第4話 介護は誰でも同じようにできる仕事ではない
介護は、誰でも同じようにできる仕事ではない。
外から見ると、介護の仕事は単純に見えるかもしれない。
食事を出す。
トイレに連れていく。
おむつを替える。
車いすを押す。
ベッドから起こす。
衣類を着替えさせる。
水分を飲ませる。
見守る。
こう並べると、難しい仕事には見えにくい。
しかし、実際の現場では、同じ作業でも職員ごとに大きな差が出る。
介護現場では、ただ作業をこなせばよいわけではない。
必要なのは、気づく力である。
利用者が立ち上がりそうになっている。
車いすからずり落ちそうになっている。
そろそろトイレに行きたそうにしている。
表情がいつもと違う。
水分が足りていないかもしれない。
この姿勢では危ない。
この声かけでは拒否が出そう。
このパットの当て方では漏れそう。
この人は今対応しておかないと、後で大きな対応になる。
こうした小さな変化や兆候に気づけるかどうかで、現場の負担は大きく変わる。
すぐに気づいて動ける職員は、問題が起きる前に対応する。
危険な立ち上がりを防ぐ。
失禁する前にトイレへ誘導する。
姿勢を直して転倒やずり落ちを防ぐ。
不穏になる前に声をかける。
汚染が広がる前に対応する。
こういう職員がいると、現場は安定しやすい。
逆に、気づくのが遅い職員もいる。
能力の問題なのか、性格の問題なのか、経験の問題なのかは人による。
しかし、現実として、危険の兆候に気づくのが遅い職員はいる。
そういう職員は、問題が起きてから動く。
立ち上がってから対応する。
失禁してから更衣する。
漏れてから寝具交換をする。
転倒しそうになってから慌てる。
不穏が強くなってから声をかける。
もちろん、誰でも完璧に先回りできるわけではない。
介護現場では同時に複数のことが起きるため、すべてを防ぐことはできない。
だが、気づく職員と気づかない職員の差は、かなり大きい。
介護の問題は、後回しにしても消えない。
むしろ、大きくなって戻ってくる。
トイレ誘導を後回しにすれば、失禁につながる。
失禁すれば、更衣が必要になる。
衣類が汚れれば洗濯物が増える。
椅子やベッドが汚れれば掃除や寝具交換が必要になる。
本人の不快感も増える。
職員の負担も増える。
最初にトイレへ誘導しておけば、数分で済んだかもしれない。
しかし、後回しにしたことで、十数分以上の仕事になることがある。
姿勢の崩れも同じである。
車いす上で姿勢が崩れている。
少しずり落ちている。
足の位置が悪い。
体が傾いている。
その時点で直せば、大きな問題にはならないかもしれない。
しかし放置すれば、ずり落ちや転倒につながる可能性がある。
転倒すれば、事故対応が必要になる。
受傷確認をする。
看護師へ報告する。
家族連絡が必要になる場合もある。
事故報告書を書く。
再発防止策を考える。
場合によっては、利用者本人の状態も悪化する。
少しの気づきで防げたかもしれない問題が、後で大きな負担になる。
おむつやパットの当て方も同じである。
雑に当てる。
体型に合っていない。
尿量に合っていない。
寝姿勢や動き方を考えていない。
隙間がある。
ズレやすい。
そうすると漏れる。
漏れれば、更衣が必要になる。
シーツ交換が必要になる。
身体を拭く必要が出る。
場合によっては居室の清掃も必要になる。
利用者本人も不快になる。
一方で、利用者の体型、尿量、動き方、寝方を理解して、上手く当てられる職員は漏れを減らせる。
漏れが減れば、更衣も減る。
寝具交換も減る。
利用者の不快感も減る。
職員の負担も減る。
つまり、技術と気づきは、現場全体の仕事量を変える。
介護は、問題が発生してから処理する仕事ではない。
本来は、問題が大きくなる前に気づき、先に潰していく仕事である。
ここを理解していないと、介護現場は重くなる。
その場では楽をしているように見えても、後で誰かがそのツケを払うことになる。
トイレ誘導をしなかった職員ではなく、後から失禁対応をする職員が負担を負う。
姿勢を直さなかった職員ではなく、事故対応をする職員が負担を負う。
雑にパットを当てた職員ではなく、漏れた後に更衣や寝具交換をする職員が負担を負う。
不穏の兆候を見逃した職員ではなく、大きくなった問題行動に対応する職員が負担を負う。
介護現場では、仕事の後回しが、他の職員の負担として現れる。
だから、介護職には目端の利く力が必要である。
目端が利くとは、ただ周囲を見ているという意味ではない。
利用者ごとの特徴を知り、その人が次に何をしそうか、何に困りそうか、どこに危険があるかを予測する力である。
この人は、この時間帯になるとトイレに行きたがる。
この人は、眠気が強いと車いす上で傾きやすい。
この人は、水分が少ないと不穏になりやすい。
この人は、声かけの仕方を間違えると拒否が強くなる。
この人は、薬を飲んだように見えて口の中に残しやすい。
この人は、立てると思って急に立ち上がるが、実際には不安定で危ない。
こうした個別性を覚え、対応を変える必要がある。
介護は、全員に同じ対応をすればよい仕事ではない。
同じ声かけでも、ある利用者には通じる。
別の利用者には怒りや拒否につながる。
同じ介助方法でも、ある利用者には安全である。
別の利用者には危険になる。
同じタイミングでも、ある利用者にはちょうどよい。
別の利用者には遅すぎる。
だから、介護には利用者ごとの最適化が必要である。
そして、その最適化を怠ると、後で現場全体が苦しくなる。
介護職の能力差は、単に仕事が早いか遅いかだけではない。
気づくのが早いか。
先回りできるか。
危険を予測できるか。
利用者ごとの特徴を覚えているか。
後で大きな負担にならないように動けるか。
雑な対応で仕事を増やしていないか。
他の職員へ負担を回していないか。
そこに差が出る。
もちろん、職員にも事情はある。
経験の浅い職員もいる。
体力がない職員もいる。
判断が遅い職員もいる。
向き不向きもある。
教育が不十分な場合もある。
人手不足で余裕がなく、気づけるものも気づけなくなる場合もある。
だから、気づけない職員を単純に責めればよいという話ではない。
しかし、現場の実態として、職員ごとの能力差が利用者の安全と業務量に影響することは否定できない。
介護を「誰でもできる仕事」と見る人は、この差を見ていない。
誰がやっても同じだと思っている。
作業さえすればよいと思っている。
人数さえいれば回ると思っている。
しかし実際には、同じ人数でも、職員の質によって現場の負担は変わる。
気づく職員が多い現場は、事故や汚染や不穏を減らしやすい。
後回しにする職員が多い現場は、問題が大きくなってから対応することが増える。
介護は、優しさだけではできない。
体力だけでもできない。
言われた作業だけをこなせばよい仕事でもない。
必要なのは、利用者を見て、状況を読み、先を予測し、今やるべきことを判断する力である。
介護現場を本当に軽くする職員は、単に忙しく動く職員ではない。
後で大きな問題にならないように、今、小さく処理できる職員である。
その力があるかどうかで、現場の大変さは大きく変わる。
だから介護は、誰でも同じようにできる仕事ではない。




