第二十八話 兄上の恩義に報いる時
波多野秀治・波多野秀尚が安土で処断された――
その報せが八上城に届いてから三日。
城内には、深い悲しみと静かな怒りが満ちていた。
家臣たちは皆、
主君を失った喪失感に沈みながらも、
明智方の次の動きを警戒していた。
その日の夕刻、
波多野秀香は天守に一人立っていた。
夕陽が山々を赤く染め、
八上の城下を照らしている。
秀香は静かに呟いた。
「……兄上。
秀治兄上。
秀尚兄上」
その声は震えていたが、
涙は落ちなかった。
背後から家臣の一人が近づく。
「秀香様……
お身体は……」
秀香は振り返り、
静かに首を振った。
「大丈夫だ。
今は泣いている暇はない」
家臣は息を呑んだ。
秀香は天守から城下を見下ろし、
ゆっくりと拳を握りしめた。
「秀治兄上は、
八上の民を守るために死んだ」
「……」
「秀尚兄上も、
秀治兄上と共に死ぬことを選んだ」
家臣たちは黙って耳を傾けた。
秀香は続けた。
「ならば――
私は、生きてその恩義に報いる」
その言葉は、
夕暮れの空気を震わせるほどの強さを帯びていた。
「明智は必ず来る。
兄上たちを殺した以上、
波多野を生かすはずがない」
家臣の一人が震える声で言った。
「秀香様……
我らは……戦えるのでしょうか」
秀香は迷いなく答えた。
「戦う。
兄上たちが命を賭して守った八上を、
ここで明智に渡すわけにはいかぬ」
家臣たちの目に、
再び光が宿り始めた。
秀香は静かに言った。
「兵を集めよ。
城の備えを固める。
八上は――最後まで戦う」
その声は、
波多野家の新たな主としての覚悟に満ちていた。
夕陽が沈む頃、
八上城には再び火が灯り始めた。
それは、
波多野秀香の決意の炎だった。




