第64話「川の音」
夕方。
瑛太は、川沿いの道を一人で歩いていた。
喫茶アルデンテには、結局行けなかった。
ポケットの中で、スマホが一度震えて止まる。
見ない。
見たら、戻れなくなる気がした。
「……」
足だけが先に進む。
頭は、少し遅れてついてくる。
川が見える場所まで来て、やっと足が止まった。
「久しぶりに来たな…」
ぽつりと漏れる。
水の音が、やけに静かに響いていた。
そのとき。
背後から足音。
瑛太は振り返る。
星羅が立っていた。
「……来ると思ってました」
瑛太は少しだけ目を細める。
「なんでここやってわかったんや?」
星羅はまっすぐ見ている。
「逃げるなら、ちゃんと逃げないとダメです」
「中途半端なの、一番ずるいです」
瑛太は息を吐く。
「……せやな」
川の音。
少しだけ風。
瑛太は視線を落とす。
「……あの日のことな」
星羅の表情が、少しだけ動く。
瑛太は続ける。
「止めへんかったのは、怖かったからや」
「今の関係が壊れるのが怖かった」
顔を上げる。
「でも、それだけちゃう」
星羅を見る。
逃げてない目で。
「お前のこと、好きやからや」
川の音が、一瞬だけ遠のく。
星羅は動かない。
でも、目は逸らさない。
「……やっと言いましたね」
静かに。
でも、刺さる言い方じゃない。
瑛太は小さく笑う。
「遅かったな」
星羅は少しだけ息を吐く。
「遅いです」
でも、その声はもう怒っていない。
少しの沈黙。
星羅が言う。
「私は」
言葉が一度止まる。
視線が逸れかけて、戻る。
「……ずっと、それを待ってました」
瑛太の目が揺れる。
星羅は続ける。
「……ちゃんと、言ってほしかったです」
瑛太は頷く。
「悪かった」
それだけ。
川の音が戻る。
でも、さっきより柔らかい。
星羅は少しだけ視線を落とす。
そして、もう一度瑛太を見る。
「これからは?」
瑛太は一瞬だけ空を見る。
そして、言う。
「逃げへん」
星羅は頷く。
「……じゃあ」
「……今すぐ」
言葉が一度止まる。
視線が逸れかけて、戻る。
「抱きしめてください」
瑛太の呼吸が止まる。
星羅は続ける。
「逃げないなら」
「ちゃんと、ここにいてください」
一筋だけ、涙が落ちる。
でも、顔は崩れていない。
瑛太は一歩、近づく。
そして、抱きしめる。
強く、でも壊さない力で。
「……ごめん」
小さく。
でも逃げていない声。
星羅は少しだけ肩を震わせる。
「もういいです」
少しの間。
「……ほんとに遅いんですけど」
小さく笑う。
瑛太も、少し笑う。
夕方は、もう黄昏に変わっていた。
二人は、すぐには離れない。
川の音だけが、静かに続いていた。
第64話「川の音」の挿絵を みてみんに投稿しました☺️
川沿いで、 やっと逃げずに向き合えた二人です。
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