9.動き始めます
薄暗い室内に、沈黙が落ちた。
壁際の子供たちが、息を飲むのがわかった。さっきまで籠を囲んでひっそり盛り上がっていた空気が、一瞬で凍りついている。
コーデリアは少年を正面から見た。
やつれた輪郭。ぼろい上着の袖から覗く、傷の痕のある腕。しかし姿勢だけは真っ直ぐで、目に宿った光は鋭く、まるで獣のようだった。薄明かりの中では黒い髪の輪郭もよく見えないが——その赤い瞳だけが、闇の中ではっきりと光っていた。
(……珍しい色ね)
内心でそう思いながらも、コーデリアは表情を変えなかった。
「あなたが、ここの子たちの面倒を見ているの?」
「答える気はない。さっさと帰れ」
低く、短い。しかし声には確かな力があった。
「この建物のことを、職員は知っているのかしら」
「お前には関係ない」
「表の施設との扱いの差も?」
「……貴族と話す気はない」
一歩、少年が前に出た。それだけで、後ろの子供たちがびくりと肩を跳ねさせる。少年に怯えているのではない――外の世界に対して、条件反射のように体が縮こまっているのだ。
(この子たち、ずっとここで怯えながら生きてきたのね)
胸の奥で何かが静かに固まった。コーデリアは一度、小さく息を吐いた。
「……わたくしの名前は、コーデリア・ロゼ・アルメリアですわ」
少年は答えなかった。ただ、警戒の色がわずかに変わった。公爵家の名を聞いて、恐れるのではなく――さらに敵意を深めたのだ。
「公爵家令嬢とはいえ、今はまだ子供ゆえ、わたくしにできることは本当に少ないの。ごめんなさいね。でも、なんとか時間を作って、ここを訪ねるわ。その時には、また美味しいお菓子をたくさん作ってくるわね」
「嘘だ、信じない」
即座だった。
「ええ、信じなくていいの。ただ、わたくしが一方的にやりたいだけ」
少年が、わずかに眉をひそめた。おそらく、今まで聞いたことのない種類の返答だったのだろう。
「貴族は嘘ばかりつく」
「そうね……そんな大人も大勢いるわね」
コーデリアは否定しなかった。少年の目が、ほんの少しだけ揺れた。
「わたくしを信じなくていいし、待たなくてもいい。でも、すぐには動けないけれど、わたくしにできることを――公爵家の力を使ってでも探して、そして少しでも、あなた達の環境を良くするから」
沈黙。
少年は答えなかった。しかしその目は、コーデリアを射るように見つめたまま、離れなかった。
これ以上長引かせるのは得策ではない。コーデリアはそう判断すると、籠を持っていた子供のもとへと歩み寄り、子供たちを刺激しないようゆっくりと手を伸ばした。
小さな手が、おずおずと籠を差し出してくる。
受け取りながら、コーデリアはその頭にそっと手を置いた。
少年は止めなかった。
コーデリアは踵を返し、来た通路を静かに戻った。表の施設に出て、馬車へと向かう。
待っていたリンが、コーデリアの様子に気づいてそっと近づいた。
「どうなさいましたか?」
コーデリアは少しの間、無言だった。
「……これから、やることがたくさんになったわね」
リンは何も聞かなかった。ただ静かに頷いて、馬車の扉を開けた。




