第二十九話 最後の籠城戦の準備
波多野秀治・波多野秀尚の訃報が八上に届いてから数日。
八上城は、静かに、しかし確実に戦の気配を濃くしていた。
波多野秀香は、天守から城下を見下ろしていた。
「……兄上たちの死は、無駄にはしない」
その声は低く、だが揺るぎなかった。
背後から家臣の一人が近づく。
「秀香様。
兵の集結が進んでおります。
周辺の村々からも、志願の者が……」
秀香はうなずいた。
「皆、覚悟を決めたか」
「はい。
秀治様と秀尚様の最期を聞き、
“八上を守る”と……」
秀香は目を閉じ、
胸の奥に熱いものが込み上げるのを感じた。
「……兄上たちの想いが、皆を動かしているのだな」
家臣は静かに言った。
「秀香様。
我らは、あなた様のもとで戦いたいのです」
秀香は振り返り、
家臣たちの顔を一人ひとり見つめた。
皆、恐怖を抱えながらも、
その目には確かな光が宿っていた。
「……感謝する。
だが、これは“勝つための戦”ではない」
家臣たちは息を呑んだ。
秀香は続けた。
「これは、秀治兄上と秀尚兄上の恩義に報いる戦だ。
八上の民を守り、
波多野の名を汚さぬための戦だ」
その言葉に、
家臣たちの背筋が伸びた。
「秀香様……
ご命令を」
秀香は迷いなく言った。
「まず、城の備えを固める。
堀を深くし、柵を補強し、
矢倉の弓兵を増やせ」
「承知!」
秀香は天守の窓から、
遠くの山々を見つめた。
その向こうに、
明智光秀の軍勢が迫っている。
「明智は必ず来る。
兄上たちを殺した以上、
八上を残すはずがない」
家臣が震える声で言った。
「秀香様……
我らは……勝てるのでしょうか」
秀香は静かに答えた。
「勝てぬ。
だが――負けぬ」
家臣たちは息を呑んだ。
「八上は落ちるかもしれぬ。
だが、波多野の誇りは落とさぬ。
それが兄上たちへの、
そして八上の民への、
私の務めだ」
その言葉は、
八上城の空気を震わせるほどの強さを帯びていた。
夕暮れの鐘が鳴り響く。
八上城は、
最後の戦いに向けて静かに動き始めた。




