第5話 二十年ぶりの味
「……この通り、懐かしいですわね」
アリアベルはゆるやかに歩を進める。
石畳。
整然と並ぶ店々。
二十年前と構造は変わらない。
だが。
空気が違う。
「はい」
隣の青年が答える。
「この一帯は“第一聖区”に指定されております」
「……聖区?」
「はい」
一拍。
「アリア教における最上位聖地の一つです」
当然のように告げる。
「……そうですの?」
アリアベルは軽く首を傾げた。
特に関与した覚えはない。
「はい」
「アリアベル様が長期滞在された地域、もしくは顕著な現象が確認された地域は、順次聖地認定されております」
合理的な運用だった。
そして。
公国全体が、その中心にある。
◇
「……あら」
アリアベルは足を止めた。
視線の先。
小さな店。
木製の看板。
変わらない外観。
「……ここ」
記憶がある。
「はい」
青年が即答する。
「二十年前にも訪問記録がございます」
「……そうでしたわね」
小さく頷く。
思い出した。
「入りましょうか」
「承知いたしました」
◇
店内。
焼きたての香りが広がる。
「いらっしゃいませ」
店主が顔を上げる。
そして。
固まる。
「……」
言葉が出ない。
理解している。
目の前の存在を。
だが。
信じられない。
「……お邪魔いたしますわ」
アリアベルはいつも通りに言う。
それだけで。
空気が動く。
「……ど、どうぞ!」
店主が慌てて頭を下げる。
◇
「こちらをいただけますかしら」
アリアベルが指したのは、素朴な丸パン。
二十年前にも食べたもの。
「は、はい!」
震える手で差し出す。
◇
「……いただきますわ」
一口。
噛む。
そして。
わずかに、目を見開いた。
「……まあ」
小さな驚き。
「美味しくなっておりますわね」
はっきりとした評価。
二十年前より。
明確に。
◇
「……え?」
店主が固まる。
「ほ、本当ですか……?」
「ええ」
一拍。
「生地の発酵が安定しておりますし、焼きも均一ですわ」
的確な指摘。
専門家のような評価。
◇
「……っ」
店主の目が潤む。
「……二十年前」
一拍。
「あの日に、来てくださった方……ですよね」
確認。
だが。
確信に近い。
「ええ」
アリアベルはあっさり頷く。
「また来てみましたの」
◇
「……あの日」
店主は小さく震える。
「“美味しい”と言っていただいてから」
一拍。
「ずっと改良を続けておりました」
「……そうですの?」
「はい!」
声が強くなる。
「もっと美味しく」
「もっと良く」
「そう思って、続けてきました」
◇
「……それは」
アリアベルは小さく微笑む。
「良いことですわね」
ただ、それだけ。
だが。
その一言で。
店主の背筋が伸びる。
◇
「……アリアベル様」
青年が静かに言う。
「典型的な事例です」
「何がですの?」
「評価による持続的成長」
一拍。
「一度の肯定が、長期的な改善を生んでおります」
つまり。
二十年前の一言が。
今の味を作っている。
◇
「……不思議ですわね」
アリアベルは小さく首を傾げる。
「ただ、美味しいと言っただけですのに」
「それが基準となります」
即答だった。
◇
その頃。
店の外。
「……あの店だ」
「入ったぞ」
「評価されるかもしれない」
人が集まり始める。
聖地。
そして。
“評価の場”。
◇
「……またですわね」
アリアベルは小さく息をついた。
「はい」
青年は淡々と頷く。
「公国全域が聖地である以上、回避は困難です」
◇
「……まあ」
アリアベルはパンをもう一口食べる。
「美味しいですし、問題ありませんわ」
それが結論。
◇
二十年ぶりの味。
だが。
それは過去ではない。
積み重ねられた現在だった。
少女は歩く。
懐かしさを感じながら。
変わらぬまま。
ただ、美味しいものを探して。




