第86話『石狩鍋の湯気』
星羅に案内され、
瑛太と島原は和室へ入った。
畳の香り。
味噌とバターの匂い。
部屋の空気は、
外とは別世界みたいにあったかかった。
「うわぁ……」
星羅が、
小さく息を漏らす。
「懐かしい香り……」
その声は、
少しだけ震えていた。
瑛太は、
そんな星羅の頭をぽんっと撫でる。
「……良かったな」
「うん……」
星羅は、
少しだけ涙を拭った。
それから。
「えへへ」
照れたように笑う。
瑛太もつられて笑った。
「ふふっ」
その時だった。
「ん〜……こほん」
わざとらしい咳払い。
二人が振り向く。
島原が、
腕を組んで立っていた。
「……あっ」
「……あっ」
ぴたりと固まる二人。
島原は、
にやっと笑う。
「さぁ、飲むよ」
「切り替え早っ」
瑛太が思わず突っ込む。
その横で。
「島原さん」
蓮が一升瓶を持ち上げた。
「こっちどうぞ」
「男山ありますよ」
「あらぁ」
島原の目が輝く。
星羅の母が、
くすくす笑った。
「蓮、分かりやすいべなぁ」
「えっ」
蓮が一瞬固まる。
「いや、これはその……お客様なので」
耳まで赤い。
島原は、
楽しそうに笑っていた。
「ふふっ」
「瑛太はここ」
星羅が隣を叩く。
「おう」
瑛太が座る。
「しかし、あったかいなぁ……」
「お兄さんに服借りてて正解やったわ」
「でしょ?」
星羅が得意げに笑った。
その時。
父が、
部屋を見渡した。
「よし」
にっこり笑う。
「皆さん揃いましたね」
「本日はようこそ我が家へ」
それから。
優しい目で星羅を見る。
「そして――星羅、おかえり」
星羅が、
少しだけ目を細めた。
「うん」
柔らかく笑う。
「ただいま」
父は、
何度も頷いていた。
「さぁさぁ」
手を叩く。
「遠慮せず食べてください」
「瑛太くんも、お腹空いただろ?」
「はい!」
即答だった。
その勢いに、
母が笑う。
「ふふっ、いっぱいあるからねぇ」
鍋の蓋が開く。
ぶわっと湯気が広がった。
鮭。
白菜。
豆腐。
そして、
味噌とバターの匂い。
「うわぁ……」
瑛太の目が、
少年みたいに輝く。
「あっ、私やるべさ」
星羅が、
お椀を持った。
「瑛太、苦手な物ある?」
瑛太は、
少し顔を寄せる。
「……ネギ」
小声。
その瞬間。
星羅が吹き出した。
「なんだべ、瑛太もネギ苦手だべか」
にっと笑う。
「実は私も苦手なんだべ」
「ちょ、星羅」
瑛太が慌てる。
母が、
目を丸くした。
「あらあら」
「苦手な物まで一緒なんて、よっぽど気が合うのねぇ」
「いや、あの、苦手なのネギだけなんで!」
瑛太が慌てて手を振る。
その横で。
「なんで言うねん……」
ぼそっと小声。
星羅は、
悪びれもせず鍋をよそう。
「うち、秘密とかしないべさ」
「だから、好きなものを好きなだけ食べたらいいべ」
そう言って。
ぱくっと鮭を頬張った。
「はぁ〜……」
幸せそうに息を吐く。
「母ちゃんの石狩鍋、久しぶりだべ〜……」
その顔を見て。
母も、
少し嬉しそうに笑った。
「ほら、瑛太くんも」
「あ、じゃあ……遠慮なく」
瑛太は、
まず鍋の汁を飲んだ。
その瞬間。
「……うまっ」
思わず声が漏れる。
父が、
嬉しそうに笑った。
「いい顔するねぇ」
「ビールもどうだい?」
「あっ」
瑛太は、
夢中で食べていた事に気付いた。
慌てて飲み込む。
「ごっ……ん」
急いで姿勢を正した。
「い、いただきます!」
ぺこっと頭を下げる。
父が笑った。
「まぁまぁ、リラックスして」
「お父さん、お注ぎします!」
瑛太がすぐ瓶を持つ。
父は、
嬉しそうに目を細めた。
「なんだか、息子がもう一人増えたみたいだなぁ」
「ねぇ、母さん」
「そうですねぇ」
母も笑う。
「瑛太くん、遠慮なく食べてね」
「ほら」
星羅が瑛太を見る。
「足崩していいんだよ」
次の瞬間。
瑛太はザンギを頬張った。
「これふぁうまい」
「詰め込み過ぎ!」
星羅が吹き出す。
「あはははっ!」
その笑顔を見て。
父と母は、
そっと目を合わせた。
微笑む。
二人の目尻には、
小さな涙が浮かんでいた。
「……久しぶりだな」
父がぽつりと呟く。
「あの笑い方」
母も、
静かに頷いた。
「そうですねぇ……」
すると。
星羅が不思議そうに首を傾げる。
「何しんみりしてんだべさ」
それから。
「お母さんも飲んで」
「ほら、お父さん、瑛太のグラス空だよ」
笑いながら、
忙しそうに動き回る。
その姿を見ながら。
父は、
静かに酒を口へ運んだ。
笑顔で帰ってきた娘と飲む酒は、
とても美味かった。




