第85話『笑っていてくれたなら』
「……さて」
島原が、
静かに姿勢を正した。
さっきまでの柔らかい空気が、
少しだけ引き締まる。
「落ち着いたところで、ご両親にお話がございます」
その言葉に。
父と母も、
自然と表情を整えた。
「ちょっと待ってね」
母が立ち上がる。
「お鍋の火、弱めてくるから」
ぱたぱたとキッチンへ向かう背中。
リビングには、
小さな静寂が落ちた。
島原は、
ゆっくり息を吸う。
そして。
真っ直ぐ、
星羅の両親を見た。
「まず、星羅さんには――」
静かな声。
「女優業を、しばらくお休みして頂こうと思っています」
父の眉が少し動く。
「……ほう」
島原は続けた。
「正直に申し上げます」
「この数年、星羅さんには本当に頑張って頂きました」
「ですが……」
少しだけ視線を落とす。
「日に日に、笑顔が減っていきました」
「……」
「これは、マネージャーである私の力不足です」
深く頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
静かな空気だった。
誰も、
急かさない。
その中で。
島原は、
もう一度顔を上げた。
「彼女は、一人で苦しんでいました」
「どう笑えばいいのか」
「何を頑張ればいいのか」
「分からなくなっていたんです」
星羅が、
小さく俯く。
その時だった。
「そんなある日」
島原の視線が、
瑛太へ向く。
「星羅さんは、こちらにいる三谷瑛太くんと出会いました」
瑛太が少し背筋を伸ばした。
「彼もまた、笑顔を失っていました」
「……」
「でも」
島原は、
少しだけ笑う。
「二人は、とある番組で即興漫才をしたんです」
母が目を丸くした。
「星羅が……漫才?」
「はい」
島原は頷く。
「その時の星羅さんは、本当に楽しそうでした」
「初めての漫才で特別賞を頂きました」
「別の番組では、準優勝もしています」
父が感心したように目を細める。
「へぇ……」
「星羅さんには、漫才の才能があります」
「そして」
「瑛太くんと、驚くほど息が合っているんです」
「この二人なら」
島原は、
静かに言った。
「もう一度、自分達らしく笑えると思いました」
「ですので」
深く頭を下げる。
「どうか、星羅さんに少しだけお時間を頂けないでしょうか」
「女優業は、一旦お休みして」
「ねこごはんとして活動させてあげたいんです」
静寂。
時計の音だけが、
小さく響いていた。
そして。
父が、
ゆっくり星羅を見る。
「……星羅」
「お前、漫才できるのか?」
星羅は、
少しだけ笑った。
「うん」
小さく頷く。
「東京行って」
「初めて、生きてるって思えたよ」
その声は、
少し震えていた。
「瑛太と出会って」
「また笑えるようになったんだ」
瑛太が、
隣で静かに星羅を見る。
父は、
しばらく黙っていた。
それから。
ふっと笑う。
「……よし」
静かな声。
「なら問題ない」
星羅の肩が、
小さく揺れた。
「島原さん」
父が頭を下げる。
「娘を、よろしくお願いします」
「……はい」
島原も、
深く頭を下げた。
父は、
今度は瑛太を見る。
「瑛太くん」
「はい!」
思わず背筋を伸ばす瑛太。
「星羅を頼んだよ」
「……はい!」
勢いよく頭を下げる。
「星羅と……ねこごはん、ちゃんと頑張ります!」
その必死さに。
父が、
くすっと笑った。
「うん」
優しく頷く。
「よろしくな」
その時。
母が、
柔らかく笑った。
「お父さんが決めた事、今まで間違った事ありませんから」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
島原が、
ほっとしたように笑う。
「ありがとうございます」
その横で。
父は蓮へ視線を向けた。
「蓮、お前もいいな?」
「いいも悪いも」
蓮が笑う。
「もう二人、有名人だべさ」
「ねこごはんって名前で大活躍してるべ」
「ほう」
父が少し驚いた顔をする。
「島原さん、本当ですか?」
「はい」
島原が頷く。
「とても人気ですよ」
「それは良かった」
父が嬉しそうに笑った。
「……星羅」
「はい」
「ちゃんと笑ってるんだな」
その言葉に。
星羅の目が、
少しだけ潤む。
「……うん」
父は、
何度も小さく頷いていた。
それから。
ぱんっと手を叩く。
「よし!」
空気が変わる。
「和室行きましょう!」
「石狩鍋とザンギ、準備できてますよ!」
「あっ、やった」
星羅がぱっと笑う。
「ほら、星羅」
父が笑う。
「皆さんをご案内しなさい」
「母さんは鍋!」
「蓮はビールと酒!」
「はいはい」
母が笑う。
「男山持ってくるべ」
蓮も立ち上がった。
「さぁ、こっちだよ」
星羅が振り返る。
その笑顔は。
東京で見せる笑顔より、
ずっと自然だった。




