第82話『帰る場所』
車は、札幌の街を抜けて走っていた。
窓の外は、少しずつ明かりが少なくなる。
さっきまでの笑い声が、まだ車内のどこかに残っているのに。
今は、静かだった。
島原はハンドルを握ったまま、バックミラー越しに後ろを見る。
窓の外を眺める星羅。
何かを考えている瑛太。
二人とも、言葉が少ない。
少しだけ考えてから。
島原が口を開いた。
「……ちょっとコンビニ寄ろうか?」
いつも通りみたいな声だった。
「え、また食うんですか?」
瑛太がすぐに突っ込む。
「失礼ね」
島原が眉を上げた。
「ちょっと空気読んであげたのよ。二人とも黙り込んじゃってたからさ」
「いや、絶対半分ぐらい唐揚げやろ」
「八割よ」
「増えとるやないか」
星羅が小さく吹き出した。
「あははっ……」
その笑いで、少しだけ車内の空気が戻る。
*
コンビニの駐車場。
エンジンが止まる。
「ほら、行くよ」
島原が先に降りた。
瑛太は後部座席のドアを開ける。
「星羅、行けるか?」
差し出された手。
星羅は少しだけ目を細めて。
「……うん」
その手を借りて車を降りた。
夜の空気が頬に触れる。
「寒っ……」
「北海道なめたらあかんで」
島原が笑う。
見上げれば。
夜空いっぱいに星が広がっていた。
*
しばらくして。
島原が唐揚げ串を持って戻ってくる。
「ひょら、さふいんだふぁから、ふぁく行くわよ。わたひふぁ、ふぁきにいふね……もぐもぐ」
「何言うてるかわからへん!」
瑛太が吹き出した。
隣で星羅も肩を揺らす。
「あははっ……」
「ほら、星羅まで笑ってる」
「だって……」
笑いながら息を吐く。
その時だった。
「島原さん、食べすぎだべさ」
数秒。
「……戻っとるやん」
瑛太が即座に突っ込む。
「え?」
「北海道弁」
「あ……」
星羅が目を丸くする。
「ほんとだ」
「自然に出るんやな」
「……なんか、コンビニ入ったら戻った」
「どういうシステムやねん」
「知らないべさ」
「だから戻っとるって」
また笑いが起きる。
「あははっ」
島原は満足そうに頷いた。
「じゃ、先に車戻ってるから」
そう言って手をひらひら振る。
唐揚げ串をもう一口。
「ちゃんと来なさいよー」
もぐもぐしながら去っていった。
「絶対わざとやろ……」
瑛太が苦笑した。
*
少しだけ静かになる。
コンビニの横。
小さなベンチ。
星羅は缶コーヒーを両手で包み込んでいた。
「あったかい……」
白い息が夜へ溶けていく。
北海道の夜は静かだった。
遠くを走る車の音。
冷たい風。
頭上には無数の星。
「……夜はまだ寒いな」
後ろから声がした。
振り向く。
瑛太だった。
缶コーヒーを片手に持っている。
「うん」
隣へ腰掛ける。
近すぎず。
遠すぎず。
そんな距離。
しばらく言葉はなかった。
缶コーヒーの温度だけが掌に残る。
そして。
瑛太がぽつりと言った。
「久しぶりに帰る実家って、妙に緊張するよな……」
「……え?」
星羅が振り向く。
「いや、俺なんか正月帰る時ちょっと構えるもん」
苦笑い。
「うちのオカンヤバいから」
「ふふっ」
「『ちゃんと食べてるか』『彼女おらんのか』『売れてるんか』」
指を折る。
「フルコンボや」
「あははっ」
星羅が笑う。
「圧がすごいねん」
「帰省っていうより事情聴取やで」
「ふふっ……」
少しだけ肩の力が抜ける。
それから。
星羅は小さく視線を落とした。
「……嫌なわけじゃないんだよ」
「うん」
瑛太は急かさない。
「でも……」
缶コーヒーを見つめる。
「久しぶりすぎて」
「……」
「何を話せばいいのか、分からなくて」
静かな声だった。
「ちゃんと笑えるかな、とか」
少しだけ笑う。
「変だよね」
「変ちゃうと思うで」
瑛太は即答した。
星羅が顔を上げる。
夜風が吹く。
瑛太は前を向いたまま続けた。
「向こうも緊張しとると思うで」
「……」
「だって」
少しだけ笑う。
「ずっと会いたかった娘やろ」
その言葉に。
星羅の瞳が小さく揺れた。
「それに」
瑛太は星羅の肩をぽんっと叩いた。
「無理に笑わんでもええと思うで」
「……」
「会えただけでも、向こうは嬉しいと思うしな」
にっこり笑う。
星羅も、少しだけ笑った。
「……そろそろ行くか」
「うん」
二人は立ち上がった。
*
並んで車へ戻る。
言葉は少ない。
でも。
さっきまでとは少し違った。
後部座席。
ドアが閉まる。
エンジンがかかる。
レンタカーは再び走り出した。
窓の外には。
微かに記憶の残る、見慣れていたはずの景色。
雪の残る歩道。
遠くの灯り。
「……」
星羅は外を見ていた。
その時。
そっと。
手に温もりが触れた。
「……!」
小さく目を見開く。
瑛太だった。
前を向いたまま。
何も言わない。
ただ、手を握っていた。
そして。
静かに口を開く。
「……大丈夫や」
「……」
「せいら」
星羅が顔を上げる。
瑛太は前を向いたまま。
少しだけ指に力を込めた。
「お前はもう……」
小さく息を吸う。
「一人っきりじゃないねんで」
「……」
星羅は何も言えなかった。
でも。
握り返した指先だけが、少し震えていた。
レンタカーは、静かな北海道の夜を走っていく。
その先には。
星羅の帰る場所があった。




