(3)
長身で体格のいい若い男性は、レオナルドの姉クラリッサの夫、アルバート。某伯爵家の次男で、王都で騎士をしていたのだが、ハーヴェイ伯爵家に婿入りをした。
女伯爵の夫という難しい立場にいながら、とてもうまく立ち回っている。年齢は三十。賢くて、気さくな、感じのいい人物だ。
もう一人の初老の男は、伯爵家の家令。先祖代々伯爵家に仕えている子爵家の出身で、とても有能なため先代が重用し、家令にまでなった男だ。
二人とも、久しぶりに会うロッシュに対して笑顔はない。
「ちょっと時間いいか?」
アルバートがくいっと首を傾げ、ロッシュを誘う。
「はい、勿論です」
二人に連れられ、ロッシュはアルバートの執務室に行った。
すでに人払いがされていて、室内は無人。アルバートに促されて、三人は椅子に腰を下ろした。
「ロッシュ、レオナルドは今どこにいる?」
前置きなしでいきなり、アルバートに直球で聞かれてしまう。
しかも、お前なら知ってるよなという、圧力のある目で睨まれた。
「アルバート様、俺が口止めされていることもおわかりですよね」
「わかっている。だが、お前も見ただろう? レオナルドも想定していなかった非常事態だと思うが」
「そうですね……。奥様は、あのままでは……危険だと思います」
レオナルドの予言書は秘密にしておくべきだ。特に王族に知られると厄介なことになる。
この国の王族は、すました顔の下にえげつない権力者の顔を隠しているのだと、ロッシュもレオナルドに教えられて知っていた。
予言書を手に入れた王家は、きっとレオナルドの人生を都合のいいように利用しようとするだろう。
その認識は、アルバートと家令も同じらしく、強く頷いてくれた。
「今、別荘を準備中だ」
アルバートは伯爵家の持つ別荘の中でも、人里離れた場所を口にした。
そこに信頼できる使用人をつけて静養してもらう。
転地静養と言えば聞こえはいいが、彼女の不用意な話を広めないための封じ込めだ。
「クラリッサ様がよくお許しになりましたね」
「彼女が許すはずないだろう」
と、アルバートは苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「クラリッサは事の重大さを理解していないんだ。しようとしないというのが正しいかな。予知と弟がセットになると、彼女は思考停止してしまうんだよね」
クラリッサは聡明な女性だが、心の深いところに強いコンプレックスを抱えている。
それは、父親がレオナルドという息子を得るためだけに母親と結婚し、娘の自分は父にとって全くの無価値でどうでもいい存在だったというのが原因だろう。
大人になり、アルバートという理解者を夫にし、子供を産んで自分の家族を得て、コンプレックスは薄まり、いつもは心の奥に沈んでいる。
だが、父の期待と愛情を一身に受けて育った弟レオナルドを見るたび、そのコンプレックスはすぐに復活してしまう。
しかも、レオナルドはずっと父親に反発していた。クラリッサの欲しかったものを否定し、簡単に捨てるレオナルドに、クラリッサの怒りが消えることはない。
「義母上が、レオナルドは王女殿下と結婚するのだと話しても、クラリッサは『どうしてそんな素晴らしい予知があったのに、レオナルドは予知に従わなかったのか』と怒るばかりで、それが王家に知られたらどうなるかというところまで、考えが至らない」
アルバートは家令と結託し、クラリッサの反対を押し切ってでも、前伯爵夫人の転地静養を実現すると断言した。
おそらくそれで、レオナルドの予言書の話はこれ以上広がらずに済むだろうと、ロッシュはほっと安堵する。
「レオナルドとフィアナ嬢の結婚は、一年足らずで終わるそうだな。しかも、死別とか。レオナルドが姿を消しているのは、それが理由なのか?」
ほっと気が緩んだ時に剛速球を投げ込まれ、ロッシュはぎくりと反応してしまった。
「フィアナ嬢の遺産目当ての結婚というのは本当なのか? クラリッサは激怒していたぞ」
「は? 遺産?」
「ロッシュ、レオナルド坊ちゃまがそんな結婚をなさるとは、私にはとても信じられない。なぜ坊ちゃまはいないんだ、本当の理由を教えてくれないか」
これまで黙っていた家令も、身を乗り出してロッシュに迫ってくる。
明るくて元気、根は優しいレオナルドを、屋敷の使用人たちは慕っている。
クラリッサ抜きで何度もレオナルドと会っているアルバートも、そんなレオナルドの人となりをよく知っている。家令の言葉に、うんうんと頷いていた。
「遺産目当てとか、勿論、違います。そもそも、レオナルド様の個人資産は莫大で、誰かの遺産を必要となんてしませんよ」
「そうだろうな。だが、黄色のヴェネラとなると話は別だ。あの花はこの王国だけではなく、大陸すべての国の王族が欲しがっている。カネでは動かない王族を動かせる、カネでは買えない物なんだよ」
「その分、取り扱いが非常に難しいんです。フィアナ様はいつもそれで苦労されています。そんな面倒なものを、あのレオナルド様が欲しがると思いますか?」
家令は即座に首を横に振り、アルバートも苦笑をもらした。
「レオナルド様のフィアナ様への気持ちは本物です。純粋な愛情だけではなく、強すぎる執着と独占欲が合わさった、ひどく厄介なものだとは思いますけど。それでも、あのレオナルド様が他人にこれほど想いを寄せられるのは初めてのことです。なので、レオナルド様がやることはすべて、フィアナ様のためなんです」
「……姿を消したのも、フィアナ嬢を生かすため、ということかな?」
「そう、です」
「ロッシュ、すべて話すつもりはないのかい? 力になると約束するよ」
アルバートの申し出は、ロッシュにはとても魅力的だった。
これまで十か月、ロッシュは一人でレオナルドとフィアナを支えてきた。
なんとかやれていたと思うが、予言書のことが露見したとなるときっと話は複雑になってくる。
協力は欲しい。だが、アルバートはクラリッサの夫。レオナルドをこの世の誰より嫌っているクラリッサの、彼は一番の味方だ。
協力者として適任ではないだろう。
それに、あと二か月もない。なんとか走り抜けられる、そう思いたかった。
「ありがとうございます、アルバート様。俺の手に負えなくなったときは、お願いしてもいいでしょうか」
「うーん、その時は色々と手遅れな気がしないでもないけどね。わかった。君を信じよう」
騎士学校を卒業してから、レオナルドに請われて王都に出た十か月前まで、ロッシュはアルバートの下で騎士として働いていた。
その間に培われた信頼が、アルバートを頷かせたのだろう。
「アルバート様、一つ聞いてもいいですか?」
「いいよ、情報交換は大歓迎だね」
アルバートは軽い口調で頷いてくれる。
「奥様は、フィアナ様の死因について、何か話されましたか?」
「死因については何も言っていなかった。少なくとも、俺とクラリッサは聞いていない」
アルバートに視線を向けられた家令も、聞いていないと答えてくれた。
ロッシュは心底ほっとする。
クラリッサがフィアナに会うことは、もう時間的に阻止するのは難しい。フィアナはきっと予言のことを知ってしまうだろう。
だがクラリッサは、フィアナがレオナルドをかばって死ぬことは知らない。
レオナルドがもっとも知られたくないと思っている死因は、フィアナに知られることはない。
「どうやら、予言書にはもっと詳しいことが書かれているようだね。それでレオナルドは、その予言を覆そうとしている、というところか」
察しがよく、頭の回転も速いアルバートは、本当にこちらの完全な味方なら頼りになったのにと、ロッシュは残念でならない。
「だが、ロッシュ。レオナルドは子供の頃から前伯爵の予知を覆そうと様々なことを試み、すべて失敗していると聞いている。かなり破天荒なことまでしていたそうだが、今回は覆すことができそうなのか?」
レオナルドの反抗の歴史を知っている家令も、とても心配そうだ。
反抗の片棒を担がされていたロッシュも、家令やアルバートの心配はよくわかる。
「レオナルドが言っていたのですが、予知に立ち向かうことにしたそうです。これまでは予知から逃げ回り逃げ切れなかった。今度こそ予知に打ち勝ち、自分の人生を取り戻すのだと」
「自分の人生か……王女殿下の婿になるのも、悪くない人生だと思うが」
「レオはフィアナ様しか見えていませんよ。死別なんて予知を打ち砕き、フィアナ様と幸せな新婚生活を手に入れることしか考えてません」
人は大抵、生まれた場所と両親によって、将来の多くが決まっているものだ。
伯爵家使用人の両親から生まれたロッシュは、伯爵家で働くことがほぼ決まっていた。
アルバートだって、貴族家の次男として生まれ、騎士として身を立てるか、家付き令嬢と結婚して爵位を継ぐか、選択肢は限られていた。
だがレオナルドは、伯爵家の長男として生まれながら、爵位は継がず、平民で孤児だというフィアナと恋愛結婚をしている。
「レオナルドは強いなぁ。不可能を可能にする男だよね」
アルバートが苦笑交じりにつぶやく。
定められたルートから外れて生きていくのは、とても難しいし、苦労も多い。
それでもレオナルドは、自分の望む道を突き進む。
きっかけは父親への反抗だったかもしれない。だがそんな自分を貫き通せているのは、レオナルド自身の強さだ。
そして、フィアナという大切な人を手に入れて、レオナルドは益々強くなったとロッシュは思う。
自分のためではなく、愛する人のためとなれば、何倍も頑張れるものだ。
フィアナのため、フィアナのそばにいるため、レオナルドは高みを目指して必死にあがいている。
「どうしても、フィアナ様との結婚生活を諦められないんですよ。フィアナ様にとっては、迷惑な男かもしれません」
褒めすぎてしまった気がして、ロッシュはわざと顔をしかめてそんな風に言う。
レオナルドという男は、真剣に褒め称えて崇めるより、ちょっと褒めて肩を小突くぐらいが似合いなのだ。
「レオナルドが結婚を維持しようとしているのはよくわかったよ。ロッシュもそれに協力しているんだろう? それなら、急いで王都に戻ったほうがいい。フィアナ嬢に深く同情しているクラリッサは、彼女に離婚を勧めると息巻いていたよ」
「離婚!」
驚いたロッシュは、休むことなく、そのまま王都へととんぼ返りをしてきた。
それでも、先に出発していたクラリッサに追いつくことはできなかった。
フィアナを賊から守ることはなんとかできたが、重傷を負ってしまったのは、伯爵領まで休みなしの往復をして体力が限界を超えていたからかもしれない。
「ロッシュ、ロッシュ、大丈夫か」
肩を揺さぶられて、ロッシュは短くとも深い眠りから目を覚ました。
心配そうにロッシュを覗き込んでいるのは、よく知っている同僚の騎士。
高級ポーションを見せられて頷くと、頭を抱えられて飲ませてもらえる。それでようやく立ち上がり、なんとか歩けるようになった。
状況を把握したくて玄関ホールまで出ると、忙しく働いていた執事のヨハンが喜びに目を輝かせて駆け寄ってきた。
「ロッシュ! 帰っていたのか」
「ヨハンさん、フィアナ様の消息はわかっていますか?」
有能なヨハンは、短い間に多くの情報をまとめてくれていた。
屋敷の使用人に死者はなし。けが人はいるが、命に別状はなかった。
そして、フィアナに関しては嬉しい情報があった。
フィアナが逃げ出した通路は、とある商家へとつながっている。
レオナルドはその通路を作った時からその商家と契約を交わしていて、フィアナが逃げ込んできた時は保護してもらうことになっている。
フィアナが国境へ向かうと言うので、護衛に商家と契約している信頼のできる騎士を付けて送り出したそうだ。
フィアナは国境まで一人ではない。
ロッシュが心から安堵したのは、言うまでもない。
「一体何が起こっているのか、ロッシュは把握しているのか?」
執事のヨハンに声をひそめて聞かれ、ロッシュはクラリッサが会いに来たこと、賊が国王の手のものだったことを話す。
ヨハンは長く伯爵家とレオナルドに仕えてきた人なので、姉弟の確執も、前伯爵の予知能力のこともよく知っている。
レオナルドが結婚すぐに家を出て行った理由も、すべてではないが把握していたので、状況の理解は早かった。
「なんてことだ。あと二か月だったというのに」
フィアナを可愛がっていたヨハンの嘆きは本物だ。
「今頃、とても混乱されているだろう。やはりフィアナ様にはレオナルド様の事情をある程度でも話しておいたほうがよかったのではないだろうか」
「俺も最初はそう思ったんですよ。でも今は、レオの判断は正しかったと思います」
自分の不在中、フィアナの護衛を頼んできたレオナルドに、ロッシュは予言を含めてすべての事情をフィアナに話すべきだと諭した。
フィアナを守るためとはいえ、何も知らせずに一年も連絡を絶つなど、フィアナが可哀想だ。
事情を共有し、二人で協力しあったほうがうまくいくと、ロッシュは主張した。
だがレオナルドは絶対に頷かず、逆にロッシュを説得にかかった。
『予言によると、フィンが死ぬのは俺をかばったせいだ。ということは、命を狙われたのは、俺だということになる。予言を知れば、フィンは俺を心配する。自分が守らなければ俺は死ぬんじゃないかと、そばから離れようとしなくなるだろう。俺が死ぬより自分が死ぬほうがいいって、本気で言う。フィアナはそういう人なんだ』
十か月、フィアナのそばにいた今、ロッシュはレオナルドの言いたいことがよくわかる。
確かにフィアナはそういう女性だ。
『予言を教えて、それでフィンが生き延びれたとしても、俺が死んだりしたら、彼女は自分のせいだと思ってしまう』
レオナルドはフィアナを守りたいのだ。
死ぬかもしれない予知からだけではなく、予知を知ってしまったがために抱える葛藤や後悔からも。
もしレオナルドが死んでしまったら、フィアナには自分がかばっていたらレオナルドは生きていたかもしれない、ああしていたら無事だったかも、こうしていたら助かったかもと、どうしようもない後悔を抱えてしまう。
その苦しみは、これまでの人生、父親の予知でがんじがらめになっていたレオナルドが誰よりよく知っている。
「ヨハンさん、屋敷の後始末をお願いします。そして、伯爵領から来ている連中と、急いで逃げてください」
「わかりました。フィアナ様とレオナルド様も、よろしくお願いしますよ、ロッシュ」
「頑張ります」
あと二か月。
予言に打ち勝つと宣言したレオナルドを支えたい。
ロッシュは改めて自分に気合いを入れた。
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