第65話 『昨日より、少しだけ』
二人は、黄昏の中に立っていた。
言葉は、もういらなかった。
ただ、見つめ合う。
そのまま、少しだけ距離が縮まる。
止まらないまま、時間だけがゆっくり落ちていく。
触れた瞬間、確かめるように力が抜ける。
離れそうで、離れない。
それだけで、十分だった。
「……瑛太」
星羅の声は、小さく揺れている。
「……星羅」
瑛太も、それだけ返す。
もう一度、近づく。
今度は、迷いがなかった。
抱きしめる腕に、少しだけ強さが戻る。
夕暮れの光が、二人の輪郭をゆっくり溶かしていく。
もう、止まる理由はなかった。
朝。
事務所のドアが開く。
「「おはようございます」」
声が重なる。
そのあと。
二人とも、少しだけ笑った。
「……」
妙に、息が合っていた。
島原は、デスクで書類をめくっていた手を止める。
「……あれ?」
顔を上げる。
瑛太と星羅を見る。
「……あれれれ?」
瑛太が首を傾げる。
「えっ? 何がですか?」
「あーはいはい」
島原が立ち上がる。
「ちょっと瑛太、黙っててくれる?」
「なんでですか!?」
そのまま、スタスタと星羅の前まで来る。
じーっ。
星羅が、少しだけ視線を泳がせた。
「……えっ?」
「星羅ちゃん」
島原が、にやっと笑う。
「何か雰囲気変わった?」
「……っ」
一瞬だけ、星羅の視線が揺れる。
その横で。
瑛太も、露骨に目を逸らした。
島原、ゆっくり振り返る。
「はいはい瑛太」
「いや、何すか」
「お前も真っ赤やないか〜い」
「っ……!」
二人そろって黙る。
そして、そろって視線を落とした。
島原、数秒止まる。
そのあと。
「……やっっとかぁ〜〜〜!!」
机に突っ伏した。
「遅い!!」
「いや、声でか……」
「こっちは初期から気づいてたわ!!」
勢いよく顔を上げる。
「あんたら、やっと付き合ったんでしょ?」
「……」
「……」
沈黙。
島原、にやにや。
「バレてないと思ってた?」
瑛太と星羅が、同時に顔を上げる。
「「そうなんですか!?」」
「息ぴったりか」
島原が吹き出す。
「多分、気づいてなかったのあんたらだけよ?」
星羅が、静かに顔を覆う。
「……うそ……」
瑛太も、頭を抱えた。
「マジかぁ……」
島原は、そんな二人を見ながら、小さく笑う。
それから。
少しだけ、優しい顔になった。
「……ま、良かった」
短く。
でも、本音だった。
「二人とも、仲良くね」
「……はい」
星羅が小さく頷く。
その横で、瑛太も照れくさそうに頭をかいた。
少しだけ空気が緩む。
そのあと。
星羅が、小声で呟いた。
「……瑛太、“俺に任せとけ”って言ってたのに」
「いや、まさかピンポイントでお前狙うとは思わんやろ……」
「でも、あなたも真っ赤でしたよ?」
「しゃあないやろ、気ぃ抜いてたんや……」
「はいはい」
島原が、呆れたように笑う。
「イチャイチャはプライベートでね?」
「仕事は真剣。わかった?」
「「はい……」」
「素直でよろしい」
満足そうに頷く。
そして、島原は一枚の紙を持ち上げた。
「で、ねこごはん」
二人が顔を上げる。
「仕事の話、来てるわよ」
瑛太が少し身を乗り出す。
「仕事の内容は?」
島原、にやり。
「何と――」
わざと間を置く。
「北海道。札幌雪まつり」
「マジっすか!?」
瑛太の顔が、一気に明るくなる。
「やったな、星羅!」
その声に。
星羅は、一瞬だけ止まった。
「……う、うん」
小さく頷く。
瑛太が首を傾げる。
「……どうしたん?」
「……」
星羅は、少しだけ視線を落とした。
その空気を見て。
島原が、静かに口を開く。
「……まぁ、星羅」
「あとで、少し話そっか」
星羅は、小さく頷く。
「……はい」
部屋の空気が、少しだけ変わる。
でも。
窓から差し込む朝の光は、昨日より少し柔らかかった。




