第1話 神である少女の旅
世界は、静かに完成していた。
争いは存在しない。
国家という概念は残っているが、境界としての意味は薄れ、ただの管理単位に過ぎない。
通貨は一つ。
信仰も一つ。
すべてが一つに収束した世界。
その中心にいる存在。
アリアベル。
百年前、無自覚に世界を変え。
今は、明確に“神”と呼ばれている存在。
だが。
「……風が気持ちいいですわね」
少女は、変わらなかった。
草原に立ち、空を見上げる。
七色に光る花が、足元に咲く。
それは自然ではない。
彼女が歩いた場所にだけ現れる、神の痕跡。
「はい」
隣に立つ青年が静かに応じる。
「この地域は、近年特に花の発生が顕著です」
落ち着いた声音。
整った所作。
アルヴェインの血を引く者。
その子孫。
代々続く“同行者”。
「そうですの?」
「はい」
一拍。
「信仰密度の高い地域ほど、顕在化しやすい傾向にあります」
神の言葉ではない。
完全に分析だった。
「……難しいですわね」
アリアベルは小さく首を傾げる。
「特に何もしていませんのに」
「それが最大の特徴でございます」
青年は即答する。
それもまた、記録に基づいた理解。
百年間、蓄積された知識。
だが。
当の本人には関係がない。
「……では」
アリアベルは軽く振り返る。
「次へ行きましょうか」
「承知いたしました」
即座に応じる。
それが当然だからだ。
神の旅に理由はない。
必要もない。
ただ、動く。
それだけで世界が変わる。
それだけで現象が発生する。
それでも。
本人にとっては、ただの移動に過ぎない。
数刻後。
小さな村。
人々はすでに気づいていた。
「……あの方だ」
「来られた……」
ざわめきが広がる。
だが、恐怖はない。
ただ、確信。
救われるという確信。
「……?」
アリアベルは首を傾げる。
「何かありましたの?」
村人たちは一瞬ためらう。
だが。
一人の老人が前に出た。
「……水が」
短い言葉。
「枯れましてな」
それだけ。
切実な問題。
「そうですの」
アリアベルは少し考える。
特に解決策があるわけではない。
「……雨が降るとよろしいですわね」
軽く言った。
本当に、それだけ。
だが。
次の瞬間。
空が曇る。
風が変わる。
音が生まれる。
そして。
雨が降り始めた。
静かに。
確実に。
「……」
村人たちは言葉を失う。
理解している。
だが、毎回驚く。
それが人だ。
「……偶然ですわね」
アリアベルは小さく頷く。
本気でそう思っている。
「はい」
青年も頷く。
否定はしない。
ただ。
「記録しておきます」
それだけ。
百年続く習慣。
神の行動を記録すること。
それが人の役目。
「……便利ですわね」
アリアベルは小さく笑った。
深い意味はない。
ただの感想。
雨は続く。
村を潤す。
大地を満たす。
命を繋ぐ。
それは奇跡。
だが。
彼女にとっては。
ただの一言。
「では」
アリアベルは再び歩き出す。
「次へ行きましょう」
「はい」
青年が続く。
誰も止めない。
止める理由がない。
神は留まらない。
世界を巡る。
その歩みの中で。
すべてを変えながら。
それでも。
ただの旅として。
少女は歩く。
神でありながら。
変わらぬまま。
――それでも、旅を続けていく。




