第78話 『あと10分だけ』
部屋へ戻る途中。
瑛太が、 廊下を見回しながら笑った。
「結局、 ワンフロア貸切やったけど……」
「うん?」
「使ったん、 リビングと風呂と寝室だけやったな」
「ふふっ……」
星羅が小さく笑う。
「実はね」
「ん?」
「奥に部屋風呂あったんだ」
「えっ」
瑛太が止まる。
「瑛太が寝てる時、 入った」
「えー! マジでずるいわ!」
「行ってみる?」
「行くに決まってる」
即答だった。
部屋の奥。
重たい扉を開ける。
その瞬間。
「うわ……」
瑛太が、 思わず声を漏らした。
木の香り。
薄く立つ湯気。
個室になった露天風呂。
その向こうには、 白い雪景色が広がっていた。
「めっちゃ凄いやん……」
「気持ちよかったよ」
星羅が、 少しだけ嬉しそうに笑う。
瑛太は腕時計を見る。
「まだ時間あるよな?」
「うん……」
「よし。 10分で上がるから、 向こうで待ってて」
「分かった」
星羅が、 にっこり笑った。
扉が閉まる。
瑛太は掛け湯をして、 ゆっくり湯船へ身体を沈めた。
「はぁぁ〜……」
熱が、 全身から抜けていく。
「幸せや……」
外には雪。
静かな朝。
ほんの少し前まで、 隣で笑っていた星羅。
思い出すだけで、 胸の奥が熱くなる。
「……あかんな」
顔を覆う。
好きが、 止まらない。
その頃。
部屋。
星羅は、 ソファへ座っていた。
時計を見る。
あと少し。
もうすぐ、 この時間が終わる。
北海道も。
ホテルも。
二人きりの朝も。
「…………」
胸が、 落ち着かなかった。
露天風呂の向こうから、 微かにお湯の音が聞こえる。
昨日。
『一緒に入る?』
冗談みたいに笑っていた声を思い出す。
あの時は、 笑って終わった。
でも。
今は違う。
「……だめだべ」
小さく呟く。
今行かなかったら。
きっと後悔する。
星羅は、 ゆっくり立ち上がった。
カラッ――
扉が開く。
「ん?」
瑛太が振り向く。
そして。
「うぉっ!!」
声が裏返った。
そこには。
タオル一枚の星羅が立っていた。
「ちょ、ちょっと待ってや!!」
瑛太は、 慌てて後ろを向く。
心臓が、 一気に暴れ始める。
「…………」
後ろから、 静かな掛け湯の音。
ちゃぷん。
お湯が揺れる。
近づいてくる気配。
「…………」
だめだ。
色々、 だめだ。
その時。
背中へ、 柔らかい体温が触れた。
「やっぱり……」
星羅の声。
「一緒にはいりたかったんだべさぁ〜……」
ぎゅっと、 後ろから抱きつかれる。
「いや、 当たってる当たってる!!」
瑛太が真っ赤になる。
「いいの」
星羅は、 少しだけ笑った。
「瑛太だから」
「いや、 そういう問題ちゃうねんて……!」
でも。
振りほどけない。
むしろ。
離したくなかった。
星羅が、 そっと瑛太の前へ回る。
薄明るい湯気。
濡れた髪。
火照った頬。
近い。
近すぎる。
「……ねっ」
小さく笑う。
「…………」
瑛太の喉が鳴る。
心臓が、 うるさい。
触れたら、 止まれなくなりそうだった。
「……あかん」
「え?」
瑛太が、 熱くなった額を押さえる。
「これ以上、 ほんまに止まれる自信ない……」
星羅が、 少しだけ目を丸くする。
でも。
次の瞬間。
嬉しそうに笑った。
「……私も」
沈黙。
湯気の向こうで、 雪が静かに降っていた。
時計だけが、 やけに現実みたいに動いている。
あと少し。
もう少しだけ。
離れたくなかった。
・
・
・
「風呂入りすぎたぁ!!」
数分後。
瑛太の声が部屋に響く。
「急ぐぞ星羅! 忘れ物ないか!?」
「うん」
星羅は、 にこにこしていた。
髪は少し濡れたまま。
でも、 その表情はやけに幸せそうだった。
慌てて荷物を持つ。
チェックアウト。
廊下を急ぎながら、 二人は顔を見合わせる。
そして。
どちらからともなく、 手を繋いだ。
ぎゅっと。
離れないように。
そのまま二人は、 笑いながら走り出した。




