第68話『はじまりの空』
出発ロビーは、朝から人で賑わっていた。
キャリーケースの音。
流れるアナウンス。
ガラス越しに見える飛行機。
その全部が、少しだけ非日常だった。
「北海道かぁ〜」
瑛太が、大きく伸びをする。
「俺、初めてやわ」
その声に。 隣を歩いていた星羅が、小さく肩を揺らした。
「ちょっと、声大きいって」
「え、そう?」
「そう」
呆れたように言いながら。
星羅の口元は、少しだけ緩んでいた。
(本当に、子供みたいなんだから)
オムライスのときも。
初ライブのときも。
瑛太は、嬉しいことがあると隠せない。
「なぁ星羅」
「ん?」
「飛行機、窓側の席譲ってくれへん?」
「全然いいよ」
星羅は、あっさり頷いた。
「私、高いところ苦手だし」
「やったね!」
「だから声が大きいって。子供か」
星羅が吹き出す。
瑛太は、咳払いをひとつ。
「……そうやな」
急に真顔になる。
「ここは大人の余裕を見せなあかん」
そう言って。
背筋を伸ばし、ロビーの椅子へ座る。
足を組む。
腕を組む。
妙に偉そうだった。
「……」
星羅、数秒見る。
「いや、遅すぎでしょ」
「だな」
二人同時に笑った。
そのあと。
瑛太の視線が、ふらふらと横へ流れる。
「……?」
星羅も視線を追う。
そこには。
北海道限定メロンソフトクリーム。
「……」
「……」
瑛太、真剣な顔。
「星羅」
「なに?」
「俺、あれ気になる」
「顔で分かる」
「ちょっと買ってくるわ」
立ち上がる。
「いや、大人の余裕は?」
「あとで出す」
「今出してよ」
でも、瑛太はもう歩き出していた。
「絶対うまいやつやん……」
「聞いてないし……」
数分後。
戻ってきた瑛太の手には、鮮やかなメロン色のソフトクリーム。
「いや、見てこれ」
「うわ、すご」
「な?」
瑛太は、その場で足を組む。
そして。
ブランデーグラスを持つみたいに、ソフトクリームを構えた。
すぅ……。
香りを嗅ぐ。
「……うーん」
真顔。
「芳醇なメロンの香り」
「何してるの?」
一口。
「……美味しい」
満面の笑みだった。
星羅は、思わず吹き出す。
「もう、本当に子供みたい」
「ええやろ、うまいねん」
「ふふふ」
その笑顔を見ながら。
星羅は、小さく息を吐いた。
「私、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「おう」
瑛太は、まだソフトクリームを食べている。
その姿に、また少しだけ笑って。
星羅は、その場を離れた。
・
・
・
戻ってくる。
「……あれ?」
さっきまでいた椅子。
でも、瑛太がいない。
「お手洗いかな……?」
そのとき。
遠くから、見慣れた姿が近づいてくる。
「……腹壊した……」
「えぇ……」
瑛太、ぐったりしていた。
「冷たいもの急に食べるから」
「いや、でも北海道来たら食べるやろ普通……」
「まだ北海道着いてないから」
星羅は、小さく笑う。
それから、鞄を開けた。
ごそごそ。
「はい」
薬。 そして、小さなペットボトル。
「飲んで」
「……かたじけねぇ、姉さん」
「誰が姉さんよ」
瑛太は、素直に薬を飲む。
ごくっ。
「……助かったぁ」
そのあと。
ふと、止まる。
「っていうか、何で薬と水持ってんの?」
「あー……」
星羅が、少しだけ照れくさそうに笑った。
「女優時代の名残かな」
「名残?」
「何でも、一人で何とかしなきゃいけなかったから」
「……」
さらっと言った。
でも。
瑛太は、その言葉の重さを少しだけ感じる。
星羅は、気づかないまま続けた。
「絆創膏とか、薬とか、裁縫セットとか」
「裁縫セット!?」
「ボタン取れた時困るでしょ?」
「ドラえもんやん」
「失礼ね」
星羅が笑う。
その顔を見て。
瑛太も、小さく笑った。
「……そっか」
短く呟く。
それから。
「でも、助かったわ」
真っ直ぐ言う。
「ありがとう」
星羅は、一瞬だけ目を丸くした。
それから。
少し柔らかく笑う。
「どういたしまして」
そのあと。
星羅が腕時計を見る。
「あっ」
「ん?」
「瑛太、そろそろ搭乗口」
「……ほんまや!」
二人同時に立ち上がる。
顔を見合わせる。
そして。
「「急ごうか」」
また、声が重なった。
笑いながら。 二人は、人の流れの中へ走り出す。
その先には。
まだ見たことのない景色と。
二人で過ごす、新しい時間が待っていた。




