11.寝不足は前世の癖です
父の執務室を辞したコーデリアは、廊下でアランを捕まえるなり開口一番に告げた。
「アラン、今すぐ作戦会議を——」
「お嬢様」
アランは静かに、しかし有無を言わさぬ声で遮った。
「本日は、これ以上のご予定はございません」
「でも、やることが——」
「お嬢様は本日、馬車で施設を回り、帰宅後すぐにご報告をなさいました。明日の午後にはオスカー殿下とのお茶会もございます。今夜は休まれるべきかと」
「わたくしはまだ全然——」
「お嬢様」
アランは一ミリも表情を動かさないまま、もう一度繰り返した。
「明日の朝に、時間をお取りします」
コーデリアは口を開きかけて、閉じた。
(……論理的には正しいのよね)
悔しいが、反論の余地がない。明日の午後に王太子とのお茶会が控えている以上、午前中に作戦の骨格を固めなければならない。今夜無理をして明日に支障が出るのは、作戦効率として最悪だ。
「……わかったわ」
コーデリアは渋々頷いた。アランが静かに礼をして下がっていく背中を見送りながら、内心で盛大に舌打ちした。
(まったく……よりによって明日にお茶会を入れるなんて)
もちろん、お茶会の日程は孤児院の訪問より前にとっくに決まっていた話だ。それはわかっている。わかってはいるが。
(あのアホ王子め)
八つ当たりである。本人もわかっていた。それでも毒の一つも吐かなければ、やっていられなかった。
*****
夕食を終え、湯浴みを済ませ、侍女達を下がらせてから寝台に入った。
しかしいざ目を閉じると、頭が少しも止まらなかった。
カリタス院の裏の建物。隔離された子供たち。そして——
(……あの目)
薄暗がりの中で光っていた、赤い瞳。
怯えでも、諦めでもない。真っ直ぐな、燃えるような敵意。今まで見てきたどの孤児院の子供とも違う、あの少年の目。
(感傷的になってどうするの、わたくし)
コーデリアは頭を振った。重要なのは感情ではなく、現状分析と作戦立案だ。カリタス院の問題を早期に解決するためには——まず証拠が必要で、そのためにはリンを使って——いや、その前に他の施設への支援配分も——ステラ院の運営改善にどう介入するかも——
気づけば窓の外が白み始めていた。
(……やってしまったわ)
*****
翌朝、朝食を終えたコーデリアは、出かける準備が始まる前の僅かな時間を強引に確保した。
執務室に呼んだアランは、内心では少し意外に思っていた。
(てっきり、お嬢様からお聞きした内容をもとに、ここで一緒に整理するものと思っていたが)
しかし向かいに座ったコーデリアは、目の下にうっすらと隈を作りながら、開口一番にこう告げた。
「まず、各施設への支援方針から話すわ」
(……既に全部お考えになってきたということか)
アランは静かにペンと紙を用意した。
「サン・ミカエル院は他の貴族と同額の寄付を一度のみ。すでに問題ない施設だから、これ以上は不要ですわ。残りの施設には、その同額分を効果的に分配する」
「かしこまりました。予算はいかほど」
「お父様に改めていただきに行くわ。サン・ミカエル院への相場分、二回分ほど。一回分はサン・ミカエル院へ、残りを他の施設への分配用に」
アランが静かにペンを走らせる。
「施設ごとの動き方はこうよ。カリタス院は当面、証拠収集が最優先。わたくしが表で責任者の相手をしている間に、リンに裏の子供たちへお菓子を届けてもらう。リンなら気づかれないでしょう」
「御意」
「ステラ院は悪意がないのが救いだけど、運営が機能していないわ。アラン、あなたに帳簿の整理から手伝ってもらうことになる。運営者のプライドを傷つけないように、あくまで『お手伝い』の体裁で入ること」
「御意」
「オーロラ学舎は資金より人の使い方の問題だから、改善提案を持っていく。サント・クロワ院は——」
コーデリアはそこで少しだけ間を置いた。
脳裏に浮かんだのは、院長の皺だらけの笑顔と、その周りで声を殺しながらも生き生きと笑う子供達だった。貧しくて、狭くて、資金もない。それでもあそこには、他のどの施設にもない何かがあった。
(下手に介入して、あの空気を壊したくないわね)
「あそこは大きく弄らないほうがいいわ。補給だけ送る。それだけで十分なはずだから」
「御意」
「ブランシュ・リリー院は普通ラインの維持で構わない。定期的に顔を出して、変化がないか確認するわ」
「御意」
一通り話し終えたところで、コーデリアは静かに息を吐いた。
「以上よ。何か問題はある?」
「一点だけ、確認させてください」
「なに?」
「この内容を、昨晩一晩で頭の中だけでお考えになったということでよろしいでしょうか」
「……」
「お嬢様」
「……寝れなかっただけよ」
アランは何も言わなかった。ただ静かに一礼して、紙の最後にこう書き加えた。
『お嬢様、就寝時刻の管理も業務に追加』




