第6話 現場を知らない管理が介護を壊す
介護現場の問題は、現場職員だけを見ていても分からない。
もちろん、現場職員の能力差はある。
気づく職員もいれば、気づくのが遅い職員もいる。
技術のある職員もいれば、経験不足の職員もいる。
先回りして現場を軽くする職員もいれば、問題を後回しにして周囲に負担を回す職員もいる。
しかし、それだけで介護現場の苦しさを説明することはできない。
現場は、現場だけで動いているわけではない。
上には経営があり、管理職があり、施設の方針があり、制度がある。
その判断が現場に降りてくる。
そして、現場を知らない判断が降りてくると、最終的に苦しむのは現場職員と利用者である。
介護施設には、家族経営的な色の強い職場もある。
もちろん、家族経営そのものが必ず悪いわけではない。
現場を大事にし、職員を見て、利用者の生活を本気で考える経営であれば、形態そのものは問題ではない。
問題は、現場を知らない経営判断である。
特に、経営が代替わりした時に、現場軽視が起こることがある。
初代が現場の苦労を知っていたとしても、二代目以降が同じように現場を理解しているとは限らない。
数字を見る。
効率を見る。
人件費を見る。
書類上の配置を見る。
外から見える部分を見る。
それ自体は経営として必要なことでもある。
しかし、そこに現場感覚がなければ危うい。
介護現場は、数字だけでは見えない。
職員が何人いるか。
利用者が何人いるか。
勤務表上は人が足りているか。
法律上の基準は満たしているか。
これだけを見ても、現場が回っているかどうかは分からない。
同じ五人でも、職員の能力によって現場の重さは変わる。
同じ利用者数でも、利用者の状態によって必要な介助量は変わる。
認知症症状や精神症状が強い人が多ければ、見守りの負担は増える。
転倒リスクの高い人が多ければ、職員は常に気を張る。
排泄介助が多い時間帯には、一気に人手が足りなくなる。
入浴日には、通常業務に加えて入浴準備と入浴介助が重なる。
勤務表の人数だけでは、こうした負担は見えない。
それなのに、上層部が数字だけで判断すると、現場に合わない方針が降りてくる。
もっと効率化しろ。
もっと記録を整えろ。
もっとレクリエーションを充実させろ。
もっと事故を減らせ。
もっと利用者満足度を上げろ。
もっと家族対応を丁寧にしろ。
言うのは簡単である。
だが、現場には時間がない。
人も足りない。
身体も足りない。
気力も無限ではない。
すでに限界に近い現場に、さらに要求だけを増やせばどうなるか。
優先順位が壊れる。
職員が疲弊する。
記録が形だけになる。
レクリエーションが負担になる。
事故防止のための余裕がなくなる。
新人教育が後回しになる。
できる職員に仕事が偏る。
結果として、現場はさらに苦しくなる。
管理職の役割も重要である。
本来、管理職は上からの方針をそのまま現場へ流すだけの存在ではない。
上層部の意向を理解する。
現場の実態を把握する。
その二つを調整する。
現場にとって無理があるなら、上に説明する。
現場に必要な形へ落とし込む。
職員が納得できるように伝える。
問題があれば改善につなげる。
それが管理職の役割である。
しかし、管理職がただの伝達係になると、現場は苦しくなる。
上から言われたことを、そのままリーダーへ伝える。
現場に合うかどうかは十分に見ない。
現場からの反発や困難は、リーダーや職員に処理させる。
上層部には、現場が本当にどれだけ苦しいかを伝えない。
こうなると、管理職が管理職として機能していない。
その結果、負担は現場リーダーに落ちる。
リーダーは、上から降りてきた方針を現場で成立させなければならない。
だが、その方針が現場に合っていない場合、リーダーは無理やり調整するしかなくなる。
誰にどの仕事を振るか。
どの業務を先にするか。
どこを簡略化するか。
どこを絶対に削ってはいけないか。
どの職員なら任せられるか。
誰のフォローが必要か。
そうした判断をしながら、現場を回す。
しかし、本来なら上の段階で調整されるべき問題まで、リーダーや現場職員が背負うことになる。
これは構造としておかしい。
現場を知らない経営判断。
調整できない管理職。
そのしわ寄せを受けるリーダー。
そして実際に走り回る現場職員。
この流れができると、現場は壊れていく。
介護現場では、よく「職員の意識が足りない」「もっと利用者のために頑張るべきだ」といった言葉が出ることがある。
だが、意識だけで現場は回らない。
もちろん、職員の意識は大事である。
利用者を雑に扱ってよいわけではない。
責任感は必要である。
観察力も必要である。
丁寧さも必要である。
しかし、意識で人員不足は解決しない。
意識で夜勤の負担は消えない。
意識で汚染対応の回数は減らない。
意識で記録時間は増えない。
意識で職員の技術差は埋まらない。
現場を支えるには、意識ではなく構造が必要である。
経営が現場を理解すること。
管理職が調整機能を果たすこと。
リーダーに負担を押しつけすぎないこと。
現場の人数と業務量を現実的に見ること。
職員が続けられる環境を作ること。
これがなければ、どれだけ立派な理念を掲げても意味がない。
介護施設の理念には、きれいな言葉が並びやすい。
利用者に寄り添う。
その人らしい生活を支える。
尊厳を守る。
安心できる生活を提供する。
笑顔を大切にする。
それらは間違っていない。
むしろ大切なことである。
しかし、その理念を実現するのは現場職員である。
理念を実現するだけの人数がいるのか。
技術を身につける教育時間があるのか。
記録を書く余裕があるのか。
夜勤者が安全を守れる体制になっているのか。
レクリエーションや行事準備が現場の過負荷になっていないか。
職員が消耗し続ける構造になっていないか。
そこを見なければ、理念は現場への圧力になる。
利用者のため。
家族のため。
施設のため。
介護の質のため。
そういう言葉で、現場職員の負担が増えていく。
しかし、職員が潰れれば、介護の質も下がる。
職員が辞めれば、人手不足はさらに悪化する。
できる職員に負担が偏れば、その職員もいずれ限界を迎える。
現場を大切にしない介護は、最終的に利用者も大切にできなくなる。
ここを理解しなければならない。
介護現場の改善は、現場職員にだけ求めるものではない。
経営、管理職、リーダー、現場職員、それぞれの役割がある。
経営は、現場を数字だけで見てはいけない。
管理職は、上からの指示をそのまま流すだけではいけない。
リーダーは、無理な方針を現場の努力だけで成立させようとしてはいけない。
現場職員は、限界を超えて抱え込み続けてはいけない。
現場を知らない管理は、介護を壊す。
そして介護が壊れた時、その被害を受けるのは職員だけではない。
利用者もまた、その影響を受ける。
だから、介護を本当に支えるなら、まず現場を見る必要がある。
数字ではなく、実際に何が起きているのか。
理念ではなく、現場がそれを実行できる体制にあるのか。
職員の気合いではなく、続けられる構造になっているのか。
そこを見ずに現場へ要求だけを増やすなら、それは改善ではない。
現場を知らない管理による改悪である。




