第56話『画面の向こう』
昼。
窓から差し込む光の中で、洗濯物がゆっくり揺れている。
それを眺めながら、星羅は手を止めた。
空は青い。
ただそれだけなのに、少しだけ時間が余った気がした。
部屋に戻ると、掃除機の音がやけに響く。
一つずつ終わらせていくうちに、やることは全部なくなっていた。
静かになる。
「……ひま」
小さくこぼして、スマホを手に取る。
少しだけ迷ってから、通話を押した。
コール音が数回鳴って、繋がる。
「もしもし」
「あのさ」
一瞬だけ言葉を選んでから。
「ちょっと、ひま」
「急やな」
受話器の向こうで、瑛太が少し笑う。
「お茶でも行く?」
その言葉に、星羅は窓の外へ視線を戻す。
さっきまで見ていた青空が、まだそこにある。
「……今日はいい」
「なんやねん」
「yy.tube、やりたい」
あっさりした言い方のまま続ける。
「チャンネルの作り方、教えてほしいな」
「……今から?」
「うん」
少しだけ間を置いてから。
「できれば……家で」
「……家?」
「……来てくれる?」
短い言葉。
でも、さっきより少しだけ柔らかい。
「……しゃあないな」
「ありがとう」
少しだけ笑う。
昼。
星羅の部屋。
「……おじゃまします」
少しだけ固い声で、瑛太が入ってくる。
「どうぞ」
先に中へ入る。
部屋は整っていて、静かで、ちゃんと生活がある。
「……なんか」
瑛太がぽつりと言う。
「思ってたより普通やな」
「どういう意味?」
少しだけ笑う。
「いや……なんでもない」
頭をかく。
「気にすんな」
「気になるんですけど」
小さく言って、少しだけ笑う。
それ以上は追わずに、体を横にずらす。
「どうぞ」
クッションを指す。
「お、おう」
瑛太が座る。
少しだけ距離がある。
けれど。
星羅が隣に座る。
自然に。
さっきより、少し近い。
「yy.tubeやろ?」
瑛太がスマホを取り出す。
「ここから作るねん」
星羅が覗き込む。
「……見えない」
もう一歩、近づく。
シャンプーの匂いが、ふっと届く。
「見えるやろ」
言いながら、視線が少しだけ落ちる。
唇。
やわらかそうな輪郭。
瑛太の指が、わずかに止まる。
「……近いねん」
小さくこぼす。
「……そう?」
星羅は首を少し傾ける。
でも、離れない。
肩が触れる。
軽く。
それだけ。
心臓の音が、やけに近い。
「……ほら」
無理やり画面に戻す。
「ここ押すねん」
少し低い声。
「……うん」
素直に頷く。
「できた?」
「まだや」
「遅い」
「うるさい」
小さく笑いが戻る。
でも。
距離は、そのままだった。
夜。
瑛太の部屋。
カメラのランプが点く。
「どうもー、こんばんは瑛太です」
コメントが流れる。
「今日もゆるっとやるで」
グラスの氷が鳴る。
『いつもやろw』
「うるさいわ」
ツッコむ。
でも、少しだけ遅い。
『星羅ちゃんは?』
「……元気やで」
短く返す。
それだけなのに。
昼の距離が、よぎる。
匂い。
近さ。
視線が、少しだけ止まる。
「……まぁええわ」
戻す。
その頃。
星羅の部屋。
スマホの画面に、瑛太が映っている。
少しだけ見つめる。
「……出てみたい」
ぽつりとこぼす。
立ち上がる。
カーディガンを羽織る。
鏡を見る。
少しだけ整える。
「……よし」
外に出る。
夜の空気が、少し冷たい。
ピンポーン。
「……誰やねん」
ドアが開く。
「……お疲れさま」
いつもの声。
「……今、配信中やぞ」
「うん」
頷く。
「出てみたくてきた」
さらっと言う。
瑛太の動きが、少しだけ止まる。
昼の距離が、よぎる。
「……知ってて来たんか」
「うん」
そのまま。
「……まぁええけど」
ぶっきらぼうに言う。
「はよ入れ」
部屋に入ると、カメラはもう回っていた。
画面の向こうで、コメントが一気に流れている。
「……こんばんは」
星羅が軽く手を振る。
星羅が少しだけ距離を取って座ると、
「もうちょっと、近づかなあかんで。画角に入らへんからな」
瑛太が、軽く手で位置を示す。
「……なんか、変な感じ」
そう言いながら、星羅は少しだけ身体を寄せた。
肩の距離が、さっきより近くなる。
「……よし」
位置を確かめるように、小さく頷く。
その瞬間――
『近いですね』
コメントが走る。
「見るなや!」
慌ててツッコむと、コメント欄に笑いが広がる。
「今日は特別回や」
「特別なんだ」
星羅が少しだけ笑う。
「お前おるやろ」
「……そっか」
その一言に、少しだけ嬉しそうな色が混ざる。
「ねこごはんでお送りします」
「……お願いします」
星羅は少し遅れて頭を下げた。
タイミングが少しだけズレる。
でも、次の動きは自然と揃う。
カメラは回り続けている。
コメントも、途切れない。
それでも。
二人のいるこの場所だけは、
昼の続きみたいに静かだった。
触れてはいないのに、近い。
その距離だけが、
そのまま残っていた。




