30. 水面下の攻防
王城の一室に、重い沈黙が満ちていた。外では冬の風が吹いていたが、室内の空気はそれとは別の意味で、冷えていた。
長テーブルの上座に、側妃サフィーナは静かに座っていた。銀髪が、窓から差し込む光を受けてかすかに輝いている。その表情は、穏やかだった。最初から、ずっと穏やかだった。
「本日は国王陛下のご多忙につき、わたくしが代わりに進行を務めさせていただきます」
国王がなぜ"多忙"なのかを、この場で口にする者はいなかった。
テーブルの端、軍務卿ヴィクトル・ロゼ・アルメリアは穏やかな表情のまま、一言も発していなかった。ただその金色の瞳は、発言する者の顔を、ひとつひとつ、静かに見ていた。
サフィーナが口を開いた。
「王都における孤児院への支援、および孤児達を活用した清掃活動の導入について、皆様のご意見を伺いたく存じます」
沈黙は、長くは続かなかった。
「側妃様」
声を上げたのは、テーブルの中ほどに座るブリアン伯爵だった。赤ら顔に、腹の出た体躯。豪華な装飾品がきらりと光った。
「孤児などというものは、言ってしまえば身寄りのない浮浪者の子供でございます。そのような者達のために、わざわざ国が動く必要がございましょうか」
「左様、左様」
同調する声が、いくつか上がった。宰相と懇意にしている面々が、申し合わせたように頷いていた。
別の声が続いた。
「そもそも、これほど小規模な話題を、わざわざ議会で扱う必要がございますかな」
マレー侯爵だった。にこやかな笑顔の奥に、値踏みするような目があった。その襟元には、鮮やかな宝石が煌めいていた。
サフィーナは微笑んだまま、答えた。
「ごもっともな疑問です。ただ——本来であれば、各院への支援が適切に行き渡っていれば、このような案を議会に上程する必要もございませんでした」
室内が、わずかにざわついた。
「しかし現状、支援の行き届いていない院が複数ございます。その原因がどこにあるかは、皆様方もよくご存知のことと存じますが」
誰も、何も言わなかった。
「加えて」
サフィーナは続けた。
「正式な事業として認定されていない場合、清掃活動中の子供たちが心ない扱いを受ける恐れもございます。公的な活動として位置づけることで、子供たちの身分と安全を守る意味もございます」
マレー侯爵が、ぐっと黙った。
「王都の衛生が保たれなければ、治安の悪化や伝染病の蔓延にも繋がりかねません。王都の活気は、清潔さと秩序の上に成り立っているものでございます」
「そ、それはそうかもしれませんが——しかし財源が」
「財源についても、お話しさせていただきます」
サフィーナの声音は、最初から最後まで変わらなかった。怒気もなく、嘲りもなく、ただ穏やかなままだった。その穏やかさこそが、この場で最も恐ろしかった。
「この活動に必要な子供たちへの報酬は、一人につき月に銅貨十枚程度でございます。運営にかかる人件費、ごみの処置費用を合わせても、金貨数枚程度で十分に回ります。その費用を、王都に屋敷を構える貴族の皆様方から広くご負担いただければと思っております」
「金貨数枚とはいえ、我々とて無尽蔵に資金があるわけでは」
「まあ」
サフィーナの声が、わずかに柔らかくなった。室内の空気が、ひやりと冷えた気がした。
「それは存じませんでした。——ところで、本日のお召し物、大変素敵でございますね、ブリアン伯爵」
ブリアン伯爵が、ぴくりと動いた。
「その生地、東方から取り寄せた上質なものでございましょう。先月はお見かけしませんでしたから、最近お求めになったのかしら。相場ですと、金貨三十枚ほどでしたかしら」
伯爵の顔が、みるみる赤みを増した。
「そ、それは——妻からの贈り物で」
「まあ、奥様からの贈り物でございますか。素敵なご夫婦ですこと」
サフィーナは微笑んだまま、今度はマレー侯爵へ視線を向けた。
「マレー侯爵、先ほどご指摘いただきありがとうございました。——ところで、その襟元の宝石、大変見事でございますね。確か金貨五十枚は下らないものでは」
マレー侯爵が、ごくりと喉を鳴らした。
サフィーナがゆっくりと室内を見渡した。
その視線が巡った瞬間、後ろ暗いものを抱えた者達が、さっと目を逸らした。
沈黙が、室内に広がった。
そこへ、穏やかな声が響いた。
「まあまあ。良いではないですか、皆様方」
宰相のベルゼリス侯爵は、にこやかな笑顔のまま口を開いた。
「王都が美しく保たれ、民達にも活気が生まれ、孤児達にも仕事が与えられる。実に素晴らしい案ではありませんか」
ヴィクトルの沈黙する姿を一瞥してから、ベルゼリス侯爵は穏やかに笑った。その笑顔の奥で、何かを計算するような光が一瞬だけ走った。気づいた者が、この場にどれだけいたかは定かではない。
「そ、そうですね、ははははは」
反対していた面々が、揃って愛想笑いをした。
そして誰からともなく、ぱちぱちと拍手が響き始める。その音は瞬く間に広がり、会議室は称賛の拍手に包まれた。
採択は、滞りなく決まった。
*****
会議が終わった後、サフィーナはひとつ、静かに息をついた。
ヴィクトルは穏やかな表情を崩さないまま、立ち上がった。今日この場で、彼が発した言葉は一言もなかった。それで十分だった。
(良かった。これで、あの子との約束を果たせたわ)
ちなみにその立案者は、花柄の胴着二枚目をガストンに着せようと全力で追いかけていた。




