第二十一話 和睦の使者
光秀軍の包囲が狭まり、
八上城は静かに、しかし確実に追い詰められていた。
その日の昼下がり――
南の谷から、一人の武将が白旗を掲げて現れた。
「明智の使者です!
和睦の申し入れとのこと!」
見張り台の声に、城内がざわめく。
秀治と秀尚はすぐに天守へ向かい、
秀香もその後に続いた。
評定の間に通された使者は、
深々と頭を下げた。
「八上の殿。
我が主・明智光秀より、和睦の申し入れに参りました」
秀治は慎重に言葉を選んだ。
「……和睦、だと?」
使者はうなずき、
懐から一通の書状を取り出した。
「明智は申しております。
“八上の民を苦しめるつもりはない。
戦を終わらせたいのは互いに同じであろう”と」
秀尚が息を呑む。
「民を……苦しめたくない……」
秀香は表情を変えず、
使者の次の言葉を待った。
使者は続けた。
「そして――
和睦の誠意として、
明智は“母”を人質として差し出すと申しております」
評定の間が凍りついた。
秀治が思わず声を漏らす。
「母……を……?」
使者は静かにうなずいた。
「はい。
明智光秀の母・お牧の方を八上へ送り、
和睦の証とするとのこと」
家臣たちがざわめく。
「母を……人質に……?」
「そこまでの誠意を……?」
秀尚は動揺を隠せなかった。
「兄上……
これは……本気の和睦では……?」
秀治の目にも迷いが浮かぶ。
「……光秀が、母を……」
その時、秀香が静かに口を開いた。
「兄上。
これは“罠”です」
評定の間が静まり返る。
秀治が振り返る。
「秀香……
だが、母を人質に出すなど……」
「だからこそ、罠なのです」
秀香の声は静かだったが、
その言葉は鋭く、重かった。
「光秀は、八上を落とすためなら何でもします。
母を人質に出すという話が本当かどうかも分からない。
たとえ本当でも――
それは“こちらを油断させるため”です」
使者は眉をひそめた。
「秀香殿。
我が主を疑うのですか?」
秀香は迷いなく答えた。
「疑います。
光秀は、丹波を平らげるために動いている。
八上を許す理由などありません」
秀治は苦しげに言った。
「だが……
民は疲れている。
兵も限界だ。
和睦が本当なら……」
秀尚も続ける。
「兄上……
和睦は、民を救う道かもしれません」
秀香は二人を見つめ、
静かに言った。
「兄上。
光秀は“八上を最後に残した”のです。
和睦など、あるはずがありません」
だが――
兄たちの目には、
すでに“揺らぎ”が宿っていた。
使者は深く頭を下げた。
「八上の殿。
我が主は、争いを望んでおりません。
どうかご賢察を」
使者が去った後、
評定の間には重い沈黙が落ちた。
秀治は、震える声で言った。
「……和睦。
本当に……道はあるのだろうか」
秀香はその背中を見つめ、
胸の奥に冷たい痛みを覚えた。
――兄上たちは、揺らいでいる。
――光秀の罠に、足を踏み入れようとしている。
その予感は、
すでに現実へと向かっていた。




