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第10話 必要なのは割り切りと補充人員

 

 介護現場を良くするには、何が必要なのか。


 よく語られるのは、意識改革である。


 もっと利用者に寄り添うべき。

 もっと丁寧な介護をするべき。

 もっと笑顔を大事にするべき。

 もっとレクリエーションを充実させるべき。

 もっと事故を減らすべき。

 もっと家族に安心してもらえる対応をするべき。


 言っていること自体は、間違っていない。


 利用者に寄り添うことは大事である。

 丁寧な介護も大事である。

 笑顔も大事である。

 事故を減らすことも大事である。

 家族に安心してもらうことも大事である。


 しかし、それを現場の職員の努力だけで実現しようとするなら、かなり危うい。


 介護現場に本当に必要なのは、まず割り切りと補充人員である。


 この二つを抜きにして、理念だけを語っても現場は良くならない。


 介護の仕事には、終わりがない。


 利用者は一人ではない。

 それぞれに介助が必要である。

 排泄がある。

 食事がある。

 水分補給がある。

 投薬がある。

 入浴がある。

 更衣がある。

 汚染対応がある。

 認知症症状や精神症状への対応がある。

 事故防止がある。

 記録がある。

 夜勤がある。

 行事準備がある。

 レクリエーションがある。

 家族対応もある。

 新人教育もある。


 これらを、限られた人数で行う。


 しかも、予定通りには進まない。


 トイレ誘導の途中でセンサーが鳴る。

 記録を書こうとした時に汚染対応が入る。

 入浴準備中に体調不良者が出る。

 水分補給中に別の利用者が立ち上がる。

 レクリエーション中に排泄希望が重なる。

 夜勤中に転倒や発熱が起きる。


 一つずつ丁寧にやりたくても、全てに十分な時間をかけることは難しい。


 ここで必要になるのが、割り切りである。


 割り切りという言葉には、冷たい印象があるかもしれない。

 だが、介護現場における割り切りとは、利用者を軽視することではない。


 むしろ、限られた人員の中で、何を優先すべきかを決めることである。


 命に関わること。

 事故につながること。

 体調悪化につながること。

 感染や不衛生につながること。

 他利用者への影響が大きいこと。

 後回しにすると大きな負担になること。


 こうしたものは優先しなければならない。


 逆に、今すぐでなくてもよい仕事もある。

 完璧でなくても大きな問題にならないものもある。

 余裕がある時に回すべき仕事もある。


 全てを同じ重さで抱えると、現場は潰れる。


 介護現場では、理想を掲げることは簡単である。


 全員に丁寧に対応する。

 全員の訴えをすぐ聞く。

 全ての記録を完璧に残す。

 全てのヒヤリハットを丁寧に書く。

 全てのレクリエーションを充実させる。

 全ての利用者の生活歴を深く理解する。

 全ての家族に十分な説明をする。

 全ての事故をゼロにする。


 これらは、理想としては正しい。


 しかし、現実の人員で実行できるかは別である。


 実行できない理想を、現場に押しつけるとどうなるか。


 職員が無理をする。

 できる職員に負担が偏る。

 記録が後回しになる。

 事故リスクが上がる。

 新人教育が雑になる。

 休憩が休憩にならなくなる。

 職員が疲弊する。

 そして、辞める人が増える。


 結果として、介護の質は下がる。


 だから、できないことを「できる」と言ってはいけない。


 これは非常に重要である。


 現場には限界がある。

 職員にも限界がある。

 時間にも限界がある。

 身体にも限界がある。

 精神にも限界がある。


 その限界を認めることは、怠慢ではない。

 むしろ、現場を守るために必要な現実認識である。


 割り切りとは、諦めることではない。

 優先順位をつけることである。


 何を絶対に落としてはいけないのか。

 何を後回しにしてよいのか。

 何を簡略化できるのか。

 何を職員の善意に頼ってはいけないのか。

 どこから先は人員がなければ無理なのか。


 それをはっきりさせることである。


 ただし、割り切りだけでは足りない。


 割り切りは、現場の限界を認めるために必要である。

 だが、限界を認めるだけでは現場は良くならない。


 必要なのは、補充人員である。


 介護は、人で回る仕事である。


 どれだけマニュアルを整えても、人がいなければ介助はできない。

 どれだけ理念を掲げても、人がいなければ見守りはできない。

 どれだけ記録様式を改善しても、人がいなければ記録を書く時間は取れない。

 どれだけ教育体制を作っても、人がいなければ新人を丁寧に育てる余裕はない。


 結局、人が足りなければ現場は壊れる。


 人が足りないと、一人あたりの負担が増える。

 負担が増えると、職員は疲れる。

 疲れると、気づきが遅れる。

 気づきが遅れると、事故リスクが上がる。

 事故が起きれば、報告書や対応が増える。

 対応が増えれば、さらに時間がなくなる。

 時間がなくなれば、記録や教育が後回しになる。

 教育が不十分になれば、新人が育ちにくい。

 新人が育たなければ、できる職員に負担が偏る。

 できる職員が疲弊すれば、その職員も辞める。


 そして、人手不足がさらに悪化する。


 これは悪循環である。


 この悪循環を、現場職員の根性だけで止めることはできない。


 介護職は、根性が必要な仕事ではある。

 忍耐力も必要である。

 精神的な強さも必要である。

 汚染対応への慣れも必要である。

 理不尽に感じる場面でも、感情を抑えて対応する力が必要である。


 しかし、根性は人員の代わりにはならない。


 忍耐力は、職員数の代わりにはならない。

 優しさは、夜勤者の人数の代わりにはならない。

 責任感は、記録時間の代わりにはならない。

 使命感は、休憩環境の代わりにはならない。


 人が必要な仕事には、人が必要である。


 当たり前のことだが、介護現場ではこの当たり前が軽視されやすい。


 介護は大切な仕事だと言われる。

 高齢者を支える仕事だと言われる。

 社会に必要な仕事だと言われる。

 感謝される仕事だと言われる。


 だが、大切な仕事なら、大切に扱う必要がある。


 大切な仕事だと言いながら、低賃金で、人手不足で、夜勤負担が重く、休憩もまともに休めず、現場の善意に頼り続けるなら、それは大切にしているとは言えない。


 感謝の言葉だけでは、現場は回らない。

 やりがいだけでは、人は残らない。

 理念だけでは、事故は減らない。

 精神論だけでは、夜勤の負担は消えない。


 必要なのは、続けられる構造である。


 介護職に求められるものは多い。


 相手の理由を尊重すること。

 無闇に怒らないこと。

 良し悪しを判断すること。

 目端が利くこと。

 効率を考えること。

 移乗や排泄介助の技術を持つこと。

 投薬や水分補給の確認ができること。

 認知症症状や精神症状に対応できること。

 事故を防ぐこと。

 記録を残すこと。

 夜勤で体調変化に気づくこと。

 新人を育てること。

 家族や他職種と連携すること。


 これだけのことを求めるなら、それに見合う体制が必要である。


 人員が必要である。

 教育時間が必要である。

 休憩が必要である。

 賃金が必要である。

 現場を理解する管理が必要である。

 無理な理想を押しつけない割り切りが必要である。


 介護現場を改善するというなら、まずこの現実から始めなければならない。


 介護の質を上げたいなら、人を増やす必要がある。

 事故を減らしたいなら、職員が気づける余裕を作る必要がある。

 記録を充実させたいなら、記録を書く時間を作る必要がある。

 新人を育てたいなら、教える側が潰れない体制が必要である。

 夜勤を安全にしたいなら、少人数で全てを背負わせすぎない工夫が必要である。


 現場の職員に「頑張れ」と言うだけでは足りない。


 頑張り続けた結果、辞めていく職員がいる。

 頑張れる人に仕事が集まり、その人が疲弊する。

 気づける人ほど動き、技術のある人ほど任され、責任感のある人ほど抱え込む。


 その構造を放置してはいけない。


 介護現場を支えているのは、制度だけではない。

 現場にいる職員一人ひとりの判断と動きである。


 しかし、その職員を消耗品のように使ってはいけない。


 介護は、人を支える仕事である。

 だからこそ、支える側の人間も支えられなければならない。


 利用者の尊厳を守るためには、職員の尊厳も守られる必要がある。

 利用者の安全を守るためには、職員が安全に働ける必要がある。

 利用者に丁寧に関わるためには、職員に時間と余裕が必要である。


 介護を本当に大事にするなら、現場の負担を見なければならない。


 汚染対応の現実。

 夜勤の負担。

 記録の重さ。

 事故リスク。

 職員の能力差。

 新人教育の徒労感。

 管理と現場のズレ。

 人員不足による悪循環。


 それらを見ずに、介護を美しい言葉だけで語ってはいけない。


 介護は、優しさが必要な仕事である。

 しかし、優しさだけで成立させてはいけない仕事でもある。


 介護は、責任感が必要な仕事である。

 しかし、責任感だけに依存してはいけない仕事でもある。


 介護は、人を支える仕事である。

 しかし、その仕事を人の消耗で支えてはいけない。


 現場を本当に改善するなら、まず必要なのは割り切りである。

 全てを完璧にはできないと認め、命と安全に関わることを優先する。

 できないことをできると言わず、現場の限界を正しく見る。


 そして、補充人員である。


 人が足りない仕事には、人を入れる。

 人が育つまで支える。

 人が辞めない環境を作る。

 向いている人が潰れない構造を作る。


 そこから始めなければならない。


 介護現場に必要なのは、感謝や精神論だけではない。


 続けられる構造である。


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