第71話 『1101号室』
夕方。
空港へ戻る道は、昼より少しだけ静かだった。
雪解けの歩道。
冷たい風。白い息。
でも。
星羅のポケットの中にある温度だけが、やけに残っていた。
「……」
「……」
さっきから瑛太は、星羅の顔をちゃんと見れない。
なのに。
手だけは、ちゃんと繋がっている。
歩くたびに肩が少し触れる。
そのたびに、心臓が変な音を立てる。
「瑛太?」
「っ、なんでもない!」
「ふふっ」
笑われる。
それだけで、余計に落ち着かない。
・
雪の残る歩道。
そのとき。
「わっ――」
星羅の足が、少しだけ滑った。
「危なっ」
瑛太の腕が、とっさに伸びる。
ぐっと支えるように引き寄せた。
「……あ」
近い。
さっきより、ずっと近い。
白い息が、混ざる距離。
「……大丈夫?」
「……うん。ありがとう」
星羅が、ゆっくり頷く。
そのまま目が合った。
逸らせない。
どちらも、先に動けなかった。
・
「……足、痛くない?」
「うん……大丈夫」
そう言った星羅の顔が、ほんの少しだけ歪んだ。
「……嘘やろ」
瑛太の声が低くなる。
「無理すんなって」
「ちょっとだけ、ひねったかも」
「嘘はあかん。捻挫は悪化したら怖いねんで」
ため息をひとつ吐いて。
瑛太は、星羅の腕をしっかり支え直した。
「掴まって」
「……いいの?」
「いいも何も、歩かれへんやろ」
星羅は一瞬だけ迷って。
それから、小さく掴んだ。
その瞬間。
瑛太の手に、体重が少しだけ乗る。
「……軽っ」
「え?」
「いや、なんでもない」
「聞こえたべ」
「うるさい」
ふたりの距離は、さっきより近いままだった。
・
そのまま、視線の先に建物が見えてくる。
ガラス張りの大きなホテル。
夕陽を少しだけ反射している。
「……すご」
星羅が、小さく呟いた。
「ほんまやな……」
瑛太も、息を飲む。
でも次の瞬間。
入口の明かりが見えた瞬間、空気が変わる。
「……」
「……」
言葉が止まる。
理由は分かっているのに、言葉にできない。
・
ホテルロビー。
「すみません、島原で予約されていると思うんですけど」
「はい、お待ちしておりました」
ホテルマンが、丁寧に頭を下げる。
キーボードを確認して。
にこやかに言った。
「ダブルルームでお伺いしております」
「……」
「……」
空気が止まる。
ゆっくりと、視線が交差する。
そして。
「……は?」
「……は?」
ほぼ同時だった。
「シングル二部屋に……」
瑛太が言いかける。
「申し訳ございません。本日は満室でございまして」
即答だった。
逃げ道が消える。
沈黙。
長い沈黙。
「……やられたな」
「……だべな」
ホテルマンだけが、爽やかに微笑んでいる。
・
「ですが」
その声に、二人が反応する。
「本日ご用意したお部屋は、大変人気のお部屋でございまして」
星羅が、横で小さく息を吐く。
「……もう、仕方ないね」
その声は、少しだけ諦め混じりだった。
「……足のこともあるしな」
瑛太も視線を落とす。
そして。
「お願いします」
「……お願いします」
ふたりの声が重なる。
・
カードキーが渡される。
「こちら1101号室でございます」
「……」
「……」
その数字に、二人とも一瞬止まる。
「エレベーターで11階までお上がりください」
「はい……」
ぎこちなく頷く。
・
エレベーター。
数字がゆっくり上がる。
「……緊張するな」
「うん……」
10。
11。
『ポーン』
「1101号室です」
「……」
「……」
瑛太と星羅は、顔を見合わせた。
「1101号室……?」
小さく、どちらともなく漏れる。
エレベーターの先に広がるのは、静かな廊下だった。
奥へ続く長い道。
突き当たりに、一つだけ扉が見える。
「……行くしかないな」
瑛太がそう言って、一歩踏み出す。
廊下は静かだった。
一番奥の扉。
プレートに「1101」。
瑛太がカードキーを持ち直す。
ピッ。
電子音。
ロックが外れる。
重い扉が、ゆっくり開いた。
中は、想像より静かだった。
そして――
ふたりの視線が同時に止まる。
「……え」
「……え?」
そのまま。
「「えぇぇーーー!!?」」




