16.嘘も方便
ある日のことだった。朝の光が、アルメリア公爵邸の食堂に静かに差し込んでいた。
今日は珍しく、家族全員が食卓に揃っていた。
食器の触れ合う小さな音だけが、静かな食堂に控えめに響いている。香ばしいパンの匂いと、温かなスープの湯気が朝の空気に溶けていく。
「今朝は朝から甘い香りがしていたね。また孤児院へのお菓子を作っていたのかい?」
「ええ。今日はクッキーではなく、マフィンにしてみましたの。厨房の皆様には朝の忙しい時間帯にご迷惑をおかけしましたが、快く場所を貸してくださいましたの」
コーデリアの返答に、ヴィクトルは満足そうに頷く。
「うんうん、いいねぇ。そんなにお菓子作りが気に入ったなら、専用の厨房でもプレゼントしよう」
「結構ですわ。毎日作るものでもありませんし、場所と資金が勿体無いですわ。維持も大変ですし」
カチャ、と三男のアンリのフォークが止まった。
(コーデリア……以前だったら絶対に受け取ってたはず)
「……コーデリア、パパの好意は素直に受け取っておくものだよ」
「そのお気持ちだけで嬉しいですわ、お父様」
にっこり。
父と妹のやりとりを見ながら、以前からの違和感を拭い切れなかったアンリは、意を決して口を開いた。
「コーデリア……君は変わったね」
食堂に、一瞬の間が落ちた。
コーデリアはアンリに視線を向け、ゆっくりと微笑んだ。
「そうかしら?」
「ああ。父上も母上も……兄上たちも何も言わなかったが、以前の君は、我儘で傍若無人な振る舞いを繰り返し、周囲の人間を困らせていたはずだ。侍女たちも手を焼いて、何人も入れ替わっていたはずだよ」
「……そうでしたわね。本当にお恥ずかしいことで」
「一体何があったんだ。何が君をここまで変えた? 確か、王太子殿下との婚約の儀に倒れた辺りからだった気がするが……」
アンリはそこで一瞬言葉を切った。
「今の君は、まるで――『別人』のようだ」
ピタリ、と皆の手が止まった。
(来たわね)
そう、転生前のコーデリアは、それはそれは酷かった。なんなら、今のあのアホ王太子と並ぶくらい酷かったかもしれない。この、あまりの変わりように、いつか必ず誰かから突っ込まれるのは、避けられない話だった。
(でもね、そのことはすでに想定済みよ)
コーデリアの目が、一瞬だけ光った。
「わたくし、反省しましたの」
「反省?」
「ええ。このままでは、大切な家族に迷惑をかけてしまうと。それはわたくしも、本意ではありませんわ」
そして、食卓を囲む家族の顔をゆっくりと見回す。
「今まで、たくさんご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
コーデリアは静かに頭を下げた。
その姿にヴィクトルは嬉しそうに涙を滲ませながら頷き、長男シリルの口の端がほんの僅かに上がり、次男ロランはただ目を細めて妹を見つめ、アンリは少しだけ目を瞬かせた。母のエレノアは胸に手を当てながら、それでもまだどこかに引っかかりを感じながら、娘の言葉を静かに受け止めた。
しかしその中で、末のリュカだけがじっと姉を見つめていた。小さな眉が、かすかに寄っている。
(どうせ、見せかけに決まっている)
そんな家族たちの胸中を他所に、コーデリアは温かいカップをそっと持ち上げながら、胸の中だけで呟いた。
(あんなアホがわたくしの伴侶になったら、家族全員に迷惑がかかってしまいますもの)
断罪されるにしろ、追放されるにしろ……嫌だけど本当に伴侶になったとしても、結局、尻拭いに翻弄されるのは全て自分の家族なのだ。
だから――
(絶対、婚約破棄してみせますわ!)




