35.ソフィ
季節は、秋に差し掛かっていた。
カリタス院を訪れるのは、今日も絵本を持ってのことだった。
ラルドンの案内を受けながら、コーデリアは室内に入った。彼はいまだに、教育システムも清掃活動も受け入れていなかった。他の院が少しずつ変わっていく中でも、あくまでも独自の教育を貫くようだった。コーデリアはもはや、彼には何も言わなかった。
本を開くと、子供たちがわっと集まってきた。
いつも一番近くに来る、あの柔らかな髪の女の子が、今日は少し離れた場所に座っていた。絵本には目を向けている。しかしその大きな丸い目は、どこか遠くを見ていた。
コーデリアは読み進めながら、その子から視線を外さなかった。
「ありがとうございました」
読み終えると、子供たちはお礼を述べ、散り散りになっていく。女の子が立ち上がりかけた瞬間、コーデリアはそっと声をかけた。
「ねぇ、今日は絵本はつまらなかった?」
「ち、違います! 面白かったです!」
慌てて首を横に振る。しかし、その目が少し赤かった。
「どうしたの? 何かあった?」
女の子は、唇をきゅっと結んだ。それから、ひどく小さな声で言った。
「……今度、引き取られることになったの」
声が、震えていた。大きな目に、じわりと涙が浮かんでいた。小さな肩が、かすかに揺れていた。
「どうしたの、ソフィ」
職員の声が、にこやかに飛んできた。
ソフィの表情が、一瞬で切り替わった。
「申し訳ありません、目にゴミが入ってしまって」
コーデリアは微笑んだまま、何も言わなかった。
(この子は今、咄嗟に嘘をついた)
涙も、震えも、全部どこかへ仕舞われた。そしてその嘘が、少しも不自然でなかったことに、コーデリアはぞっとした。何度も練習したのか。それとも、もう慣れてしまったのか。どちらにしても——
「わたくし、この子が気に入ったわ。もう少しお話ししたいの。良いでしょう?」
職員は一瞬だけ表情を固めたが、相手はアルメリア公爵家の令嬢である。愛想笑いを貼り付けたまま、一歩引き下がった。
コーデリアはソフィの隣に腰を下ろし、持参した本をゆっくりと開いた。
ページをめくる振りをしながら、コーデリアは視線を本に落としたまま、静かに口を開いた。
「——引き取られる先は、どこ?」
ソフィの手が、膝の上でぎゅっと握られた。
しばらく間があった。
「……何度か、会ったことのあるおじさん」
声が、小さくなった。
「会うたびに、私の手とか、体とか……触ってくるの」
コーデリアは本のページを、静かにめくった。
「ここの子は、皆同じなんです……だから、皆、よく見られようと、本当は必死なんです……」
紙の擦れる音だけが、静かに響いた。
職員の視線が、時折こちらへ向いてくるのをコーデリアは感じていた。表情は動かさなかった。
*****
帰りの馬車の中で、コーデリアはしばらく口を開かなかった。
リンは何も聞かなかった。
邸が近づいてくる。コーデリアは、静かに口を開いた。
「アランを呼んでちょうだい。それから——」
少しだけ間があった。
「お父様の執務室に行くわよ」
馬車の外を、秋の風が通り過ぎていった。




