第二十四話 安土への道
追加の書状が届いてから一夜。
八上城の空気は、張りつめたように静かだった。
秀治は天守で夜明けを迎えていた。
その背中には、深い迷いと疲労が滲んでいる。
秀尚がそっと近づいた。
「兄上……眠れなかったのですか」
秀治はかすかに笑った。
「眠れるはずがない。
民の顔が、何度も浮かんできた」
秀尚は黙ってうなずいた。
「兄上。
我らは……どうすべきなのでしょう」
秀治はしばらく沈黙し、
やがて静かに言った。
「……決めねばならぬな」
その時、秀香が現れた。
「兄上。
評定の準備が整いました」
秀治は振り返り、
その目に決意の色を宿していた。
「秀香。
お前の言葉は、胸に響いた。
明智の和睦は罠かもしれぬ。
いや……おそらく罠だろう」
秀香は息を呑んだ。
「では――」
「だがな、秀香」
秀治は静かに首を振った。
「民が、もう限界なのだ」
秀香の胸に、冷たい痛みが走る。
秀尚も続けた。
「秀香。
お前の策は正しい。
だが……
八上は“民の城”だ。
民を守れぬ戦は、我らの戦ではない」
秀香は言葉を失った。
評定の間に三人が揃うと、
家臣たちは皆、兄たちの決断を待っていた。
秀治は深く息を吸い、
静かに告げた。
「――和睦を受ける」
評定の間がざわめく。
秀尚が続ける。
「兄上と私が安土へ向かい、
明智と信長公に誠意を示す。
それが八上を守る道だ」
秀香は一歩踏み出した。
「兄上……!
それは――」
秀治は手を上げ、制した。
「秀香。
お前の言う危険は分かっている。
だが……
民をこれ以上苦しめるわけにはいかぬ」
秀尚も言った。
「秀香。
我らは主だ。
民のために死ぬ覚悟は、とうにできている」
秀香の喉が震えた。
「兄上……
私は……私は……」
秀治は弟の肩に手を置いた。
「秀香。
八上を頼む」
その言葉は、
秀香の胸に深く突き刺さった。
――兄上たちは、もう戻らない。
――これは、別れの言葉だ。
秀治と秀尚は鎧を整え、
少数の供を連れて城門へ向かった。
城下の民が道の両側に並び、
静かに頭を下げる。
秀治は馬上から振り返り、
秀香を見つめた。
「秀香。
八上を……頼む」
秀香は深く頭を下げた。
「兄上……
どうか……ご無事で」
だが、その声は震えていた。
兄たちの背が山道の向こうに消えた時、
秀香は拳を握りしめ、
静かに呟いた。
「……兄上。
私は、まだ信じております。
どうか……どうか……」
その祈りは、
冷たい風にかき消された。
八上城に残された秀香は、
胸の奥に深い不安を抱えながら、
ただ空を見上げていた。
――この決断が、
八上の運命を決める。
その予感は、
すでに現実へと向かっていた。




