28. 攻略対象者「脳筋」現る
コーデリアが王城から帰宅し、ヴィクトルの元に訪れると、彼はにこにこしながら待っていた。
「よくやった」
なぜ父が笑顔でこう言うのか、もはやコーデリアは尋ねることすらしなかった。
「採択まで少し時間がかかるだろう。それまでは少しゆっくりしなさい」
コーデリアは一瞬、きょとんとした。
「最近の君は、ちょっと忙しすぎるからね」
ヴィクトルは穏やかに、しかし有無を言わさない口調で続けた。娘に休めと言える父親の顔だった。コーデリアは素直に頷いた。異論を唱えるだけの理由が、特になかった。
それからしばらくの期間、コーデリアは意識的に自分のための時間を作った。
書棚から読みかけの本を引っ張り出し、窓際の椅子に腰を落ち着けて読んだ。刺繍の続きを広げ、針を動かした。前世は裁縫などしても針で指を刺すのがオチだったというのに、仕上がりは我ながら見事なものだった。つくづく、公爵家の血統というのは素晴らしかった。
たまに友人令嬢のお茶会に顔を出すと、最近市井で話題の小説があると勧められた。悪役令嬢ものだという。
「残念だけど、興味ないの」
とても綺麗な笑顔に、友人令嬢はそれ以上勧めなかった。話題は次へ移り、午後のお茶会は穏やかに流れていった。
*****
側妃からの連絡を、静かに時間を潰しながら待った。
待っている間も、訓練は続いていた。
その日も、コーデリアはセドリックから逃げ回っていた。簡素な上下に身を包み、額に汗を滲ませながら、セドリックの動きを読もうとしていた。
訓練場に人の気配が近づいてきたのは、そんな最中だった。
「やあやあ、訓練の経過はどうかね!」
ガルドが、大きな声でやってきた。その隣に、少年が一人いた。どこか釈然としない顔をしている。父親に半ば引っ張られるようにして連れてこられた、という空気が滲み出ていた。
コーデリアは軽く礼をした。汗まみれのまま、髪も乱れたまま、動きやすい格好のままで。
少年は、コーデリアを見てぽかんと口を開けた。無理もない。貴族令嬢といえば、読書、刺繍、お茶会——ガストンの十歳上の姉も、普段はそのように穏やかに過ごしている。目の前の令嬢も、見た目だけなら確かに令嬢だった。しかしなぜ、汗まみれで息を切らして、訓練場に立っているのか。少年にはまるで理解できなかった。
(面白い訓練をしている子供がいると聞いていたけど——まさか令嬢だったとは)
相手も自分と同じ少年だと思っていたため、驚きを隠せない。
「息子のガストンです」
ガルドが朗らかに紹介した。コーデリアは少年の顔を見た。
濃紺の短髪。父親と全く同じ髪の色をしている。まさに父親をそのまま小さくしたような姿をしたのが、ガストンだった。
(ガストン)
名前が、頭の中で何かに引っかかる。ガストン、ガストン——どこかで聞いた名前だ。苗字を聞かされても、何も浮かばなかった。しかし顔と名前が合わさった瞬間、記憶の底から何かが浮き上がってきた。
(……あ、こいつ、確か『脳筋』だ)
攻略対象者の一人だったことを、その瞬間ようやく思い出した。学園で見たゲームの中のガストンは、精悍で堂々とした青年だった。目の前の少年は、まだその面影すら見当たらなかった。名前を言われるまで気づかなかったのも、無理はなかった。
「コーデリア・ロゼ・アルメリアですわ」
表情は完璧なままだった。
ガストンがおずおずと口を開いた。
「あの……なぜ、令嬢がこのような訓練を?」
「自分で自分の身を守るのは、当然ですわ」
ガストンはしごく不思議そうな顔をした。
「なぜ、自分の身を自分で守る必要がある? 貴族のご令嬢なら、危ないところになど近づかないはずだろう? ましてや貴方は、この国の筆頭公爵家のご令嬢なんだから」
「——は?」
コーデリアの反応に、ガストンがびくっと肩を揺らした。何か変なことを言っただろうか、という顔だった。
「貴族令嬢は"安全な場所にいる"と油断した瞬間が、一番危険なのですわ。一瞬でも隙を見せることは許されませんもの」
コーデリアの脳内に浮かぶのは、もちろん孤児院での出来事だ。
「安全な場所が、危険?」
つまり、姉が参加するような場所——例えばお茶会や夜会にも、実はガストンには知り得ない、命の危険と隣り合わせというものが存在するのだろうか?
「……まさか、そんな」
「本当のことですわ。わたくしも、あやうく死にかけましたもの」
ハハっと乾いた笑いをするガストンに、コーデリアは真剣に告げる。暴漢に襲われ、リンが間に合わなかったら危うかったので、嘘は言っていない——盛大な勘違いは招きかけているが。
「で、でも——令嬢がそういう場に出向いたとしても、そういう危険から守るために騎士団や警備兵がいるんじゃないか!」
だから姉達は社交界に出ても大丈夫なはずなんだと、ガストンも必死に反論する。
(こいつ……頭おかしいんじゃないの?)
だから『脳筋』なんだと、コーデリアはため息をついた。騎士が駆けつける頃には、もう全てが終わっているということも、あり得るのだ。
「いいこと? せっかくですから大事なことを教えてさしあげますわ」
「え? だ、大事なことって?」
なんだか気迫が迫るその姿に、ガストンは少し後退りした。
「後ろ首をかかれたら、その時点でもう終わりですのよ!!」
くわっと、目に力が入った。その瞬間、チェーンソーで首をぶった斬られたあのゾンビの哀れな姿が、ガストンと重なって見えた。
ちなみに、背後から静かに迫ってゾンビ達の首を切り落としまくっていたのは、コーデリア当人であったが。
(社交界に……後ろから来る『何か』がいるのか? それも、騎士団や警備兵は敵わないような『何か』が)
その内情を全く知らないガストンは、あまりに恐ろしく鬼気迫るコーデリアに、顔から血の気がさーっと消えていった。
(な……なんて恐ろしいんだ! 貴族令嬢達の参加する社交界には、きっと俺の知らない『魔物』が存在していたんだ!!)
ガクガクと足を震わせるガストン。隣では、ガルドがよく分からないながらも、息子にカツを入れるコーデリアの姿に、まんざらでもなさそうに頷いている。セドリックは無表情のまま、一言も発しなかった。
(どうやら、わたくしの気持ちを理解してくれたようね)
コーデリアは満足そうに頷いた。
ガストンが全くの見当違いで怯えているだろうことに気づいていたのは、その場ではセドリックと側に控えていたリンのただ二人だけであった。




