34. まだ届かない
証拠は、確実に積み上がっていた。
アランを通して届く調査報告は、回を重ねるごとに分厚くなっていた。カリタス院の帳簿の歪み。ラルドンの財布の動き。表の子供たちが定期的に「引き取られ」ていく不自然な頻度。並べれば、カリタス院が人身売買に関与していることは、もはや疑いようがなかった。
問題は、その先だった。
金の流れを追えば追うほど、中間に幾重もの壁が現れた。ダミーの商会、架空の取引先、実体のない名義——丁寧に、丁寧に、積み上げられた壁だった。
その向こうに誰がいるのか——輪郭だけが、ずっと見えていた。
側妃との打ち合わせでも、その話は出た。
「焦らないことです」
サフィーナは静かにそう言った。それ以上でも、それ以下でもなかった。
「……分かっておりますわ」
銀髪の背中が遠ざかっていく。コーデリアはその背中を、わずかに唇を引き結んだまま見送った。
その夜、コーデリアはヴィクトルの執務室の扉を叩いた。
*****
「何か進展はありませんの」
開口一番がそれだった。
ヴィクトルは書類から目を上げた。娘の顔を見て、小さく息を吐いた。
「ないよ」
「……ラルドンだけでも、先に」
「駄目だ」
即答だった。
「今動けば、尻尾だけ切られて終わる。大元を断たなければ、同じことが繰り返される」
「では、いつになれば」
「それが分かれば、私も苦労しない」
コーデリアは口を閉じた。
ヴィクトルは書類を置いた。椅子の背にゆっくりと体を預け、娘を真正面から見た。
「コーデリア」
「……はい」
「大元を断つためには、多少の犠牲は必要だよ」
いつもの声だった。穏やかで、静かで、甘い声だった。
しかしその目は、全く別のものだった。
コーデリアはその目を、正面から受け止めた。反論の言葉を探した。見つからなかった。見つかるはずがなかった。
「……そうですわね」
それだけ言って、コーデリアは執務室を後にした。
廊下はしんと静かだった。コーデリアはしばらくその場に立っていた。それから、踵を返した。
*****
翌朝の訓練のことだった。
邸の裏手に設けられた騎士用訓練場は、夏の朝の光の中でいつも通り静かだった。ガストンはすでに準備を整えて待っていた。
「コーデリア嬢、今日はどのあたりから——」
振り返ったガストンの目に、眩く輝く銀の光が飛び込んできた。
コーデリアがフォークを持っていた。
「ちょっと的になりなさい」
「え?」
「的。今すぐ」
「い、いや、ちょっと待って? 何でフォーク!?」
「わたくしも、ナイフを持った側の気持ちを知ることが大事かと思いましたの」
「いや! それなら花柄クッションナイフでいいじゃないか! 何でフォークなんだよ!!」
「うるさいわね、始めるわよ」
「うわ! やめろ! あいてっ、本気で当てようとしてくるなよ!!」
ガストンの悲鳴が、朝の訓練場に響いた。
セドリックは入口で一部始終を目撃し、静かに踵を返した。今日は用事があったことを思い出したのである。用事の内容については、本人にも定かではなかった。
この訓練は、コーデリアが満足するまで続いた。
ガストンは翌日、右腕に青痣を三つ作っていた。後日、その理由を問われた時、ガストンはしばらく沈黙してから、乾いた笑いをひとつ零した。それ以上は、何も語らなかったという。
リンからの報告は、その日の夕刻にアランの元へ届いた。アランは無言でそれを聞き、無言で頷いた。
翌朝の朝食の席に、コーデリアの好きな菓子が一品、静かに増えていた。増えた理由について、誰も尋ねなかった。




