29.解せぬ
秋風が、訓練場を吹き抜けていた。
セドリックが繰り出した何かを、コーデリアがぎりぎりでかわしていた、その時だった。
再び、ガルドが息子を連れて訓練場に訪れた。
「やあやあ、訓練の経過はどうかね!」
ガルドの声に、コーデリアの動きが止まった。息は上がり、額の汗が顎を伝って落ちる。
セドリックがコーデリアに休憩を告げ、ガストンに向き直った。彼は額に汗は流しているものの、だいぶ余裕そうだった。
ガストンは真剣な顔をしていた。父親に連れられてきたのではなく、自分の意思でここに来た顔だった。
「実はな、息子もここで訓練を受けさせてもらえないかと思いましてな! 本人が、ぜひにと申すもので!!」
コーデリアはちらりとガストンを見た。
「……あら、そう」
それだけ言って、息を整えることに集中した。今日の訓練の続きが、まだ残っていた。
ガストンの内心では、しかし、静かに炎が燃えていた。
あの日から、ずっと考えていた。あの令嬢は、社交界という修羅場で「魔物」と渡り合うための力を、静かに、しかし必死に身につけようとしていた。騎士団長の息子として剣を学んできた自分が、ただ見ているだけでいいはずがなかった。
(ここでなら、俺はもっと強くなれる)
その決意の根拠が、社交界への盛大な誤解に基づいていることを、ガストン本人は露ほども気づいていなかった。
「今、お嬢様は相手の獲物から避ける訓練をなさっています」
「獲物から、ですか?」
「はい、例えば短剣などの刃物類からです。触れたら怪我をし、下手すれば致命傷を受ける可能性があるので、全てを避けるための訓練をしています」
そうして差し出されたのは。
花柄の、細長いクッションだった。
(——花柄)
鋭利な刃物の代わりとは、到底思えないほどの可愛らしさがあった。
ガストンの口元が、かすかに動いた。セドリックは無表情のまま、一言も言わなかった。かつて自分も、同じ場面で同じ反応をしたことを、セドリックは思い出していた。
(いや、俺は絶対、ここで強くなると決めたんだ!)
「はい! 大丈夫です! 俺も同じ訓練をよろしくお願いします!」
ガルドが満足そうに腕を組んだ。
「では私はこれで! セドリック、頼んだぞ!!」
豪快に笑い、来た時と同じ勢いで去っていった。
訓練場に、三人が残された。
すぐさま、訓練が再開された。セドリックとガストンが向き合う。セドリックの動きが、わずかに変わった。コーデリアを相手にしていた時より、速さが増していた。
それでもガストンは、ひょいひょいとかわしていた。時折セドリックの花柄クッションが体に触れることはあったが、その回数は明らかにコーデリアの時より少なかった。
ガストンの家での訓練が、確かに生きていた。剣を振るうためではなく、正面から戦うためのものであっても、体に染み込んだ動きというのは、そう簡単には崩れないものだった。
コーデリアは、ただ黙って見つめていた。
いや——睨んでいた。
*****
翌週の訓練の日、コーデリアはセドリックより先に訓練場に来ていた。隣に、専属侍女のニーナが立っていた。手に何かを持っていた。
ガストンが訓練場に入った瞬間、二人の視線がこちらに向いた。
「あなたのよ。つけなさい」
砂袋だった。手首と足首に巻きつけるための、布製の帯具だった。
花柄だった。
「え、なんでーー」
「つけなさい、いいから」
ガストンは、砂袋を見た。それからセドリックを見た。
セドリックは静かに、首を横に振った。
諦めろ、ということだった。
ニーナが、無言で装着させた。
訓練が始まった。
重かった。動けないほどではない。だが、確実に動きは鈍る重さだった。
セドリックの花柄クッションが、あっさりガストンの体に触れた。
(——くっ)
先週まではかわせていた。体力には自信があった。それでも、この重さの中では動きが鈍る。
(この訓練……いける!!)
悔しさと手応えが、同時に燃え上がった。
コーデリアは離れた場所から、その様子を無言で見つめていた。眉間には、うっすらと皺が寄っていた。
*****
それからの二週間、手足の砂袋での訓練が続いた。
ガストンは毎回、意気込んで訓練場に来た。重さに少しずつ慣れ、動きが戻ってきた頃のことだった。今日こそはとセドリックの動きを読もうと気合を入れて訓練場に入ると、コーデリアとニーナが並んで待ち構えていた。
ニーナの手には、見覚えのない形のものがあった。
砂入りのチョッキ型の胴着だった。もちろん、生地は花柄である。
「いや、さすがにこれは——」
「つけなさい」
「まだ手足のだけで大変なのにーー」
「つけなさい」
「じゃ、じゃあ、せめてその体用のだけで」
「何言っているのよ、両方つけるに決まっているでしょう」
「…………はい」
(——しかも、なんで花柄なんだよ!!)
ガストンは、肩を下ろして項垂れた。ニーナが丁寧に花柄の胴着、そして手足の砂袋を巻きつける。
ずっしりと、体が沈む。
(——想像以上に重いな、これ)
そして訓練が始まった。
重かった。だいぶ重かった。セドリックの花柄クッションが、いとも容易くガストンの体に触れた。
(——くそっ)
先週まではまだ動けていた。それが、胴体に重さが加わった途端、足が思うように動かない。腕も、反応が遅れる。体全体が、まるで水の中にいるようだった。
それでもガストンの目は、燃えていた。
(この重さを、乗り越えてやる)
騎士道精神が、静かに、しかし確かに燃え上がっていた。
コーデリアはその様子を、離れたところからただ静かに見つめていた。コーデリアの眉間の皺は、以前よりさらに深くなっていた。
砂袋をつけるたびに、なぜかガストンの目が輝く。重くなるたびに、なぜか表情が生き生きとしてくる。
その一部始終を、セドリックは無言で見ていた。
*****
侍女長を通じた製作依頼は、当然ヴィクトルの耳にも届いていた。砂袋の存在がアランを経由してアルメリア家の私設騎士団に伝わり、正式に採用が決まったのは、花柄の胴着が完成してから二週間も経たないうちのことだった。セドリックが騎士団への導入を進言したのは、さらにその後である。
なお、採用された砂袋が花柄であったかどうかについては、記録に残っていない。
ちなみに訓練効率については、極めて高評価だったという。
解せぬ、とは当時のコーデリアの気持ちであった。




