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私が死ぬのを、夫は待っているらしい。  作者: 須東きりこ
5.森へ

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(2)





 帝国へと続く一本道を外れ、フィアナは木々の中、森の奥へと入っていく。

 剣戟の音は遠くなっていき、自分の荒い息遣いしか聞こえなくなる。

 森の気配が濃厚になって、フィアナを追手から隠すように包み込む。追手の気配はさらに遠くなった。


 森はいつもフィアナに優しい。

 植物の気持ちを感じ取れるフィアナにとって、そんな気がするというだけではなく、強い実感を伴っている。

 守られているとも感じるので、フィアナは心から安らかな気持ちになれる。森に入れたのなら大丈夫だと無条件に安心できた。


 この国境の森が、フィアナの故郷であることも関係しているのかもしれない。

 幼いフィアナはこの森に捨てられていた。

 生き延びられたのは奇跡で、きっと森の精霊が守ってくれたからだと、拾ってくれた恩師はよく話してくれた。

 フィアナに加護を与えてくれた精霊は、今もこの森にいて、優しく守ってくれているのかもしれない。そう思うだけで、フィアナの心は温かくなる。


 ぱっと視界が開け、いつも森の植物を採取している広場に出る。

 肩で大きく荒い息をしていたフィアナは、ようやく安心して走るのをやめる。

 足元がふらつき、柔らかな地面にぺたりと膝をついてしまった。


「こ、ここまで、来たら、大丈夫」


 森の入り口を守っているだけの騎士は、ここまでたどり着けないだろう。道は勿論ないし、ここらへんは斜面が多く、見通しがとても悪いのだ。

 このちょっとした広場は、フィアナとレオナルド、ロッシュだけが知る穴場。

 森の中でも日当たりがいいので、様々な種類の植物が群生している。

 平坦な地面は適度に柔らかくて、長時間の滞在にむいているし、近くには湧き水がある。


 呼吸が落ち着いてきたフィアナは、のろのろと立ち上がり、湧き水が飲める近くの岩場へと向かう。

 少し高いところから流れ落ちる湧き水は綺麗で冷たく、フィアナは両手ですくい喉を潤した。

 ついでに顔も洗ってさっぱりすると、緊張が少し抜けて、体のこわばりを自覚する。

 次の行動に移る前に少しだけ休もうと、フィアナは水場を離れ安全な広場に戻ることにした。




 広場の周辺で木の実を採取し、昼食がわりに口に入れる。

 ロッシュは国境の森でレオナルドと会えるはずだと言っていた。だからきっと、緊急事態には森で合流しようとレオナルドと打ち合わせをしてあるのだろう。

 焦らずに待つべきだと、フィアナは自分に言い聞かせる。


 森を抜ける商人の一行が、魔獣の被害にあったという話はよく聞く。護衛を大勢引き連れていくというのに、強い魔獣に出くわしてしまえば人が死ぬことも珍しくない。

 これまでフィアナは森で魔獣に遭遇したことはないが、この先も絶対とは言い切れない。非力なフィアナ一人、魔獣に襲われればひとたまりもない。

 一人で帝国に向かって歩くより、安全な場所に身をひそめてレオナルドを待つというのが、現実的で安全なのだ。


「もしかしたら、今夜はここで夜明かししないと」


 これまで森で夜明かしをしたことはない。

 植物の採取に来たときも、日が暮れるまでには森をでていた。

 この広場はいつも安全なのだが、夜もそうだとは限らない。

 フィアナは日のあるうちに今夜の寝床を探そうと、周囲を探索することにした。


 広場から岩場のほうへ歩き出すと、すぐに周囲の木々がざわめきだす。

 といっても、実際に声や音がしているわけではない。

 木々や草が目を覚まし、フィアナに注意を向けてくれる気配が強くなる。


「ここらへんに魔獣の来ない洞窟はないかしら」


 声に出して呟いてみると、まるで木々や草花がどこがいいかと相談しているように、ざわめきはますます強くなる。

 そしてしばらく待つと、彼等の意識は一方へと向く。

 優しい風がふわりとふいて、フィアナの背中にふれた。


 植物たちや風の誘いにのって歩き、フィアナは岩場にたどり着いた。

 そして岩場に張り付くようにのびている蔦をはらうと、岩にぽっかりと開いた洞窟の入り口があらわれる。


「まあ、ありがとう! ここなら夜を明かせそうだわ」


 湧き水の場所から少し傾斜のある岩場を上った場所。

 水のある場所は貴重で、フィアナのような人間だけではなく、魔獣も近づいてくる。

 最も危険な水場から洞窟はいい感じに距離があり、見晴らしもよいため魔獣が近づいてきたらすぐにわかる。

 蔦が洞窟の入り口を隠してくれているので、追手が来ても身を隠せそうだ。


 そして、夜に向けて、焚火ができる枯れ枝を探そうと思ったときだった。

 遠くから人の声らしき音が聞こえたような気がして、フィアナは顔を上げて耳を澄ます。

 とても小さな声だったが、木のざわめきと鳥の鳴き声ぐらいしか聞こえない静けさの中、人の声は耳につくのだ。


「追手?」


 そう口に出すと、木々は否定しているように感じた。


「え、じゃあ、レオナルド?」


 今度のざわめきは肯定だ。

 フィアナはさらに遠くを見るために、岩場を上へとのぼっていく。


「……! ……ン! フィン!」


 風にのった声が切れ切れながら聞こえてくる。


「フィン! どこだ!」


 十か月ぶりに聞く声。そして、目立つ金色の頭がフィアナの視界に現れた。


「レオ!」


 驚きと喜びにフィアナは声を上げる。

 だが、二人の距離はかなり開いていて、フィアナの位置が風下。

 レオナルドの声は風に乗って切れ切れに聞こえてくるが、フィアナの声は届かない。

 しかも、フィアナのほうがずっと高い位置にいる。何かを探すとき、自分の視線より下を優先して探すもの。レオナルドの視界にフィアナは入らない。

 もどかしい、だがレオナルドは着実にフィアナのほうへと進んでいるので、すぐに声が届くだろう。


「……レオ! ……いいかげんに……」


 その時、レオナルドに飛びつくように、新たな人影が現れた。

 明るい髪をポニーテールに結んだ、若い女性。遠目にもすらりとスタイルがいいのがわかる。

 顔立ちはよくわからないが、何か大きな声でレオナルドに話しかけながら、レオナルドの腕にしがみついた。

 甘えてじゃれているような、そんな雰囲気。

 ふたりはとても気安い関係に見えた。


『レオナルド様も正直よね、結婚誓約書にサインした途端、他の女のところに行くんだから』

『帝都でレオナルド様を見かけたって方がいるのよ。綺麗な女性と腕を組んで歩いていたんですって』


 不意にそんなイヤな話が思い出される。

 気にしないふりをしていても、こうしてちょっとしたきっかけがあれば、いつでも浮かび上がってきてフィアナを苦しめる。


 レオナルドにすがりつく若い女性は、何か一生懸命に話しかけている。

 そして話しかけるだけでは足りなくなったのか、背伸びをしてレオナルドの首に両腕を回し、自分の方へとぎゅっと抱き寄せた。

 恋人たちの甘いじゃれ合い。このまま二人は抱き合うか、唇を重ねるか、そういう流れにしか見えなかった。


「いやっ……」


 フィアナは見続けることができず、自然と後ずさっていた。

 直視したくない現実から遠ざかろうと、レオナルドと女性を自分の視界から外そうとした。


「!」


 だが、一歩下がったところに地面がなかった。

 不意を突かれたフィアナは、こらえきれず大きくバランスを崩す。

 そしてそのまま、岩場の下へと転がり落ちていった。




◆◆◆




「ただいま戻りました、シャンテ様」


 その頃、国境の町にあるホテルに、フィアナの脱出を手助けしたサリーとネロの二人が戻っていた。

 二人とも無傷で、疲れた様子もない。

 サリーはすぐにシャンテのお茶をいれる準備をテキパキと始めた。


「お疲れ様。フィアナは無事に森へ入れた?」

「無事に入りました。国境警備の騎士が数名追いかけていきましたが、すぐに姿を見失ったようです」


 ネロが答えると、シャンテはそうだろうねえと、楽しそうに口の端を上げる。


「フィアナは緑の精霊王からとても強い加護を受けている。森の中なら、フィアナは無敵さ」

「剣を持ったこともないような女性が、一人で森に入るのは危険だと思っていましたが、そういうことだったんですね」


 シャンテの前に、サリーがお茶をだす。


「ありがとう、サリー」

「どういたしまして、シャンテ様。すぐにこの町を離れますか?」

「いや、しばらくいるよ」


 紅茶のいい香りに目を細め、シャンテは満足そうにサリーのいれた紅茶をこくりと飲む。

 その間、サリーとネロの二人は、黙って主人の言葉を待っていた。


「きっともうすぐ、ロッシュがここにやってくる」

「彼は本当に死んでいないのでしょうか?」


 サリーが聞くと、シャンテは首を横に振る。


「死んでいない。ハーヴェイ伯爵が予知している。ロッシュはレオナルドに仕えていれば、長生きして天寿をまっとうできるそうだ。幸せな結婚もするそうだよ。だから必ず生きている。そして、あの忠義者はフィアナの後を追ってここに向かっているはずさ。フィアナに会う前に、彼を捕まえてしまわないと」


 ふふふとシャンテは楽しそうに笑う。

 サリーとネロはちょっぴり呆れた顔になる。そしてネロが口を開いた。


「なぜそのロッシュという男を捕まえるのか、教えてもらえますか」

「この十か月、フィアナがレオナルドを待てたのは、ロッシュが助けていたからさ。ロッシュはフィアナと合流できたなら、フィアナとレオナルドが会わないように立ち回るだろう。それはかなり面白くないんだよね」


 ネロは黙ったまま肩をすくめる。


「サリー、ロッシュを見つけて、ここに連れてきておくれ。昔なじみの君ならできる」

「承知しました、シャンテ様」


 サリーはうやうやしく腰をかがめて頭を下げる。


「よろしく頼むよ、君たちが頼りだ。なにしろ、……ロッシュは私が見えないからね」


 そう言って、シャンテは子供のように無邪気な笑みを浮かべた。




next.6.夢のような再会


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