45.優雅なダンスとは
十一歳の秋のことを、コーデリアはよく覚えていた。
王太子オスカーの誕生日を祝う晩餐会。婚約者として初めて公の場に立った、あの夜のことを。
——あれは、最悪という言葉では足りなかった。
コーデリアが完璧な淑女として振る舞った瞬間、何かに対抗意識でも刺激されたのか、オスカーが「完璧な王太子殿下」をやり始めた。微笑み、エスコート、気遣い、会話。全てが教本通りだった。いや、教本が泣いて土下座するレベルで完璧だった。
毛虫で追いかけ回していたあの姿からは、想像もできないことである。あの当時の純真さをそのまま表してくれても良かったのだと、コーデリアは思っていた。それなら、さすがに王夫妻が秒で退場させてくれていただろうに、あの男めはかけらも表に出さなかった。
結果、周囲から「お似合いのご婚約者様」という、人生において一ミリも必要のない誤解を量産することになった。
最悪である。
(奴の誕生日だけ、この世から永遠に消滅しないかしら)
毎年の誕生日祝いのパーティーに隣に並ばねばいけないなど、どんな拷問か。しかしここはファンタジーな世界なのは確かではあるが、さすがに時空の法則を無視するのは不可能だった。コーデリアはあっさり諦めた。
だからこそ、誕生日以外で社交の場に隣に立たされるのは、ごめん被りたいのだが。
そんな悪夢を、十二歳になったコーデリアは再び思い出していた。
今年も、どうしても社交の場に出なければならない用が入ったのだ。
(どこかに不治の病でも落ちていないかしら)
竜討伐の旅に出るという案も一瞬浮かんだが、ヴィクトルに笑顔で却下され、素直に脱走を試みたところでリンの監視網に阻まれ、ニーナには逃走用の靴まで回収されていた。
なぜバレた。
結局あらゆる逃亡策は潰され、コーデリアは泣く泣く現実を受け入れることになった。
「涙は困りますわ、お嬢様。化粧が崩れます」
「まだ泣いていないわ」
「今にも泣きそうなお顔をされております」
リンとニーナに囲まれながら、コーデリアは処刑台へ向かう囚人のような顔で支度を受けていた。
その様子を、エレノアは少し離れた場所でくすくすと笑いながら眺めていた。
実に楽しそうだった。
味方がいない。
*****
会場に入った瞬間、周囲の視線が集まった。
完璧な王太子と、完璧な公爵令嬢。
少なくとも、周囲にはそう見えていた。
実態は違った。
音楽に合わせて踊りながら、二人は水面下で激しい戦いを繰り広げていた。
ぐり。
オスカーの靴先が踏み込んでくる。コーデリアは優雅に躱し、そのまま裾で反撃した。
「危ないですね、コーデリア嬢」
「殿下こそ、お足元がふらついておりますわ」
周囲から見れば完璧な微笑み。実際は殺気である。
踏む。避ける。踏み返す。
しかし周囲の貴族たちはうっとりしていた。
『なんて息の合ったダンス……』
違う。あれは高度な足踏み戦争である。
そして長かった社交の時間は、終わった。
帰りの馬車で、コーデリアは深く目を閉じた。
無事に終わった。
最悪だった。
*****
それから、駆け足で季節は巡っていった。
孤児院への慰問は変わらず続いた。新しく整えられたサント・クロワ院とステラ院には、以前より穏やかな空気が流れるようになっていた。ブランシュ・リリー院でも、子供たちの笑い声が増えていた。
カリタス院の子供たちもまた、少しずつ笑顔を取り戻し始めていた。泣いてばかりいた子が笑うようになり、怯えていた子が眠れるようになり、誰かの後ろに隠れていた子が、小さな声で挨拶を返すようになった。
ほんの少しずつ。けれど確かに、変わっていった。
そうして、また季節が巡る。
コーデリアは、十二歳になった。




