第二十二話 揺れる心、傾く天秤
明智の使者が去ってから三日。
八上城には、重い沈黙が続いていた。
和睦――
その言葉が、兄たちの胸に深く刺さっていた。
秀治は天守から城下を見下ろし、
深く息を吐いた。
「……民が、疲れているな」
秀尚も沈んだ声で言う。
「兄上。
このまま包囲が続けば、
民は耐えられません。
兵も限界が近い」
秀治は拳を握りしめた。
「……明智の申し出。
本気なのだろうか」
その時、秀香が静かに現れた。
「兄上」
秀治は振り返り、
どこか弱々しい笑みを浮かべた。
「秀香……
お前は、あの和睦の話をどう見る?」
秀香は迷いなく答えた。
「罠です」
秀尚が苦い表情で言う。
「秀香……
だが、明智は“母を人質に出す”と言っている。
そこまでの誠意を見せるのだぞ?」
「兄上。
それこそが罠です」
秀香の声は静かだったが、
その言葉は鋭く、重かった。
「明智は丹波を平らげるために動いています。
八上を許す理由などありません。
母を差し出すという話が本当かどうかも分からない。
たとえ本当でも――
それは“こちらを油断させるため”です」
秀治は目を伏せた。
「……だが、民が……」
秀尚も続ける。
「兄上の言う通りです。
民は限界です。
このまま戦えば、犠牲が……」
秀香は兄たちをまっすぐに見つめた。
「兄上。
民を守るために和睦を選ぶのは、
一見正しいように見えます。
ですが――
その先にあるのは“滅び”です」
秀治の表情が揺れる。
「……秀香。
お前は、明智が我らを許さぬと断言するのか?」
「はい。
八上は丹波の最後の砦。
明智が見逃すはずがありません」
秀尚は目を伏せた。
「だが……
戦えば民が死ぬ。
和睦すれば、救われるかもしれない」
秀香は静かに言った。
「兄上。
罠かもしれないのに八上の命運を賭けるのですか?」
その言葉に、兄たちは答えられなかった。
評定の間には、
重い沈黙が落ちた。
秀治は、震える声で言った。
「……秀香。
私は……民を守りたい。
それが八上の主としての務めだ」
秀尚も同じ思いだった。
「兄上の言う通りだ。
民がこれ以上苦しむ前に……
和睦を考えるべきかもしれない」
秀香は息を呑んだ。
――兄上たちは、もう戦う覚悟を失っている。
「兄上。
どうか……どうか、もう一度だけ考えてください」
秀治は答えなかった。
その沈黙が、
八上の未来を暗く染めていった。




