う。


 ここを分けられる人は、介護職に向いている。


 逆に、理由を見ずにすぐ怒る人は向きにくい。

 利用者の行動を、ただのわがままや迷惑としてしか見られない人も向きにくい。


 介護では、怒っても解決しない場面が多い。


 強く言えば分かる。

 叱ればやめる。

 理屈を説明すれば納得する。


 そういう相手ばかりではない。


 認知症症状があれば、説明しても理解が続かないことがある。

 精神症状があれば、本人の中の不安や混乱が強く出ることがある。

 体調不良があれば、いつもならできることができなくなることもある。


 だから、無闇に怒らないことは重要である。


 ただし、怒らないことと、何も判断しないことは違う。


 介護職には、良し悪しを判断する力も必要である。


 利用者の希望を尊重すべき場面がある。

 一方で、安全のために止めるべき場面もある。


 本人が歩きたいと言う。

 しかし転倒リスクが高い。

 本人が薬を飲みたくないと言う。

 しかし飲まなければ体調に影響する。

 本人が今すぐトイレへ行きたいと言う。

 しかし他の利用者の危険対応が先に必要な場合もある。

 本人が食べたくないと言う。

 しかし水分や栄養が不足すれば体調に関わる。


 このような場面で、ただ本人の希望だけを優先すればよいわけではない。

 逆に、職員の都合だけで押し切ればよいわけでもない。


 尊重と制限の間で判断する必要がある。


 介護は、優しさだけでは判断できない仕事である。


 優しく接することは大事である。

 しかし、危険を止めることも大事である。

 本人の希望を聞くことは大事である。

 しかし、本人の安全を守ることも大事である。

 時間をかけることは大事である。

 しかし、他の利用者を放置するわけにもいかない。


 だから、良し悪しが分かる人は介護に向いている。


 ここで言う良し悪しとは、単純な善悪ではない。

 その場で何を優先すべきか、どこまで許容できるか、何を止めなければならないかを判断する力である。


 次に必要なのは、目端が利くことである。


 介護現場では、問題が起きてから対応するのでは遅いことが多い。


 立ち上がりそうな利用者に気づく。

 車いす上で姿勢が崩れていることに気づく。

 トイレに行きたそうな様子に気づく。

 水分が足りていない可能性に気づく。

 表情や声の変化に気づく。

 いつもと違う歩き方に気づく。

 薬を飲み込めていない可能性に気づく。

 このパットの当て方では漏れそうだと気づく。


 こうした小さな気づきが、事故や大きな後始末を減らす。


 介護現場では、気づける人と気づけない人の差が大きい。


 気づける人は、問題が小さいうちに処理する。

 気づけない人は、問題が大きくなってから対応する。


 その結果、同じ現場でも負担が変わる。


 トイレ誘導が早ければ失禁を防げる。

 姿勢調整が早ければずり落ちを防げる。

 水分補給を促せば体調不良を防げる場合がある。

 不穏の兆候に気づけば、問題行動が大きくなる前に対応できる。

 薬の口内残留に気づけば、服薬ミスを防げる。


 目端が利く職員は、現場を軽くする。


 逆に、気づくのが遅い職員は、本人に悪意がなくても現場を重くすることがある。

 見逃した問題が後で大きくなるからである。


 だから、介護職に向いている人は、ただ指示されたことをするだけではない。

 周囲を見て、利用者を見て、先を読める人である。


 さらに、効率を考えられることも重要である。


 介護で効率というと、冷たい印象を持つ人がいるかもしれない。

 だが、介護現場において効率はかなり大事である。


 なぜなら、職員の人数は限られているからだ。


 一人の利用者に無限に時間をかけることはできない。

 一つの対応に時間を使いすぎれば、別の利用者の対応が遅れる。

 トイレ誘導、入浴、食事、水分補給、記録、レクリエーション、汚染対応、事故予防、投薬、体調確認。

 すべてを限られた時間で回さなければならない。


 だから、効率は必要である。


 ただし、ここで言う効率は、雑に早くすることではない。


 雑に早くすれば、後で漏れる。

 雑に移乗すれば、転倒リスクが上がる。

 雑に投薬すれば、飲み残しやむせ込みを見逃す。

 雑に記録すれば、情報共有が崩れる。


 それは効率ではない。

 後で大きな負担を生むだけである。


 本当の効率とは、後で大きな問題にならないように、今やるべきことを正しく処理することである。


 今トイレへ誘導すれば、後の失禁対応を減らせる。

 今パットをきちんと当てれば、後の更衣や寝具交換を減らせる。

 今姿勢を整えれば、転倒やずり落ちのリスクを減らせる。

 今水分を促せば、体調不良や不穏を減らせる可能性がある。

 今必要な記録を残せば、後の情報共有が楽になる。


 介護における効率とは、手を抜くことではない。

 現場全体の負担を減らすために、先を見て動くことである。


 介護職に向いている人は、この効率を考えられる人である。


 自分の目の前の仕事だけを見るのではなく、現場全体を見る。

 今楽をするのではなく、後で大きな負担にならないようにする。

 自分だけ早く終わるのではなく、他職員や利用者への影響を考える。


 これができる人は、介護現場で強い。


 ここまで考えると、介護職に向いている人は、単純に「優しい人」ではないことが分かる。


 優しさは必要である。

 だが、それだけでは足りない。


 相手の理由を尊重できること。

 無闇に怒らないこと。

 良し悪しを判断できること。

 危険や変化に気づけること。

 効率を考えられること。

 利用者ごとの違いを覚えられること。

 現場全体を見られること。

 必要な時には割り切れること。


 こうした力が必要である。


 ただし、能力的に向いていることと、精神的に続けられることは別である。


 介護職に必要な能力を持っていても、精神的負担に耐えられない人もいる。

 汚染対応がきつい人もいる。

 夜勤が合わない人もいる。

 認知症症状や精神症状への対応で疲弊する人もいる。

 人手不足の現場で消耗してしまう人もいる。


 だから、向いている人でも潰れることはある。


 これは重要である。


 介護職に向いている人がいないから現場が苦しいのではない。

 向いている人であっても、続けるには構造が必要なのである。


 人員が足りなければ、向いている人ほど負担を背負う。

 気づける人ほど動く。

 技術がある人ほど任される。

 効率を考えられる人ほど現場を回す側になる。

 無闇に怒らない人ほど、難しい利用者対応を抱える。


 その結果、向いている人から疲弊することもある。


 これはかなり大きな問題である。


 介護現場では、できる人に仕事が集まりやすい。

 難しい介助、難しい利用者対応、事故リスクの高い場面、新人のフォロー、現場の調整。

 そうしたものが、できる職員に寄っていく。


 それ自体は、現場を回す上では自然な面もある。

 しかし、それが続けば、できる職員が潰れる。


 介護職に向いている人が必要である。

 だが、向いている人に頼り切る現場は危ない。


 本当に必要なのは、向いている人が長く働ける構造である。


 優しさがある人。

 怒らず理由を見られる人。

 良し悪しを判断できる人。

 目端が利く人。

 効率を考えられる人。


 そうした人材は貴重である。


 だからこそ、そういう人を消耗品のように扱ってはいけない。


 介護職に向いている人を増やすには、教育が必要である。

 介護職に向いている人を残すには、人員と環境が必要である。

 介護職に向いている人を潰さないためには、現場の限界を認める必要がある。


 介護は、ただ優しい人がいれば回る仕事ではない。


 優しさに加えて、判断、観察、技術、効率、割り切りが必要な仕事である。


 そして、それらを持つ人が長く働けるようにしなければ、現場は続かない。


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