第74話 『鳴らないで』
ドライヤーの熱が、 少しだけ空気を温めていた。
静かな部屋。
夜景の光。
乾いた髪が、 肩の上で揺れる。
「……よし」
瑛太が、 ドライヤーの電源を切った。
ぶおっ――
音が止む。
その瞬間。
急に、 部屋が静かになった気がした。
「ありがとう」
星羅が、 ゆっくり振り返る。
近い。
思っていたより、 ずっと。
「…………」
お互い、 少しだけ動けない。
さっきまで笑っていたはずなのに。
今は、 変に言葉が出なかった。
窓の向こうでは、 札幌の夜景が静かに光っている。
その光が、 星羅の瞳に映っていた。
綺麗だと思った。
夜景じゃなく。
今、 目の前にいる星羅が。
「……瑛太」
小さい声。
その声だけで、 心臓が跳ねる。
「……ん」
瑛太の声も、 少し掠れていた。
近い。
呼吸が混ざりそうな距離。
星羅の視線が、 少しだけ揺れる。
逃げるみたいに、 逸らさない。
そのまま。
少しずつ。
距離が縮まっていく。
「…………」
瑛太が、 小さく息を飲む。
星羅も、 呼吸を止めた。
あと少し。
そのとき。
♪♪♪
「…………」
突然、 スマホの着信音が響いた。
♪♪♪♪♪
「ダー、うるさい……」
瑛太が、 思わず顔をしかめる。
「あっ……島原さん!」
星羅が、 慌ててスマホを探した。
「私のスマホだ!」
ソファから立ち上がり、 奥のベッドへ向かう。
「わっ……!」
「危なっ!?」
捻った足が、 少しだけふらつく。
瑛太が、 反射的に支える。
「大丈夫か!?」
「う、うん……」
そのまま、 星羅はスマホを取って通話を押した。
「はい、相原です」
ぺこっと頭を下げながら、 部屋の奥へ歩いていく。
その背中を見送りながら。
瑛太は、 ゆっくり深呼吸した。
「…………」
ソファへ座る。
落ち着かない。
心臓が、 全然戻らない。
「……危な」
ぽつりと漏れる。
そのあと。
瑛太は、 急に立ち上がった。
腕を回す。
肩を回す。
ストレッチを始める。
「……どないしょ……」
真顔だった。
とりあえず、 もう一度ソファへ座る。
足を組む。
落ち着こうとする。
(あかん……)
全然落ち着かない。
(そうや……)
瑛太は、 目を閉じた。
(おかんの顔や……)
脳内に、 買い物帰りのおかんが現れる。
(…………)
一瞬で冷静になった。
「おかん強っ……」
その頃。
奥では、 星羅が電話をしていた。
「はい……はい、分かりました」
『明日、十時入りね。スタッフさんが入口で待ってるから』
「はい」
『私は昼頃になりそう』
「了解です」
少しだけ間。
それから。
『……楽しんでる?』
「…………」
星羅が、 ちらっとリビングを見る。
ソファに座る瑛太が見えた。
「……はい」
小さく笑う。
「すごく」
『そっか』
島原も、 少し笑った気がした。
「じゃあ、おやすみなさい」
通話が切れる。
星羅は、 少しだけ胸を押さえた。
まだ、 心臓がうるさい。
・
「瑛太」
「ん?」
「明日、十時入りだって」
「あぁ」
瑛太が振り返る。
もう、 いつもの空気に戻ろうとしていた。
「スタッフさんと入口で待ち合わせらしい」
「なるほどな」
「島原さんは昼頃になるって」
「じゃあ、 ちょっと早起きせなあかんな」
「……だね」
星羅が、 少しだけ残念そうに笑う。
「…………」
瑛太は、 その表情に少しだけ視線を止めた。
でも。
その瞬間。
気づいてしまった。
「あっ」
「?」
いつの間にか。
肩のタオルが、 なくなっていた。
「…………」
「…………?」
「お、俺も風呂入ってくるわ!!」
勢いよく立ち上がる。
「う、うん……?」
星羅が、 不思議そうに瞬く。
瑛太は、 そのまま数歩歩いて――
止まった。
振り返る。
「……一緒に入る?」
「なんちゃって」
逃げるように笑う。
その瞬間。
「うん」
星羅が、 満面の笑みで頷いた。
「えぇっ!!?」
瑛太の叫びが、 ホテルの部屋へ響いた。




