第92話『朝の湯気』
朝日が、
雪景色をやわらかく照らしていた。
相原家の台所。
ぐつぐつ、と小さな音を立てながら、
鍋のおかゆが湯気を上げている。
星羅は、お玉でゆっくりとかき混ぜながら、
少しだけ首を傾げた。
「お母さん、おかゆの味加減こんな感じかな?」
隣で焼き鮭をほぐしていた母が、
小さく頷く。
「どれどれ……ん、良いと思うべ」
「ほんと?」
「うん」
母は、ふふっと笑った。
「ちゃんと看病する側の顔してるべさ」
「……もう」
星羅の耳が、
少しだけ赤くなる。
「焼き鮭とか食べれるかな?」
「ほぐして別皿にしたら食べやすいべ」
「そっか」
星羅は、小皿へ鮭を移しながら、
どこか嬉しそうに笑った。
温かいほうじ茶。
おかゆ。
小さな鮭の皿。
お盆へ並べる。
「じゃ、持ってくね」
「転ぶんじゃないよ〜?」
「子どもじゃないべさ」
母の笑い声を背中に受けながら、
星羅は和室へ向かった。
襖をそっと開ける。
和室。
障子から朝日が差し込み、
薄い布団を淡く照らしていた。
瑛太は、
静かな寝息を立てている。
「……」
星羅は、
少しだけ目を細めた。
「かわいい寝顔……ふふ」
小さく笑う。
お盆を置いて、
そっと近づく。
「瑛太……起きれる?」
肩を軽く揺らす。
「おかゆ作ってきたよ……」
「……ん」
瑛太が、
ゆっくり目を開けた。
「おぉ……星羅か……」
少し掠れた声。
「寝てたわ……」
「おかゆ作ってくれたんか?」
「ありがとう」
「ゴホッ、ゴホッ……」
「大丈夫?」
星羅が、
すぐに背中をさする。
「温かいほうじ茶あるから、先に飲みな」
「ありがとう……」
瑛太は身体を起こし、
湯気の立つ湯呑みに口をつけた。
「ずずっ……」
小さく息を吐く。
「……美味しい」
にこっと笑う。
その顔を見て、
星羅も少しだけ安心したみたいに笑った。
「おかゆ食べれる?」
「うん」
星羅は、お椀を持つ。
「……熱いからね」
ふーふー。
白い湯気が揺れる。
瑛太は、
そのまま星羅の顔を見ていた。
柔らかく動く唇。
真剣な横顔。
朝日に透ける睫毛。
「……はい」
「えっ?」
「だから、はい」
少し照れながら。
「……あ〜ん」
瑛太は、
思わず頭を抱えた。
「星羅……後ろ……」
「え?」
振り返る。
襖の隙間。
父と母が、
じーっと覗いていた。
「お父さん、お母さんなにしてるべさぁ〜!」
「あっ、見つかったべ」
母が肩を揺らす。
父は腕を組みながら頷いた。
「だから、言っただべ」
「んだども〜」
母が、
にこにこしながら言う。
「健気な星羅のふーふー見れたから良かったべ」
「だな」
父も吹き出した。
「ちゃんと“ふーふー”って言ってたべ」
「お父さん!」
「お母さん!」
星羅の顔が真っ赤になる。
父と母は顔を見合わせ、
「「アハハハ!」」
そのまま廊下を走っていった。
笑い声が、
家の奥へ響いていく。
和室。
しばらく静かになる。
「……」
「……」
そして。
「……食べる?」
星羅が小さく聞く。
瑛太は、
顔を覆ったまま笑っていた。
「……食べる」
「ふふっ」
星羅は、
もう一度おかゆをすくった。
その頃。
別の部屋。
「……ん……」
瑠美が、
ゆっくり目を覚ました。
ぼんやりした視界。
知らない天井。
「……ここ、どこ……?」
数秒。
「あっ……星羅の実家……」
昨日の記憶が、
少しずつ戻ってくる。
笑い声。
お酒。
小樽の夕焼け空。
「……蓮……」
ぽつり。
その瞬間。
「――って、ヤバ!」
飛び起きる。
時計を見る。
九時半。
「うそぉ!?」
慌ててスマホを掴む。
「会社っ……」
そこまで言って、
止まる。
「……あ、今日移動日だ」
そのまま、
ベッドへ崩れ落ちた。
「助かったぁ……」
でも。
すぐに別の事を思い出す。
「……星羅どこ行ったんだろ」
LIMEを開く。
『星羅今どこ?』
数秒後。
返信。
『今、和室です。瑛太が熱出しちゃって……』
『とりあえず、父には瑛太の件も兼ねて、蓮兄ちゃんと瑠美さんの事も伝えました。二日酔いで寝てますって』
『父は、笑って今日も泊まっていくようにと言ってました☺️』
「せいらぁ〜……」
瑠美が頭を抱える。
「星羅が天然バカ正直なの忘れてたぁ〜!」
瑠美の叫び声が、
静かな相原家へ響いた。
しばらくして。
こんこん。
部屋のドアがノックされる。
「瑠美ちゃん、大丈夫?」
蓮の声。
瑠美は、
慌てて返事をした。
「れ、蓮くん!? だ、大丈夫だよ!」
「そっか、良かったべな」
ドア越しの声が、
少しだけ笑う。
「蓮は大丈夫?」
「二日酔い」
くすっと笑う気配。
「流石に飲み過ぎたべ」
「ふふ、私も」
少しだけ沈黙。
そのあと、
瑠美が小さく聞いた。
「……私、何か言ってた?」
「ん?」
蓮は少し考えてから、
「俺に抱きついて、“もっと話したい”って言ってたぐらいかな」
数秒。
「……マジ忘れて」
「えっ?」
蓮が吹き出す。
「忘れていいのかい?」
「う……蓮の意地悪……」
瑠美が顔を覆う。
廊下の向こうで、
蓮が少し笑った気配がした。
「二日酔いが取れたらデートしよう」
「俺も君ともっと話したいから」
瑠美の目が、
少しだけ丸くなる。
「……はい……私もです……」
その返事を聞いて、
蓮が嬉しそうに笑った。
「やったね、約束だよ」
「あと、また夜に一緒に飲もうね」
「瑠美とは何か……楽しい」
「私もだよ」
瑠美が、
小さく笑う。
「じゃあ、お昼食べたら出かけよう」
「うん、じゃあ後で」
少しだけ、
静かな時間。
そのあと。
「あ、因みに朝ごはんあるよ」
「どうする?」
「じゃあ、せっかくだし頂こうかな……」
「着替えておいで」
「昨日のTシャツでいいべさ」
「わかった……」
ぱたぱた、と遠ざかる足音。
瑠美は、
ベッドへ身体を預けながら、
小さく息を吐いた。
(瑛太は星羅に任せよう)
(私はマネージャーを放棄したんじゃない)
(私は蓮を選んだの……)
数秒。
「……あっ」
自分で言って、
顔を覆う。
でも。
「……ま、いっか」
瑠美は、
少しだけ嬉しそうに笑った。




